店を持ってから、毎日が充実している。

自分の好きな物を作って、消費者に渡る瞬間までを見届けられるのだ。

製造、販売、包装まで、全てイルカ一人でこなしている。

経理の事はちょっと大変だが、天職に就けたと思う。

客層は幅広い。

親の記念日にケーキを贈る子どもだったり、お茶菓子代わりに購入してくれるお年寄りだったり。

女性が数人でやって来る事があれば、男性が一人でやって来る事もある。

イルカにとっては、色々な人達の喜ぶ顔が何よりの報酬だ。

今週末はホワイトデーがあるので男性のお客さんが増えるだろう。

今日もバレンタインのお返しの下見なのか、男性客が目立つ。

いや、今日は男性客だけでなく、女性客も普段より多い。

なぜか一品ずつ丁寧に検分する人ばかりで、商品名に添えられた説明書きをじっくり読んでいる。

様々な角度から商品を見ようとしたり、素材は何を使っているのかを聞いてくる人までいた。

お客さんの雰囲気がいつもと異なっている事には気付いたが、レジが込み合ってきたので、そんな事はすぐに忘れてしまった。

選ばれたお菓子達を手際よく箱に詰め、アクセントにリボンを付けて送り出す。

お菓子が売れるたびに、娘を嫁に出すみたいな緊張感が湧く。

「ありがとうございました!」

その緊張感を笑顔のヴェールで覆い隠す。

レジ待ちの列が途切れないので、手を動かしたままでお客さんを見送る。

何気なく店の出入り口まで視線を投げると、イルカの手が一瞬止まった。

「あの…?」

「…あ、ああ、すみませんっ。ベリーベリータルトをワンホールですねっ」

たった一人しかいない店員が動きを止めた事を、不審に思ったお客さんの戸惑った声で我に返る。

びっくりして固まってしまったのだ。

今までにこんな事はなかった。

手に汗が浮いてくる。

だって、自分の店の前に行列が出来ているのだ。

狭い店内は、イルカが気付かぬ内に人で溢れている。

「あ、ありがとうございましたっ!」

どうして突然、こんなに繁盛し始めたのだろう。

理由が何であれ、イルカはただ単純に嬉しかった。

そういえば、さっきから外が騒がしいと思っていたのだ。

業務に追われて、そこまで頭が働かなかった。

手を動かしながら、こっそりと深呼吸した。

少しずつ冷静さが戻ってくる。

そうすると、お客さん達の会話まで耳に入って来るようになる。

「…ここのケーキ…、…はたけカカシが…」

話の所々がざわめきに掻き消されて聞こえない。

でも、聞き慣れた名前がイルカの鼓膜を通過した。

カカシがどうかしたのだろうか。

「…はたけカカシ…、…何人でも…」

「…パティシエ…」

反対側の通路からもカカシの名前が聞こえて来た。

「あ!やばっ、始まるっ!オレ先に行ってるから!」

ベリーベリータルトをワンホール買ったお客さんだった。

男性二人組みで来ていた彼は、もう一人がどれにするか迷っている途中で慌てて店を出て行った。

二人組みの遣り取りを聞いていた他のお客さん達が、なぜか一斉に腕時計に目を遣った。

何を思ったのか、我先にとレジに並び出し、あっという間に店の中にまで行列が出来てしまった。

会計の順番を待つお客さん達が焦れて、イルカの方をちらちらと覗ってくる。

申し訳なくて、丁寧に早くを心掛けて、懸命に送り出していく。

最後は事務的にならないように笑顔を作り、『ありがとうございました』を。

そうしていると、店とは道を挟んで向かい側にある公園の広場の方から、拡声器を通した何かのアナウンスが聞こえて来た。

『ただ今より、はたけカカシグループ専属パティシエ選考会を開催致します』

ズキン、と、心臓の筋肉が妙な音をたてた。

『本日は取締役自らが選考委員を致しますので、合格された方は即採用とさせて頂きます』

ズキン、ズキン。

店内のお客さん達が、目に見えてそわそわし始めた。

今日に限って来客が多いのと、公園で行われているイベントには、何か関係があるのだろうか。

『今日は私の舌が認めた方全員と専属契約を致します。定員に限りはありません』

カカシの声だった。

店内のお客さん達からは焦りが消えていた。

『定員に限りがない』という言葉が影響したようだった。

イルカの心が嫌な予感で波立つ。

「ありがとうございました」

胸の内を隠した笑顔で言い、出て行ったお客さんの足取りを目でこっそりと追う。

眉間が無意識に狭まる。

