毎年虚しかった。 知らない人やどうでもいい人間から渡される品物。 中でも、食べ物は何一つ口にしなかった。 チョコレートだって例外じゃない。 付き合っている女から貰っても信用出来ず、相手のいない所で処分した。 そんな苦い記憶しかなかったバレンタイン。 でも今年からは劇的に変わるかもしれない。 何かをあげたくて、何かを貰いたいという人が出来たから。 今まで培ってきた知識と技術を目一杯駆使してケーキを焼いた。 喜んでくれるといい。 * * * * * アカデミー近くに月極めで借りている駐車場に車を停め、ウキウキしながら車を下りる。 後部座席には午前に訪れたカカシ名義のホテル二軒で渡されたプレゼントの山。 今年はそれらを広い心で受け取る事が出来た。 従業員の気遣いだとか、感謝の表れだとか。 たぶん、車のトランクに積んできた自作のガトーショコラのおかげだ。 料理は愛情という言葉があるけれど、カカシの技術に更に愛情が加われば、最高のお菓子が仕上がると自負する。 ラッピングだって凝った。 あとは、いつ、どこで、どうやって、渡すかだ。 恥ずかしがり屋で派手な事が苦手なイルカの事だから、授業が終わって生徒が帰った頃、人の少ない所で、こっそり渡すのがいい。 カカシだけにくれる嬉しそうな笑顔で照れながら受け取ってくれるだろう。 イルカの笑顔を思い浮べると、勝手に表情が弛んでしまう。 どこにスクープ狙いの記者が潜んでいるかわからないのに、これではいけない。 バレンタイン当日なんて目を付けられそうな日ではないか。 「カカシ先生!ちょっとこっちに来て!」 アカデミーの玄関から叫んだのはイルカのクラスのサクラだった。 機嫌の良さそうな所を見ると、愛しのサスケ君へのプレゼントは成功したようだ。 「ん、どうした?」 「こっち、こっち」 手招きでアカデミーの裏庭へ誘導されると、数人の女生徒達が集まっていた。 そういえば、この専門学校は二十歳代の女性も花嫁修業と称して通っている学校だった。 サクラとは世代の違う彼女等を見て思い出した。 「せーの!」 サクラが意味不明な掛け声を掛けた。 「カカシ先生!大好きです!愛のチョコレート、受け取って下さい!」 「まったく…、何ですか…」 包装された箱を自分勝手に渡され、可も不可もなく受け取らざるを得ない状態に陥った。 7、8個だろうが、大小様々な箱で両手が一杯になった。 「ふふっ。大成功だったでしょう?」 「さすがサクラちゃんよね。圧倒されて訳がわからない状態ならカカシ先生も受け取るだろうって!」 「サクラ…」 学年一の賢さと子ども心を併せ持つサクラが弾き出した答えなのだろう。 笑って遣り過ごせる、イタズラの延長と言っても差し支えないアクシデントだ。 嬉しくはないが、突き返すほどの物でもない。 それに今日は特別機嫌がいいし。 「じゃぁ先生、さようならー」 全員ご満悦の表情で手を振って去っていく。 嵐が過ぎたような疲労感がやって来たが、イルカの喜ぶ顔が脳裏を掠め、急速に元気を取り戻した。 裏庭から一番近い入り口から校舎に入り、まずは職員室を目指す。 イルカがいれば直接話せるし、いなくても居場所の手掛かりがある。 生徒との壁をなくす目的で作られた、ドアのない出入り用ゲートを潜る。 部屋を仕切る衝立ても低く出来ており、ゲートを潜れば意中の人がいない事が一目瞭然だった。 時間割表に書かれた講義名と教室を確認して踵を返す。 すると、職員室内からカカシを呼び掛ける声が上がり、足を止めなければならなかった。 透き通る高い声は女性のものだ。 もしかして、またチョコレートなのだろうか。 「カカシ先生、これ受け取って下さい」 名前は忘れたが、臨時採用職員の試験に来ていた女性だった。 腰が細くて胸の大きい彼女は異性に対して自信があるのか、受け取って当然だという傲慢な態度で挑んできた。 サクラが仕掛けたようなイタズラなら可愛いものだが、こういう物を受け取るのは断固お断りだ。 別に組織的にも気を遣う相手ではないし、はっきりと拒否の意志を口にしようと、息を吸った。 「あ、待って下さい、私も」 「それなら私も」 「じゃあ私も」 息継ぎの一瞬の間に、我先にと女性職員達が箱を差し出してきた。 気が付いたら、職員室が女性職員だらけになっている。 次から次に湧いてくる職員と箱の数々。 