カカシは忙しい人だ。 今はみんなが忙しいのだとは思うが、カカシの忙しさは別格だった。 数日間の任務を終えて里へ戻って来ても、休む間もなく次の任務が待っている。 しかもカカシの任務は火影様からの直接依頼ばかりで、イルカが待機している受付所を通らない。 3週間音沙汰がなくてやっと、そのうち受付所で会えるだろうという考えが甘かったのだと知った。 少しでも顔を見る事が出来たら。 少しでも声を聞く事が出来たら。 2ヶ月の間、片時も頭から離れない不安と心配も緩和するかもしれないのに。 ひたすらに、カカシが恋しかった。 最近、ぎりぎりまで受付所に居残るようになった。 それを始めたのは、イルカが帰宅した後にカカシがイルカを訪ねて来た事があったと聞かされてからだ。 夜勤の同僚が申し訳なさそうに教えてくれたのに、彼には感謝よりも先にカカシと会えた事を嫉妬した。 我ながら情けないけど、羨ましくて涙が出そうだった。 朝起きてカカシを思い、ひとつのため息を零す。 夜寝る前にカカシを思い、またひとつため息を零す。 そして願うのだ。 今日は会えますように、と。 明日こそ会えますように、と。 イルカを生成する細胞の一つ一つが、全身からカカシを求めていた。 いつになるかわからない再会を想像して、その時は必ず笑顔で迎えると決心していた。 カカシの事を思うなら、絶対に余計な心配を掛けないように。 ごく自然に接して、疲れているカカシに気を使わせないのだ。 そのために、朝も昼も夜も笑顔の準備をし、受付所と自宅以外にいる時間を極力減らした。 どちらかにいればカカシに会える確率が高まるから。 会ったら笑顔。 それだけはいつも心に留めていたし、頭の中でのシュミレーションも完璧だった。 ただ、現実は予想以上に感情が抑えられなくて、一番最初の段階でもう計画倒れが確定した。 帰宅するたびに諦め半分で見つめる家の前。 忙しくなる前には時々あった光景。 家の前でイルカを待っているカカシの姿。 それが目の前に現れると、歩いていた足は止まり、息をする事も忘れた。 気付いた時には走り出していて、なりふり構わずカカシに抱きついた。 「カカシ先生…!カカシ先生…!カカシ先生…!」 背に回されたカカシの手が、ぽんぽんと一定のリズムでイルカをなだめる。 「どうしたんですか、珍しい」 「すいません…。すいません、でも…」 カカシの胸に顔を埋め、カカシの匂いをかぎ、カカシの心音を聞く。 ベストを掴む手は、二度と離さないくらいの気持ちで渾身の力を込めた。 イルカの思考がカカシで一杯になり、溢れた思いが涙に変わる。 涙が頬を伝う感覚を鮮明に感じると、急に我に返り、慌ててカカシから離れた。 「すいません…。あ…の、少し上がっていきませんか…?」 カカシに気付かれないように涙を拭い、鍵を開ける名目で背を向けたまま問い掛ける。 すぐに次の任務に出なければならない可能性を考えると、どうしても正面からカカシを見る事が出来なかった。 時間が止まったと錯覚しそうなほど静かな空気が流れる。 その沈黙が、カカシの答えだった。 「…今日はやめましょう。もう遅いし、カカシ先生もお疲れですよね」 初めて予定通りの笑顔を作り、何でもない事のような声を出す。 でも、やっぱりカカシを振り向く事が出来ない。 息を詰めて言葉を待っていると、イルカの胴の左右からカカシの腕が伸びてきた。 前で交差した腕に、急激に力が加わる。 「…ごめんね。…ごめん…」 背中から、気持ちを抑え込んだようなくぐもった声が聞こえた。 白い手首にそっとイルカの手を重ねる。 カカシの手は少し汚れていたけど、いつも通りひんやりしていてほっとした。 