三代目に懇意にしてもらって、アカデミーで生徒達に囲まれて。 家族は居ないけど、里の中で大勢の人に関わる事が出来て、毎日が充実している。 その中でもイルカは、人と人との繋がりや、誰かと自分が関わって繋がっていく事が一番好きだった。 4月の入学式や、年2回の職員配属は毎回わくわくする。 職場が固定されてからは、それぐらいでしか新しい繋がりを得られなくなっていた。 それがカカシと出会ってから少し変わった。 通りすがりに話をしたり、食事をしたり、飲みに行ったりする仲は、周りから見たら目立っていたのだろう。 カカシが有名な上忍という事で、それに関わっている平凡な中忍が物珍しかったのかもしれない。 顔も名前も知らない外勤の忍者や、顔と名前くらいしか知らない忍者から、割とよく声を掛けられるようになったのだ。 受付業務なので、事務的な問い掛けは今までも多々あったが、何でもない話をする事は滅多になかったのに。 どうやら、有名上忍と接する中忍のイルカにまで興味を持つ人が出て来たようなのだ。 短いとは言えない時間をアカデミーと受付という限られた空間で過ごして来たイルカにとっては、とても新鮮な繋がり方だった。 これからどんどん広がっていく人間関係の事を考えると、毎日が楽しくて仕方ない。 「イルカさん…でしょ?オレの事覚えてる?前に何度か任務で組んだんだけど」 受付の窓口でこうして声を掛けられるのにも、すっかり慣れた。 カカシと接する前とは比べ物にならないほどの頻度だ。 「…ああ!ご無沙汰してました!お元気でしたか?長期任務に出られてたんですか?」 「そうそう。今回は中間報告で一端戻って来たんだけどね」 イルカが中忍になってから教師になるまでの間に請けた任務で、何度か一緒になった忍者だった。 任務で里の内外を駆け回っていた頃の記憶は遠くて、今は懐かしささえ感じる。 「そういえば、優秀で変人の上忍と付き合いがあるらしいね。変人が移らないように気を付けて」 「そ…そんな事はない…ですよ。えーっと、中間報告はこちらで結構です。少しぐらい里で寛いで下さいね。お疲れ様です」 「イルカさんもお疲れー」 男は軽い足取りで受付を後にした。 過去に出会った人から、こうして接触してもらえるきっかけも、きっとカカシとの事があるからだろう。 こういった、ささやかに見える繋がりがイルカに小さな幸せをもたらしてくれる。 つい頬を緩ませて過去に思いを馳せていると、やる気のなさそうな歩き方をした人が受付へ入って来た。 もちろんカカシだ。 猫背を伸ばしたら男っぷりがもっともっと増すのに、そんな事は本人にとってはどうでもいい事らしい。 カカシを見るたびに常々思うのだが、彼は非常に男前だ。 女性に好かれそうなきれいな顔立ちに、抜群の体付き。 そんな年頃の逸材に、お嫁さんも婚約者も彼女も居ないなんて、世の中は不思議だ。 特定の相手を作らないと決めているのならいいが、もしそうでないのなら心配になる。 心配というのはカカシの事ではなくて、イルカ自身の事だ。 カカシのような立派な人に彼女がいないのだから、自分になんて全く縁がないのではと思ってしまう。 だけど、これから色々な人と出会うのだから、いつか必ず巡り逢えるのだと、そう信じている。 「…お疲れ様です。何か、前より一件の報告書処理する時間が長いような気がするんですが」 「お疲れ様です。そんな事ないですよ。普通です」 「そうやってイルカ先生の帰りが遅くなると、オレと遊ぶ時間も削られて、そのうちなくなるんじゃないかと心配で心配で」 持って来た報告書で顔を隠したカカシが、泣いている振りをする。 拗ねた子どもみたいに、唇でも尖らせていそうな口調に愛らしさを感じた。 「もう。カカシ先生がそうやってふざけているから処理が遅れるんですからね」 カカシの顔を隠す報告書を奪い取るために手を伸ばす。 用紙を掴んで引っ張ると、引っ張った分だけカカシの顔が近付いた。 「カカシ先生!そんな事してたら今日は本当に行けなくなっちゃいますよ!」 「あ、今日もオレと付き合ってくれるんだ」 びくともしなかった手が一瞬で用紙から離れ、途端に嬉しそうな顔を見せる。 カカシがそうやって表情を崩した事にはあえて触れずに、報告書の確認を始めた。 感情を表に出さない忍者が、しかも上忍が、嬉しそうな顔を無防備に晒す事に抵抗があるのだ。 イルカには特別に気を許しているんだよ、と言われているようで。 そろそろ忙しくなってくる時間帯だから、余計な事を考えている暇なんてないのに。 カカシはきれいとは言えないが読みやすい字を書く。 記入漏れや記入間違えだって一度もないから、確認も楽だ。 幼い頃から積み重ねた経歴は、報告書の提出にも反映されている。 「はい。結構です。今日もお疲れ様でした」 「イルカ先生も、疲れてるなら早く仕事終らせて下さいね。じゃ、あっちで待ってますから」 にっこり笑って送り出すと、カカシが受付から出て行った。 入れ違いで、新たに報告書を持った忍者がやって来た。 「これ頼む。…あれが噂のヤツねえ。あんたも大変だな」 「お疲れ様です。はい。ちょっと大変です」 「イルカ先生ー、早く来てねー。残業はなしですよー」 出て行ったと思っていたカカシが、入口から顔を覗かせてこちらに向かって言葉を掛けてくる。 