くやしい。 特別な扱いを受けていると思える事はあるけど、それはきっと自分一人に限った事じゃない。 カカシに好意を寄せる大勢の中の一人に過ぎないのだ。 イルカの知らない所でカカシが何をしていても、それを尋ねたり咎めたり出来る立場でない事はわかっている。 きれいな女性と食事をしたり、手を繋いだり、腕を組んだりなんて、カカシには当たり前すぎて習慣になっているのではないだろうか。 カカシがきちんと隠しているので、まだそういう状況に遭遇してはいないけど。 イルカと会う時、カカシは他の情人の陰を完璧に消している。 名残があったら悲しいけど、全くないというのも疑わしい。 捻くれた事を考えているという自覚はある。 でも、つらいのだ。 数日間の任務を受けて『しばらく会えなくて寂しい』と簡単に口に出来るのもそう。 最初に言われた時は嬉しかったが、経験上、相手が喜ぶと知っているから言えるのだと思ったら、やっぱり悲しくなった。 些細な発言や仕草から、カカシの恋愛遍歴がちらつく。 それが熟練された技術を見せ付けられるようで、どうしようもなく嫌だった。 * * * * * いつも通り、1時間くらいの残業をしてアカデミーの職員室を出た。 今だって、カカシがどこで何をしているのかわからない。 任務中で里にいないかもしれないし、任務が終って家で寝ているかもしれない。 任務明けなら、昂ぶった精神を安定させるためににぎやかな場所へ赴いているかもしれない。 身体の昂ぶりがあれば、それを鎮めるために、誰かを抱いているかもしれない。 すべて可能性の話だけど、考えていて楽しい事じゃなかった。 自業自得の不愉快を、更衣室のロッカーの扉にぶつけた。 静かな室内に、ばん、と派手な音が響く。 勢い余って、一度閉まった扉が再び開いてしまった。 物にやつあたりをした自分自身の未熟さに気を落とし、今度は普通に扉を閉じた。 こんな姿、とてもじゃないけど子ども達には見せられない。 早く家に帰りたくなって、何とか顔を繕って玄関へ向かった。 まだ外はオレンジ色に染まっている。 振り向いて足元を見ると、太陽の位置が低いせいで、黒い影が細長く伸びていた。 しょんぼりした肩も間延びして、余計に下がっている。 暗い影に引き込まれそうな気がして、慌てて踵を返した。 すると今度は、正面から差す夕日が眩しい。 「イルカ先生」 俯き加減で校庭に立ち竦んでいると、丁度向かい側からイルカを呼び止める声がした。 目を細めて先を伺うと、門柱に寄り掛かる人の輪郭が確認出来た。 イルカよりも細長い影がこちらへ歩み寄ってくる。 「一緒に帰りましょう」 銀色の髪がオレンジ色を吸収して、後光が差しているように見える。 「お疲れ様です、カカシ先生」 「…何か、あったんですか?」 情けない姿勢で立っていた所を見られてしまったようで、カカシの表情が少し曇った。 カカシが待っている事を全く考えていなかったイルカが悪いのだけど、余り見られたくない姿を一番見られたくない人に見られてしまった。 更に沈みそうになる気持ちをひた隠し、表面に笑顔を貼り付ける。 カカシが待っていてくれた事は純粋に嬉しかったけど、半分は作り物の笑顔になった。 「カカシ先生こそ何かあったんですか?」 イルカの事から話を逸らせるためと、待っていた理由を聞きたくて、カカシへ問い掛けた。 用もないのに、わざわざイルカを待ったりはしないだろう。 質問から逃げた事を責めるでもなく、カカシの顔に微笑みが広がる。 「オレ…?オレはただ、イルカ先生に会いたかったから」 一瞬、眉尻が下がって涙が出そうになった。 嬉しいと悲しいが交互にやって来て、その落差に息が止まる。 こうやってカカシは、イルカの胸の内側が震えるような言葉を、するりと口にしていくのだ。 