「さっき報告書を提出した時、入れ替えで新しい依頼書を渡されました」 後ろから抱き締めてくれるカカシに甘えるように、体重をあずけて寄り掛かる。 「今だけ…上忍休んでも…いいよね…」 顔をイルカの肩に移し、カカシが頬を摺り寄せてくる。 唇が何度も頬に触れ、肌をついばむ可愛らしい音がこの場に不似合いで可笑しかった。 「無理して笑おうとしなくていいから…。自然なのが一番…好き、です」 一度緩んだ腕に、ぎゅうと力がこめられる。 そのままじっとしていると、ぱっと腕が離され、カカシが一歩後ずさった。 反動でよろけた体を支えるために、イルカも一歩後ろに片足をつく。 一人置いて行かれたような寂しさが込み上げて、急いで体を反転させた。 心細さから、カカシの顔を見つめる。 「もう行かないと」 「カカシ先生…」 腕を伸ばして、カカシのベストの端を掴む。 まだ行かないでほしいという気持ちから出た、とっさの行動だった。 その腕をカカシにそっと握られ、僅かに引っ張られる。 つまづいたようにカカシの方へ倒れ込む体を、自分の力で立て直そうとは思わなかった。 真正面からカカシに包まれる。 視線を感じて少し上向くと、カカシの顔がゆっくりと近付いて来た。 温かくて柔らかいものがイルカの唇に触れる。 しかし、優しい感触はあっという間に激しいものへと変貌した。 何の防御もしていなかったイルカの口内は、いとも簡単にカカシの侵入を許す。 舌を絡め取られ、息継ぎもままならない。 「んっ…ん、んっ…ふっ…ん…」 感情が昂ぶっているのと息苦しいのとで、目を瞑っているのに涙が止まらない。 歯の内側や歯ぐきを舌で撫でられると、指先の震えが全身に回った。 足に力が入らなくて、イルカ一人では立っていられない。 カカシと接触している部分が熱を持ち始めている。 「んっ、ふっ…、もっ…んっ…、もっ、とっ…」 もっと内側で、じかにカカシを感じたかった。 カカシが生きている証拠をイルカの身体に刻んでほしい。 もったいぶって唇を離したカカシが、今度はイルカの首筋を舌で舐め上げた。 「あっ…!…はああっ…」 舌はイルカの弱い所を的確に突いてくる。 ぬめった舌でべたべたにされた頃には、もう抑えられない状態に陥っていた。 すると、カカシが何かの合図のようにふわっと唇を重ねてきた。 戯れ程度の弱々しい口付けが何度も繰り返される。 「カカシ先生…?」 「ホントに…もう…時間が…。行かないと…いけないんだけど…」 「あ…」 名残惜しさから、無意識に小さな声が漏れた。 任務という現実がイルカの頭の中に蘇える。 身体はカカシを受け入れる準備を始めていたから、ついこのまま先があると思い込んでしまった。 「俺…。すいません、呼び止めてしまって…」 ふら付く足を励ましてカカシから離れる。 送り出さなくてはいけない立場のイルカが引き止めていては、火影様に顔向け出来ないではないか。 「オレの方こそすいません…。あなたに会ったらこうなる事はわかっていたのに」 カカシだって、お互いの身体の変化には気付いているのだろう。 だからといって、任務を放棄してまで密な時間を過ごす事は出来ない。 カカシもイルカも、忍びの仕事を理解しているし、里を大切に思っている。 「…会えて良かったです…。本当に…。お気を付けて…」 「イルカ先生も無理し過ぎないで下さいね。…じゃあ、行ってきます」 「いってらっしゃい」 最後にもう一度抱き合って、手を振って見送った。 カカシは必ず里に戻ってくる忍びだ。 だから、心配するのではなくて、早く帰って来れる事を祈ろう。 木の葉の里の忍びの実力は、イルカが誰よりも知っているのだ。 |