イルカが1週間の野営演習に出掛けた。 アカデミー勤務が主な彼が1週間も帰って来ない事は初めてだ。 その間カカシは、イルカの家で寝泊りさせてもらっている。 ほぼ同棲しているような状態だったから生活に支障はない。 でも、仕事以外の時間のほとんどがイルカと一緒だったから、今朝別れたばかりだというのに、もう寂しい。 仕事中は気が紛れていたけど、イルカの家で一人で寝る時には、早くも限界を感じていた。 翌日には受付で、しばらく任務を増やしてほしいと頼み込んだ。 それからのカカシは、かつてないほど任務に集中した。 1日に2件の任務を片付ける事もあったし、とにかく短期間の任務なら手当たり次第に請けていった。 イルカの家に帰っても、風呂に入って眠るだけ。 今日も二日間の任務を終えて、日付が変わる前に帰宅した。 イルカが帰って来るまで、あと3日。 カカシは明日から1泊2日の任務が入っている。 それが終われば、翌日にはイルカとの再会が待っている。 寂しさも期待に変わり、ようやく時間経過を楽しめるようになってきた。 昔のような浅い眠りが続くのは久しぶりだったが、そのおかげで朝一人で起きる事が出来る。 それは逆に、イルカに起こされる生活のありがたみや幸せを再認識する良い機会だった。 1泊2日の任務を終えて帰路を歩いている途中、何気なくイルカの家の方を見上げた。 すると、カカシ以外には住人不在の家に、なぜか灯かりが点いていた。 イルカが帰るのは明日のはずだけど、1日早まったのかもしれない。 突然目の前が夜から朝になったような眩しさを感じて、大急ぎで家に帰った。 咄嗟にドアを開けようとしたら、鍵が掛かっていてノブが回らない。 カカシが帰って来る事を知っていれば、イルカは鍵を開けて待っていてくれる。 もしかすると、今日は任務で帰らないと思ったのかもしれない。 ドアを壊さないように、慌てて合鍵で開錠した。 「イルカ先生!?」 名前を呼んでも室内から返事はなく、逸る気持ちをそのままに、ぞうりを脱ぎ散らかして居間へ上がった。 しかし、そこは灯かりが点いているだけで人の姿はない。 イルカが消し忘れて眠ってしまったのかもしれないと思って、寝室へ向かう。 やはりそこにも誰もおらず、外出前と何も変わらない部屋が広がっているだけだった。 既に諦め半分で玄関に戻って履き物を確認したが、ばらばらに置いてあるカカシの一足分しか見当たらない。 深い、深い、ため息が零れた。 任務で家を出る前に、カカシが灯かりを消し忘れていたのだろう。 自分の失態に気付きもせず、ぬか喜びまでしてしまった。 なんて滑稽な姿だ。 一気に疲れが圧し掛かってきた。 この場ですぐに意識を失ってしまいたい気分だったけど、せめてイルカの匂いが残るベットまでは行きたかった。 重い身体を引きずって、再び寝室へ向かう。 明日の任務が終わって家に帰って来たら、必ず本物のイルカに会えるのだ。 こんな事があったのだと、笑い話にしてしまおう。 控えめなイルカに、あなたがいないと駄目なのだと、散々言い聞かせてやる。 薄れたイルカの匂いを吸い込んで、すうっと目を閉じた。 * * * * * 今日やっとイルカに会える。 そう思って最終日に入れていた任務が、予想以上に長引いてしまった。 どんなに急いでも、里に着くのは明日の晩になる。 任務が延びるなんてよくある事だけど、どうして今日なんだと思わずにはいられなかった。 無事に任務を終えて家に帰ると、もう眠りに就くような時間帯になっていた。 イルカは眠ってしまったかもしれないが、今のカカシにはイルカの寝顔に会えるだけでも充分だった。 灯かりの消えている部屋を見て、静かに鍵とドアを開けた。 ドアの隙間から室内の空気が流れてくる。 何の疑いもなくイルカの気配が充満していると思っていたカカシは、その空気を感じて身動きが止まった。 人がいる気配が全くないのだ。 それがどういう事なのか理解出来なくて、開く限りにドアを開けた。 玄関が月明かりに照らされる。 そこに履き物の類は一切見られなかった。 部屋に上がり、真っ先に寝室へ向かう。 まずベットを伺ったがイルカの姿はなかった。 部屋中を見渡して探したけど、やっぱりイルカはどこにもいない。 演習の打ち上げか何かで、他の教師達と飲みにでも行っているのだろうか。 仕事の付き合いなら仕方ないし、カカシだってそれを許さないほど狭量な男ではない。 たまたま今家にいないけど、待っていれば必ず会えるのだから、焦る事はないのだ。 イルカが帰って来た時にカカシがいる事を主張してやろうと、居間へ行って灯かりを点けた。 イルカの家は、居間の電灯の真下にちゃぶだいがある。 灯かりを点けるまで気が付かなかったが、そこに二つ折りにされた紙が乗っかっていた。 拾って開いてみると、短い置き手紙だった。 カカシさんが帰って来た時に会えなくて残念です。 これから残りの半分の生徒の引率で、また1週間野営演習へ行ってきます。 任務、頑張っていると聞きました。 身体には気を付けて下さい。 イルカ。 