ちょっとした会話を目聡く発見されて驚いたが、すぐに笑顔で会釈を送った。 それを受け取ったカカシは、今度こそ受付を後にしたようだ。 「今日の任務でリンゴを貰ったんだが、たくさんあるから職員達で分けてくれないか?」 「りんごですか!俺好きなんですよ!ありがとうございます!」 「待ってますからねー。報告書なんて一人一秒で処理して下さいねー」 今度こそと思っていたのに、まだカカシは受付の入口をうろうろしていたようだ。 にっこり笑顔をイルカへ寄越してから、ぼふんと煙に包まれて居なくなった。 「すいません。えーと、報告書はこれで結構ですので。お疲れ様でした」 「リンゴはうちの下忍に教員室へ持って行かせる。あんたもあいつの処理、頑張れよ」 「はい」 イルカの苦笑を見た男が、呆れた様子で苦笑を返してから、大きな身体を翻して受付を後にした。 * * * * * カカシは酒に弱い。 演技なのか、本当にそうなのかわからないが、顔色を一つも変えないで泥酔するのだ。 二杯目の途中から呂律があやしくなり、今はもうぐでぐでになっている。 長い足をだらしなく投げ出して、壁に寄り掛かり、でも酒の入ったグラスだけは放さずに。 「あのねぇ、イルカ先生、わかってますぅ?色んなヤツに声掛けられてんのがオレのせいなんらって」 カカシが酔っ払いの口調で話しているのを、イルカは酔っ払った頭で聞いていた。 イルカも酒に強い方ではないが、カカシに比べればまだちょっとは上だ。 三杯目のグラスを半分空けた所で、頭の中がふわふわしている程度だから。 「オレが上忍でぇ、結構有名でぇ、それと絡むからぁ、次々とちやほやされるんですよぉ…」 ちやほやする、という言葉にイルカの耳が過剰な反応を示した。 イルカが人に話し掛けられる事を、カカシからはちやほやされているように見られていたなんて。 人との繋がりを大切にしたいイルカにとって、カカシの発言は聞き捨てならないものだった。 頭の中でカカシの言葉を反芻すれば、それはカカシのお陰なのだから、というように聞こえる。 自分一人の力でもないのにちやほやされて舞い上がるんじゃない、とでも言いたいのだろうか。 「イルカ先生はー、もっとオレにぃ…」 感謝しろ、と続きそうな言葉を遮るために、大きな音を出して立ち上がった。 カカシの口からそれ以上の事を聞きたくなかった。 驚いているカカシが、何が起こったのかわかっていない顔でイルカを見上げて来る。 今まで二人で築いてきた関係が、こういう上下のある間柄だったとは思わなかった。 イルカ一人が勘違いしていたようだ。 年季の入った財布から、あるだけの紙幣を出して、机の上に叩き付けた。 「今までのお詫びと…お礼と…。俺が言うのもおかしいですけど、手切れ金だと思って下さい」 たぶん、酔っていなかったらこんな事まで出来なかった。 頭の中が煮えたぎるように熱くて、これほど憤っている理由が自分でもよくわからない。 何も言わないカカシを一目も見ずに、足音も荒く店を出た。 帰り道を進む足音も、忍者として有るまじき騒音を立てている。 わかっていても、家までの僅かな距離なのだと言い訳をして、見て見ぬ振りをした。 生徒が見たら悲しむかもしれない。 そう思った途端に、足が止まった。 「イルカ先生!イルカ先生っ、待って下さい!」 自分を呼ぶ聞き慣れた声に振り向きそうになりながらも、聞こえなかった事にして歩き出した。 今度は足音を立てないように。 「オレ変な事言いましたかっ?もう酔いも覚めましたから、ちゃんと話を…」 追い付いたカカシがイルカの手を取ろうとしたが、片手で払いのけた。 そのまま何も言わずに歩みを進める。 「詫びと礼にお金は関係ないですよね?!手切れ金て何ですかっ?!」 諦めずに纏わり付いて来たカカシが、イルカの正面に回り込み、肩を掴んで立ち止まらせる。 「頭が真っ白になって、どうしていいかわからなくなって…。その間にイルカ先生は居なくなっちゃうし…」 カカシの目は真剣で、確かに酔いは覚めているように見えた。 手にはイルカが叩き付けたと思われる紙幣が無造作に握られている。 「イルカ先生が他の人にちょっかい出されて、オレとの時間が減るのが嫌だって話をしてる時ですよね?」 「…えっ」 「だから…!もっとオレに時間を割いてくれなきゃ嫌だって…」 カカシを見つめながら、我に返ったように目をぱちぱちする。 「え、違うの?」 「…う…、すいません、俺…」 イルカの頭に『早とちり』と『勘違い』という言葉が駆け巡る。 間近で覗き込んでくるカカシに居た堪れなくなり、両手で顔を覆った。 勢いで指を掠めた耳までが熱を持っていて、今が夜である事に感謝した。 カカシに真っ赤な顔を見られずに済んだから。 「何?何?」 イルカの様子の変化に、カカシも戸惑っているようだった。 「…本当に…すいません…。馬鹿な事言って…。その…出来れば…なかった事に…」 「えっ、なかった事にしていいんですか?じゃぁ!じゃぁ!そうします!なかった事に!」 そのまま成り行きで、カカシに家まで送って貰う事になり、最後まで肩身の狭い思いをした。 別れ際に吐いた安堵の溜め息がカカシのそれと重なり、苦笑し合ってから『また明日』と言った。 |