毎日毎日、猛暑と多湿。 生徒達は夏休みだけど、教員達は通常出勤だ。 しかも電気代削減のために、アカデミー内の冷房は28度。 冷房を28度に設定しても、人の熱気や機械の熱で、室温は常に30度を下らない。 一般人から見ると悪辣な環境かもしれないが、忍はこんな時でも屋外の任務が回ってくる。 強烈な日差しを避けられる室内にいられるだけ、内勤者は恵まれた環境に身を置いているのだ。 イルカが心配なのは、下忍になりたての子ども達だ。 忍になる前は、真夏の昼間に外に出ている事を苦に思ったりしないのに、任務となると一変する。 楽しい事だけして遊んでいる訳にはいかないのだ。 自己管理が不得意だった子は特に心配で、毎年この時期は仕事が手に付かなくなる。 卒業したばかりのナルトなんて、がむしゃらに頑張る子だから、疲れている事にも気付かない。 違う班ではあるが、シカマルのような子が傍にいてくれるとバランスが取れて良いのだけど。 それは単純にイルカの親心のようなもので、本心では、サスケとサクラで組むスリーマンセルが一番合うと思っている。 指導がカカシという所も含めて。 暑さで集中しきれない受付所で、座っているだけでも汗が垂れてくる。 こういう日に、仕事の後のビールは最高に旨い。 今日はイルカから声を掛けて、カカシを誘ってみようか。 まだ昼前だというのに仕事の後の事を考えてしまうなんて、イルカには珍しい事だった。 カカシの予定が空いていればいいのに、と、また仕事を抜きにして物事を考えている。 「イルカ先生ー!」 もう一人の受付者に、すいません、と声を掛けて、軽く頭下げる。 初めての事ではないので、彼も苦笑しただけだった。 入り口の方に目をやれば、サスケとサクラが見える。 ナルトが窓口の机に手を付き、身を乗り出して大声で叫んだ。 「カカシ先生が休んでるスキに、かっこいい任務とかないかってばよ!」 「なっ…!」 「さっきさ!犬が来て、カカシ先生がカゼ引いたから今日は自主トレしろって!」 ナルトの言った『犬』とは、カカシの忍犬の事だろう。 風邪を引いたというのは本当だろうか。 「だからさ!」 「こらー!カカシ先生が自主トレしろって言ってるんだから、上司の言う事を聞けー!」 「うわっ!こえー!」 ナルトが入り口の方へ走って逃げる。 サスケとサクラもイルカの怒声に驚いて、ナルトを待たずに先に逃げ出した。 「いつもすいません」 もう一度、隣の受付者に謝って、イルカは上忍の勤務表を確認した。 今日のカカシは、確かに下忍達と共にDランク任務が入っている。 下忍を受け持ったばかりの上忍は、育成以外の任務は免除されるはずだ。 だとしたら、本当に風邪を引いたという事だろうか。 夏に風邪を引くなんて珍しいけど、昼休みにカカシの家へ様子を見に行こう。 もし一人で苦しんでいたらかわいそうだし。 家にいなければ、病院に行っているかもしれない。 とりあえず動ける事がわかれば、カカシの無事は確認出来る。 いつもは長く感じる1時間の昼休みも、今日は短くなりそうだ。 * * * * * カカシの家には何度か招待された事がある。 旨い酒を貰ったから一緒に飲もうと言われて。 カカシに酒を渡すのは、決まってアスマか紅だ。 二人とも酒好きの酒豪だそうで、そういう人は、旨い酒を誰かに勧めるのが好きな人が多い。 本当はカカシと一緒に飲みたいようなのだけど、二人の勢いに合わせていられないカカシが断ってしまうらしい。 そのお相伴にあずかっているのがイルカだ。 だから、カカシの家に来る時は旨い酒がある時。 それ以外で来るのは初めてだった。 控えめにドアを叩き、中の気配を伺う。 ドアに耳を当てると、何かが走って来るような音がした。 それが近くまで来ると、今度はドアを引っ掻くような音に代わる。 かちゃ、という鍵が開いたような音が聞こえたので、ドアから少し離れて次の出方を待った。 「入れ」 聞いた事のない声と共に、足の先が入るくらいの隙間でドアが開く。 