その場に立ち尽くし、紙がひらひらと落ちていく様を呆然と見つめる。 こんな事なら、無理をしてでも昨日の内に帰って来ればよかった。 いや、そんな事より、最初からあんな任務請けなければよかった。 後悔という言葉が波のように押し寄せる。 最近身を以って知ったのだけど、1週間という時間はとても長い。 更に仕事を増やして気を紛らわせないと、イルカ不足でどうなるかわからない。 紙を元の位置に戻して寝室へ行き、脱力したままベットに倒れ込んだ。 翌日からは、短くてきつい仕事を特に選んで請けるようになった。 最初の1件目の報告書を提出し、次の依頼書を取りに火影の元へ向かっていた時だ。 知らない女に声を掛けられた。 「少しだけお時間頂けないかしら」 「急いでるんですが」 「ね、少しだけだから」 見た目は派手で遊んでそうな女だけど、階級は上忍か特別上忍のようだった。 付き纏って来られるよりはいいかと思って立ち止まる。 「ねえ。あたしと付き合ってみない?」 軽い口調や内容に、猛烈に気分を害した。 イルカとの事は公にしていないけど、周囲からは黙認されている仲だ。 この女だって知らないはずはない。 「ずっと心に決めた人がいますから」 怒気を隠そうともせず、声にも表情にも孕ませた。 「え?別れたんじゃないの?だって噂で…」 「じゃあ」 女の話を最後まで聞かずに踵を返した。 部外者の言う事なんてどうでもいい。 次の任務をもらって、嫌な事は早く忘れよう。 その時はそれで済んだが、また別の報告書を提出したあとにも違う女から似たような事を言われた。 イルカと付き合うようになってからはなくなっていたのに、どうして今頃立て続けに起こるのだ。 やっと明日、待ちに待ったイルカが帰って来るという大事な時期に、変な噂が広まってイルカに疑われたりしたら堪らない。 今度は絶対に明日中に帰れる任務を厳選した。 その任務の報告書を提出したのは、まだ夕陽が沈む前だった。 不安と期待を抱えてイルカの家に向かう途中、前回の失態が何度も頭を掠めた。 無意識に下唇を噛んで、眉間に皺が寄っている。 まずはイルカの部屋に灯かりが点いている事を確認した。 冷静を保てるように意識してドアの前に立ち、ノブに手を掛ける。 鍵が掛かっていた。 嫌な記憶が蘇るが、合鍵を出してドアを開けた。 開けた途端に漏れた空気に、涙が出そうになる。 「イルカ先生!」 勢いよくドアを閉め、台所に立っているイルカの背中へ跳び付いた。 「か、カカシ先生…」 「おかえりなさい、イルカ先生。会いたかったっ…」 しがみ付いて、ぎゅうっと抱き締める。 「カカシ先生、疲れてらっしゃるんじゃないですか。お茶お持ちますから座って下さい」 「うん…」 返事だけはしたものの、名残惜しくて中々離れられない。 イルカにぺちっと腕を叩かれて、ようやく離れた。 台所が見える指定席へ座わり、イルカが来るのを待つ。 「カカシ先生、少し痩せましたね。男っぷりが上がってますよ。噂通りだ」 氷の入ったグラスと麦茶の瓶を、お盆に乗せてやって来た。 「噂?確かに、まともな食事はしてなかったけど」 「演習に参加しなかった先生方の、特に女性陣が口々に言ってましたよ。カカシ先生が変わったって。あと、憔悴した姿が色っぽいって」 「オレ色っぽくなった?イルカ先生もそう思う?」 「ええ。カカシ先生が真面目に任務を請けてくれるって、受付の人達も喜んでましたよ」 イルカの笑顔が曇っているように見えた。 疲れている以外にも理由がありそうで心配になる。 「1週間で帰って来るって言ってたのに、もう1週間会えないって知った時は物凄いショックでしたよ」 変な事は言っていないのに、イルカが訝しむ目で見てきた。 「こんなに長い時間イルカ先生が帰らないのって初めてでしょ。だからすごく寂しくて。それを紛らわせるために任務だって増やしたし」 イルカは驚いているようだった。 2週間イルカに会えなくて寂しかったという話で、驚く所なんてないだろう。 恋人同士なら当たり前の事だ。 するとイルカが、あはは、と力なく笑った。 「…俺がいない方がカカシ先生のためになるんじゃないかと思っちゃいましたよ…」 そう言って、人差し指で目元を拭った。 その仕草と本物の涙に、カカシの方こそ驚いた。 「あははじゃないよ…。それ本気で言ってんの?そんな事ある訳ないでしょ」 「…良かった…。今日も帰って来なかったらどうしようって思ってたんですよ…」 カカシが任務で帰れなかった事が、イルカにも痛みを与えているとは思わなかった。 もしかしたらイルカは、まだ他にも他人から色々と吹き込まれているのかもしれない。 帰って来た時に感じたよそよそしさも、それが気になっていたからなのか。 「もう…。何言ってんですか。ホントに…。勘弁して下さいよ」 この夜、久しぶりにイルカの手料理を食べて、ゆっくり眠った。 イルカの隣は心地よくて、起こされるまで全く目が覚めなかった。 灯かりを消し忘れた時の話をしたら、嬉しそうに笑ってくれて、もうその笑顔を見られただけで幸せだった。 どうしてもオレにはアンタが必要なんだよ。 |