住居はカカシが探してくれる事になった。
見つかるまではホテル暮らし。
そのホテルもカカシのグループが経営している所なので、特別に良い部屋が用意されていた。
部屋まで直通で行ける専用のエレベーターまである。
さっそくイルカは市内のお菓子屋さん巡りを始めた。
気になった店では、商品を購入するついでに従業員や店長と世間話をする。
フランス語の勉強になるし、店の様子も聞けて、一石二鳥だ。
こっちにはカカシしか知り合いがいなくて、そのカカシは毎日忙しくてゆっくり話す事もできない。
でも、朝と夜は必ず会えるから、それだけは日本にいる時より幸せだった。
初めての日曜日。
ほとんどの店が休みなのは知っていたけど、地理を覚えるために外出した。
どこを歩いても歴史の深そうな佇まいをしているから、見ていて飽きない。
その上、今日のイルカは朝から浮かれていた。
日曜日は、カカシも早く仕事が終わるようなのだ。
日本では週末や祝日の方が忙しかったカカシも、こちらでは風習が違うから日曜日に時間が取りやすいそうだ。
結局何も買わず、足取りも軽く、手ぶらでホテルに戻った。
普段着で通るには場違いなロビーを抜け、専用のエレベーターがあるホールに向かう。
「ちょっと!そこの人!」
人けのない場所で、明らかにイルカに対して掛けられた声だった。
たくさんの荷物を持った若い男性が、荷物の端から顔を覗かせている。
慌てて近寄り、崩れそうな荷物を一つずつ床へ下ろした。
すると、隠れていた服装が見え、男性がホテルの従業員である事がわかった。
「ありがとう。あの…、ついでにオーナーのお部屋まで運ぶの、手伝ってくれない?」
イルカがカカシの関係者だと知っているようだ。
「いいですよ」
乗る時に特別なカードキーが必要なエレベーターに、イルカの持っているカードをかざして扉を開ける。
従業員の男性は、奥から更にたくさんの荷物を運んで来た。
二人で手分けしてエレベーターに積み込み、その隙間にイルカと男性従業員が乗り込む。
「もし暇だったら、この後も手伝ってくれない?」
「何をするんですか?」
「家具の掃除というか…、こいつらを磨くんだけど…」
そう言いながら、男性従業員は荷物の山を見回した。
イルカが断ったら、彼はこの量を一人で片付けなければならないのだろうか。
隣から小さな溜め息が聞こえた。
日課になっていたインターネットでの店探しも、今日は休もう。
「手伝いますよ」
「本当に?うわー、助かるー!」
間もなくして、宿泊階に到着した。

* * * * *

男性従業員は部屋に入るなり、制服のジャケットを脱いで、Yシャツの襟を広げて袖をまくった。
それを見てイルカも頑張ろうという気になった。
お互いに協力しながら、次々に作業を進めていく。
「この調子なら、カカシさんが帰って来る前に片付きそうですね」
終わりが見えてきて、イルカにも会話をする余裕が出てきた。
「オーナーのこと、そんな呼び方したら怒られるよー」
男性従業員がそう言った時、玄関の方からカードキーを通す電子音が聞こえた。
カカシが帰って来たようだ。
「イルカさん!すいません!大荷物が届い…」
イルカよりも玄関から近い位置にいた男性従業員を見て、カカシが言葉を止めた。
カカシはゆっくりとこちらに顔を向け、しかしすぐに男性従業員の方へ視線を戻す。
「おかえりなさ…」
「あんた誰?オレの部屋で何してんの」
男性従業員の顔色が一変した。
体が硬直しているかのように、ぴくりとも動かない。
「カカシさん、従業員の方ですよ」
ただならぬ気配を感じて声を掛ける。
イルカの声に反応して、男性従業員が何度も深く頷いた。
カカシの表情が一層険しくなる。
その顔のままで携帯電話を取り出し、何かを操作して耳に当てた。
すぐに繋がったようで、イルカが聞き取れないぐらいの早口で二言三言喋り、電話を切った。
カカシは腕を組み、男性従業員を厳しい眼差しで見下ろしている。
どうしたらいいのかわからず、カカシと男性従業員を交互に見つめた。
部屋の空気が張り詰めている。
そこへ突然、玄関のチャイムが鳴り響いた。
カカシは驚きもせず、淡々と応対へ向かい、来客と共に戻って来た。
「これ、どういうこと」
「…っ!申し訳ありませんっ、今すぐ片付けますのでっ」
来客の胸元には、支配人という役職が書かれたネームプレートが付いていた。
支配人は男性従業員に撤収の指示を出すと、一端部屋の隅へ行き、どこかと連絡を取っているようだった。
しばらくして複数の従業員が部屋に来て、あっという間に荷物を全て運び出した。
その間カカシは、従業員達の機敏な働きぶりを感心したように眺めていた。
部屋が片付き、支配人と男性従業員が改めてカカシの前に並ぶ。
「私の監督不行き届きでした。申し訳ありません」
「いえっ、僕が悪いんです!オーナーの使用人が良い人で、つい甘えてしまったんですっ」
支配人の顔が一気に青ざめる。
宿泊客でもあるイルカに手伝いを頼んだのには、そういう理由があったのか。
それならカカシの呼び方について釘を刺してきたのも頷ける。
でも、知り合いの少ない留学先で、親しげに話し掛けられた事は嬉しかったし、彼はイルカの事を良い人とも言ってくれた。
「…使用…人…?」
普段より少し低めのトーンでカカシが聞き返した。
元通りになりかけていたカカシの機嫌が、その一言で再び悪化する。
離れた所にいたイルカにも、それは手に取るようにわかった。
男性従業員も、支配人やカカシの変化に何かを察したようだ。
恐る恐るイルカの方を向き、小声で呟いた。
「…使用人じゃないの…?」
正直に肯定する事ができず、曖昧に微笑んだ。
突然カカシが男性従業員の胸ぐらを掴み、大声で叫んだ。
「イルカさんはゲストなの!しかも超VIP!失礼なこと言うな!」
「かっ、カカシさんっ」
今にも殴りかかりそうなカカシを、慌てて止めに入る。
さっと手を離してくれたが、まだ噛み付きそうな気配がする。
その間に、支配人と男性従業員は何度も謝って部屋を出て行った。
騒がしかった部屋が、急に静かになる。
カーテンを閉めていなかった窓に、二人の姿が写っていた。
これなら使用人に間違われても仕方ない。
ふう、と溜め息を吐いた。
すると、いきなりカカシがぎゅうぎゅうに抱き締めてきた。
「…こんなホテル、早く出ましょう」
「俺のことは大丈夫ですから」
「良い部屋が見つかったんです」
ゆっくりと拘束を解くと、カカシが鞄からいくつかの書類を取り出した。
それを手渡され、一つずつ目を通していく。
部屋の間取り、内装写真、周辺地図、そして最後が家具のカタログ。
「届け先と送り主が逆で、こっちに届いてしまって…。でもっ!家具は全部、おいしそうなミルクチョコレート色なんですよ!」
確かに、イルカが磨いていた家具たちは、上等なチョコレートのように、つやつやと輝いていた。
お菓子が絡むと途端に幸せそうな顔をするカカシを見て、イルカまで幸せな気持ちになった。
カカシと一緒にいて、こんな気持ちになれるのだから、別に他人から使用人に見られたっていいじゃないか。
素直にそう思えたのは、狭い祖国を離れ、広くて厳しい世界に飛び込んだ影響なのかもしれない。






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2009.03.09