イルカの店へ入ろうとする行列とは別に、店の前まで伸びているもう一つの行列があった。

その行列の先は公園の入口へと続いている。

イルカの作ったお菓子を買ったお客さんが、何の躊躇いもなく、その行列へ身を置いた。

よく見れば、列に並ぶほとんどの人が、イルカの店の箱を持っている。

アナウンサーの声で、一人目の応募者がステージに上がるように指示される。

『このティラミス、エスプレッソの味と香りが程よく残ってますね。これならば合格でしょう』

カカシの声がティラミスについて評価を述べた。

イルカの店でもティラミスを出している。

今日は既にいくつも売れていった。

イベントは二人目、三人目と、テンポ良く進行する。

『このなめらかさは丁寧に裏ごししないと出ませんね。ふっくら加減としっとり加減も良い。このチーズスフレなら合格です』

チーズスフレだって出している。

イルカは5回も裏ごしする。

手が震える。

涙も出そうだ。

今すぐイベント会場に乗り込んで、そのお菓子がイルカの作ったものかどうか確かめたい。

それなのに、客足は切れず、行列してまでこの店に入ろうとしている。

どのお客さんがカカシの専属パティシエ目当てで来ているのかはっきりしないから、全員を突き帰す事が出来ない。

普通にお菓子を買いに来たお客さんを帰してしまったら、こんな小さい店なんてすぐに悪い噂が広まって、たちまち潰れてしまう。

『珍しいですね。4種類のベリーを使ったタルトですか。ベリーの甘酸っぱさとカスタードの甘さのバランスが良い。タルト地のサクサク感もいいです。これも合格』

ストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、ブラックベリー。

4種類もベリーを使っているからベリーベリータルトという名前を付けたのだ。

ステージで喜んでいる男性には見覚えがあった。

決定的だった。

今カカシが試食しているお菓子は、ほとんどイルカが作ったものだ。

専属パティシエになれる実力があるかわからない人達を、カカシは易々と採用している。

カカシが可哀相だ。

一刻も早く、真実を教えてあげなければならない。

それだけじゃない。

そのお菓子は、本当は自分が作ったものなのだと叫びたい。

応募者達は、カカシと一緒に仕事が出来るありがたさをわかっていないのだ。

カカシのパートナーになれる事の奇跡を理解していないのだ。

そうでなければ、カカシを騙すような事を、平気な顔をして出来るはずがない。

イルカは泣いていた。

泣きながら接客をし、ありがとうございましたを言い続ける。

どうしてカカシを落とし入れようとしている人達に加担して、ありがとうを言わなければならないのか。

箱詰めや会計で使う手では涙を拭う事も出来ず、流れるままにするしかなかった。

最後の一個になったワンホールのベリーベリータルトに注文が掛かり、覚束ない手付きで箱に詰める。

綺麗に包装して、お客さんに渡そうとしたが、それが出来なかった。

手が滑って、箱がカウンターからスローモーションで落ちていくのだ。

ガラスのショーケース越しに落ちる箱を追うように、イルカも床に崩れ落ちた。







* * * * *







体の左半分がベットから落ちていた。

教科書を持ったまま眠ってしまったようで、ベットから落ちた左手の先に不恰好に倒れている。

変な折り目が付いていないといいな、と寝ぼけた頭で思う。

「夢…かぁ…」

カカシを好きだと認識してから、イルカの中はカカシで一杯になった。

片時も忘れられない人。

寝る前も、ベットに入ってから色々と考えていた。

一番はカカシの事。

あとは、独立して自分の店を持つ事、どこかで雇われてパティシエになる事、などなど。

カカシの事を考え始めると出口が見つからない。

婚約者のいる同性を好きになって、結果は一つしかないのに。

失恋しか待っていないのに。

馬鹿な自分は夢のような奇跡を思い描いているのだ。

好きな人と、生活でも仕事でも、ずっと一緒にいられる事を。

美人で上品なカカシの婚約者が頭に浮かんだ。

「ばかだなぁ…」

薄っすらと膜を張った涙は零れるまではいかず、のどの奥に熱を詰まらせた。

あとどのくらい、こんなに息苦しい夜が続くのだろう。











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2004.03.01