すぐに顔の強張りを解き、新たな笑顔を再び表面に貼り付ける。 ここに来る前は、どこで何をしていたのかわからない人だ。 イルカとの帰路を終えたら、次はどこへ行って何をするのかなんて、もっと考えたくない人なのだ。 「俺もカカシ先生に会いたいと思っていたので嬉しいです」 本心を言っているのに、嘘を吐いているような気がして、胸がちくっとした。 それでもカカシは、目を細めて嬉しそうな顔をする。 その顔を見て、また胸が痛んだ。 カカシは単に、相手が喜びそうな軽口をたたいて、そのやり取りを楽しんでいるだけ。 「じゃ、行きましょうか」 「はい」 触れたいものに手が届きそうで届かないもどかしさ。 イルカがカカシに抱いている気持ちと、カカシがイルカに抱いている気持ちの温度差が、一向に埋まらない。 カカシが今まで不誠実だった事はないが、イルカ以外に情人がいないのはおかしいと思う。 イルカが営む安穏とした生活に満足するような人じゃないはずだ。 もっと華やかで刺激のある生活の方がカカシらしい。 「イルカ先生、何考えてるの?オレがいるのに余所事考えるのはナシですよ」 カカシの事を考えていた、と正直に言うには内容が深刻過ぎた。 本当の事が言えないなら、当り障りのない事を言って誤魔化すしかない。 「すみません、仕事の事が頭から抜けなくて」 「忙しいんですか?」 「いえ、あの、ナルトみたいな問題児が多くてどうしたものかと」 カカシから同情するような苦笑が聞こえた。 覆面で顔のほとんどが隠れていても、表情が伺える距離にいられる事が嬉しい。 イルカはこういう穏やかな空気が好きなのだけど、カカシにはきっと物足りないだろう。 もうすぐ分かれ道。 イルカは真っ直ぐ行くが、カカシは右に曲がる。 この雰囲気のままでさよならしたら、今夜は朗らかに過ごせるような気がする。 「普段は隠してるけど、オレね、どこで何しててもイルカ先生の事ばっかり考えてるんです。だから、ちょっとくやしいです」 唇が震えた。 別れ際になって、そんな事を言っていかなくてもいいじゃないか。 せっかく、心穏やかな夜が手に入る所だったのに。 やって来た分岐点で、歩調を変えずに通り過ぎようとする。 そうすれば、変な違和感なく別れる事が出来るから。 「カカシ先生は向こうですよね。それじゃぁ…」 「えっ、家まで送りますっ。もう少し一緒にっ」 「でも…」 立ち止まっていた所をカカシに押され、イルカ宅への道を共に進む事になった。 毎日通る道なのに、2人で歩いているだけで何かが違って見えてくる。 「明日はカカシ先生もお休みでしょう。…これから予定があるんじゃないですか?」 ひと月に何度もない指定休日だし、私生活の忙しそうなカカシなら先約があるだろうと気を回した。 カカシの人差し指がイルカに向けられる。 あなたこそ、と言われているようだが、生憎イルカの予定は皆無だった。 あえて挙げるなら、掃除や洗濯などの家事をするくらいだ。 「明日休みだから、これからイルカ先生と過ごしちゃいけませんか」 「え…?他に予定があるなら、そちらを優先して下さっても…」 「何を言ってるんですっ。大体ねぇ!あなたオレの事何だと思ってるんですか!」 指を差された辺りから、カカシが怒っている事に気が付いた。 カカシの都合を気遣ったつもりの発言が悪かったようだ。 「付き合う事は了承したくせに、思わせぶりな態度だけ。そんなの恋人とは言わない」 「か、カカシ先生…」 「オレに心を許してよ…。あなたの中にオレの居場所を作って…」 苦しそうに呟く姿を見て、ようやく今までの恋愛経験なんて関係ないのだと悟った。 この日を境にして、イルカの意識は大きく変わり始めた。 |