イルカが中に入ろうとすると、足元に一匹の犬が座っていた。 彼がカカシの忍犬か。 「こっちだ」 犬が部屋の奥へ走って行くので、イルカも慌ててぞうりを脱いで追い掛けた。 いつもお邪魔していた居間を通り過ぎて、奥の部屋の前まで行くと、犬の足が止まる。 彼はイルカの到着を確認すると、僅かに開いているドアの隙間から身体を捻り込んだ。 この部屋にカカシがいるのだろうか。 息を飲んで、そっとドアを開けると、中からものすごい熱気と湿気が吹いて来た。 呻き声が上がりそうになるのをぐっと耐える。 部屋の角にあるベットに、カカシが布団を被って横になっている。 近付いて覗き込むと、額宛も口布も取っている素顔から、止めどなく汗が噴き出していた。 本当にカカシは風邪を引いていた。 しかも、かなり具合が悪そうだ。 「大丈夫ですか?」 「あ…、あっつい…」 冷房をつけるよりも先に、空気を入れ替えた方が良いと思って、窓を全開にした。 ぬるい風が入って来たが、風が通った分、少しだけ爽やかさを感じる。 タオルの場所がわからないので、ポケットから出したイルカの手拭いでカカシの顔を拭いた。 一端台所へ行って手拭いを水で濡らし、それで再びカカシの顔を拭く。 換気のために開けていた窓を閉め、すぐに冷房の電源を入れた。 すぐに涼しい風が吹いてくる。 「…すみません、ね…」 「いいえ。のど渇いてませんか?何か食べます?」 「…冷たい…そうめん、食べたい…」 カカシの頭上にある目覚まし時計をちらっと見て、昼休みの残り時間を確認する。 イルカの家になら乾麺のそうめんと、水で薄めるだけの即席めんつゆがある。 薬味はないが、うめぼしでも持って来れば塩分の摂取は出来るだろう。 「そうめんですね。わかりました。ちょっと待ってて下さい」 時間に余裕がなさそうだったので、急いで家を出ようとしたが、カカシの声が擦れていた事を思い出した。 台所に寄って水を汲み、コップをカカシの枕元へ置いてから、自宅へ戻った。 すぐに、乾麺のそうめんと、即席めんつゆと、うめぼしを用意してカカシの家に再訪問だ。 炎天下の中で走り回って、たくさん汗をかいても、カカシの部屋は冷房がきいている。 その幸せを考えれば、暑くても苦痛を感じない。 涼しい部屋でカカシと一緒にそうめんを食べ、時計を見たら、食器や鍋を洗う時間がなくなっていた。 申し訳なかったが、夕方に片付けに来ると約束して職場に戻った。 何とか仕事に区切りを付けて定時に上がり、一日で三度目になるカカシの家へ訪れた。 鍵を開けてくれた忍犬に会釈で礼を言い、真っ先にカカシの寝室へ向かう。 カカシはベットの縁に寄り掛かって本を読んでいた。 「もう大丈夫なんですか?」 「…イルカ先生が泊まってくれたら…明日の朝には元気になるんですけど…」 いつもの飄々とした雰囲気がない所を見ると、さすがにまだ全快とはいかないようだ。 どことなく、弱々しくて頼りない。 しかし、イルカが宿泊する事とカカシの症状が良くなる事と、どういう関係があるのだろう。 熱帯夜でも安眠出来そうな涼しい部屋に泊めてもらえるのは、非常にありがたい事なのだけど。 「イルカ先生がいてくれるだけで、安心して眠れると思うんです。だから」 カカシに優しい事を言われると、弱いイルカはあっさりと傾いてしまう。 冷房の甘い誘惑には逆らえない。 「そこまでおっしゃるのなら…。ご迷惑でなければ泊まらせて下さい」 カカシの笑顔が、イルカの後ろめたさに追い討ちを掛けた。 病気の人が心細いと言うから、看病のために泊まるんだ。 決して冷房の部屋でぐっすり眠るためではないのだ。 「じゃあ俺、昼の洗い物と夕飯の買い物に行って来ます」 イルカの下心通り、その晩は久しぶりに熟睡出来た。 だから、朝起きた時の驚きは大した事じゃない。 建て前の看病を実践するために、カカシのベットの横に敷いていた布団で、カカシと一緒に眠っていたなんて事は。 |