何かの呪いを掛けられたような量だった。 ゲートを背にして女性に囲まれているので、今にも外に追い出されそうだ。 「カカシ先生」 「カカシ先生」 「カカシ先生」 勢いと迫力に押され、よろけて一歩後退った。 ゲートから体が半分はみ出る。 それでもまだまだ女性のプレゼント攻めが続いた。 泣きたくなってきて、自分の置かれている状況に鳥肌が立った。 そしてよく見ると、女性達の中に知った顔がいる事に息を飲んだ。 過去に付き合った女や、一晩を共にしただけのホステスの顔。 なぜここにいるのか全くわからない。 そんな女達に囲まれて廊下に出てしまったので、嫌でも周りの視線が気になる。 左右をきょろきょろすると、階段を下りて職員室に向かってくるイルカの姿が目に入った。 何かいい事でもあったのか、にこにこしていて機嫌が良さそうだ。 やばい、と思った。 イルカにはこんな状況を見られたくない。 でも女達の凄まじさは留まる事を知らない。 イルカがどんどん近付いてくる。 しかもカカシの異変を察知したのか、急がないでほしいのに早足でやって来る。 その手には綺麗に包装された箱が大事そうに抱えられていた。 視力の良いカカシは、イルカの持っている箱のリボンが交差している所に、小さなカードが挟まっている事に気が付いた。 集中してそこだけを注視すると『カカシさんへ』と書かれているのがわかった。 あの箱はイルカから自分へのプレゼントなのだ。 そう思ったら、急激に活力が湧いてきた。 周りの女達を力ずくで振り切る。 イルカの傍に行きたくて、沼から這い上がる気持ちで歩みを進めた。 「イルカ先…」 カカシの呼び掛けが中途半端に途切れた。 イルカの背後から、過去に体の関係を持った事のある女達がカカシに向かって集団で走って来るのだ。 容赦なくイルカにぶつかり、女達がイルカの脇を擦り抜けて行く。 集団が通過してイルカだけが取り残されると、既にイルカの手からカカシへのプレゼントはなくなっていた。 イルカが下を向くので、カカシもその視線の先を追う。 そこには原形を留めていないプレゼントが無残な姿で落ちていた。 通り過ぎる時、女達が踏み荒らしていったのだ。 一度イルカと目が合い、何か言わなければと思ったのに、新たに到着した女達の騒がしさでカカシの声が掻き消される。 ぎゅうぎゅうに囲まれて、僅かな身動きすら取れない。 イルカが屈んで、ぐちゃぐちゃになった箱を拾った。 さっと踵を返し、カカシに背を向けて歩き出す。 どんなに大声で叫んでもイルカには届かない。 後ろ姿からではよくわからないが、イルカの手が目の辺りを拭ったように見えた。 きっと泣かせてしまった。 堪らなくなって更に大きな声で叫ぶが、周りがうるさくて自分の耳にすら届かない。 イルカの背中は遠ざかる一方だ。 女達の圧力はより一層強まるばかりで、カカシは途方に暮れた。 押し潰されて息が出来ない。 苦しくて額に脂汗が浮いてくる。 助けを求めて手を挙げて、何かを掴むように閉じたり開いたりを繰り返す。 「イルカ先生ー!」 腹の底から出した叫び声。 ぎゅうと目を瞑り、それをぱっと開いた瞬間、自分のベットで目が覚めた。 * * * * * 枕元に積んでいた本が、顔の周りに散らばっている。 いや、周りだけではなく、顔の上にも被さっている。 眉間に皺を寄せた険しい顔で、額には汗が浮いていた。 色々な意味でほっとして、安堵の吐息のような溜め息を吐いた。 「夢…か」 昨晩はバレンタインにはイルカからチョコレートを貰えたらいいのにと思って眠りに就いた。 それがいけなかった。 きっとこれは、今まで欲望のままに遊んできた報いなのだろう。 イルカに悲しい顔をさせてしまうし、しかも、あれはたぶん泣かせた。 夢の中の出来事だけど、イルカに申し訳ない事をした。 すぐにでもイルカの元へ行き、頭を下げて謝りたい。 しかし、夜も明けておらず、まだ仲の良い学校の教師と理事という間柄から抜け出していないのに、勝手に見た夢の謝罪に赴く事は出来ない。 「はぁ…。イルカさん…ゴメンネ…」 一年でも二年でもずっと待つから、いつかは微笑みながらプレゼント交換を出来るような関係になればいい。 今年のバレンタインからなんて贅沢な事は言わないから。 ss top okashi index □mail□ |