任務帰り、街がやけに騒がしいと思ったら、濃紺の夜空に色鮮やかな火花がでかでかと広がった。 どうやら今日は木の葉の花火大会のようだった。 確か花火大会は夏祭りと同日に行われていたと思う。 その情報すら不確かなほど、カカシは里の祭事や節句事に疎かった。 たまたまカカシが小さい頃から行事に縁が薄かったからかもしれないが、そういうものを楽しむという感覚が余り育たなかったのだ。 むしろカカシには、大勢の人々が同じ方向を向いて花火に顔を照らされている様子は異様な光景に見えた。 参道には花火には目もくれずに夜店に夢中になっている人もいるが、その人達はその人達なりに夏祭りの楽しみ方を知っているのだろう。 カカシはその人混みの中で、見知った動きをする頭部を発見した。 ひとつに纏めた黒髪を愛嬌たっぷりに揺らし、無邪気に歩いている浴衣姿の男性。 彼がカカシの目に留まったのは、大人より背の低い子ども達数人に囲まれているせいだった。 そこだけまるで何かの目印のように、人混みが窪んで見える。 はっきり言ってカカシは、花火にも夜店にも全く興味がない。 けれど、遠目で見るだけでも浴衣を着たイルカには非常に興味が湧いた。 下心があるために、のどの奥で唾を飲み込む音がやけに耳に付く。 着るだけで着た人の魅力を上昇させる浴衣の魔力に、カカシは呆気なく魅了されてしまった。 ましてや気になる人が着ているとなれば、その効果は何倍にもなるだろう。 カカシは浮かれた気持ちを抱え、静かに参道へと降り立った。 行き交う人々をひらひらとかわし、イルカの傍に寄って行く。 カカシの前方から吹いて来た風に、ふわりとイルカの匂いが乗ってきた。 きっとイルカは、後ろにカカシがいる事や、そのカカシがイルカの匂いに昂ぶっている事になんて全く気付いていないだろう。 獲物を狙う肉食動物のように、慎重にイルカとの距離を詰める。 すると、子ども達を連れたイルカの足元が、思いの他ふら付いている事が明らかになった。 酒を飲んでいるのかもしれない。 その考えに、より一層カカシは自分が追い詰められて行くのを感じた。 「イルカ先生…」 カカシの切ない呼び掛けに、イルカはもったいぶる事もなくあっさりと振り返った。 「カカシ先生?」 夜店の薄明かりでも、イルカの目元にほんのり赤みが差している事が見て取れた。 祭りで子ども達を引率するのに、これだけの色気は必要ないだろう。 こんな教師では、子ども達よりもイルカの方が格段に危険度が高い。 盛り場に多い悪い大人にしてみれば恰好の標的だ。 「あれ?今日は任務でしたよね?」 「ええ。今帰りなんです。…イルカ先生、飲んでません?」 イルカは見つかってしまったという顔をして舌を出し、いたずらっぽく笑った。 子どもよりも子どもらしい表情。 その素直で純粋な仕草に、カカシは更なる危機感を覚えた。 「生徒を連れてるって見ればわかるのに、さっき知り合いに会った時に飲まされてしまいました」 「駄目じゃないですか。危ないからオレもイルカ先生とご一緒します」 あなたが誰かに襲われでもしたら大変だ、とまでは言わなかったが、カカシは半ば強引にイルカ付いて行く事を決めた。 「…すみません」 イルカの声音が急に消沈したものに変わる。 カカシはその変化を、申し訳ないという思いから来ているのだろうと勝手に決め付けていた。 小さな団体で参道を下り、賑わいの薄れた歩道まで出る。 そこでイルカが子ども達に解散を言い渡し、彼らは散り散りに帰路へと着いて行った。 残された大人二人で、子ども達の背中が見えなくなるまで見送る。 当たり前ではあるが、これで何事もなく無事にイルカの引率が終わった。 ここからがようやく大人の時間の始まりだ。 実はカカシはずっと、普段よりかなり露わになっているイルカの襟足や首筋から目が離せないでいた。 「イルカ先生」 呼び掛けると、子ども達を見送っていたイルカの背中がびくりと揺れた。 カカシが参道で声を掛けた時とは違って、今度は振り返ってくれない。 「これからお時間ありますか」 少し身体を強張らせたイルカから緊張感が伝わってくる。 「何かお話がお有りでしたら、今ここで伺います」 かしこまった口調でカカシに向き直ったイルカは、酒のせいで頬を赤く染めている以外は仕事中に見せる顔と同じ顔をしていた。 カカシは仕事の後の一杯を共にするような感覚で口にしたのに、イルカの表情は仕事の延長としか言いようのない堅苦しさに満ちている。 「特に話がある訳じゃないんです。ただ、せっかく会えたんだし、これから飲みにでも行けたら良いなあと思って」 イルカの警戒心を解こうと、出来るだけ柔らかい表情を心掛ける。 「…怒ってないんですか?」 思い掛けないイルカの返答に、細めていた目を見開いた。 カカシの真意を探っているのか、イルカが斜め下から上目遣いでカカシを見つめてくる。 その視線に、カカシの心拍数は明快な反応を示した。 何気ない拍子に放たれるイルカの色香には、カカシを打ちのめす計り知れない威力がある。 「怒ってませんけど…。えーと…、何かありましたっけ…?」 「さっき…。生徒を引率しているのに飲酒するなんて駄目だ、って言ったじゃないですか…」 「…はい。確かに言いました」 「子ども達に何かあった時に咄嗟の対応が遅れるというご指摘はごもっともで…」 「いや、あれはそういう意味ではなくてですね」 カカシは自分の失言を今更になって後悔した。 イルカの性格をしっかり配慮していれば、もっと違う言い方だって出来たはずだ。 取り返しのつかない事になる前に気付かせてもらえて良かった。 「ま、子ども達もそうですけど…。それよりオレはイルカ先生ご自身が危ない目に遭う可能性を見落としているように思えて、つい強い口調になってしまったんです」 「俺が、ですか?俺は大丈夫ですよ。うら若き女性とは違うんですから」 イルカはいかにも他人事としか考えていない様子で軽々しく笑っている。 「何を言ってるんですか!そんなだからオレは心配なんですよ…」 カカシの本気を悟ったのか、イルカの笑顔がぴたりと止まった。 目を伏せ、視線がカカシから逸らされる。 「…カカシ先生は優しいんですね」 そう言ってイルカが顔を上げた。 表面は笑顔で覆われているけれど、感情を抑え込むように眉間に皺が寄せられている。 見方によっては泣きそうな顔にも見えて、それに気が付くとカカシは何も言えなくなってしまった。 「今日はやめておきます。カカシ先生も任務帰りなんですから、家でごゆっくりなさって下さい」 一礼をして踵を返したイルカが、そのまま歩き出してしまった。 外灯の少ない歩道を、頼りない背中がとぼとぼと遠ざかる。 寂しげなイルカの後ろ姿に、カカシは胸の奥を絞られるような息苦しさを感じた。 もう堪らなくなって、無意識にイルカを追っていた。 暗がりでもほの白く浮かび上がるイルカの手首へ、誘われるままに手を伸ばす。 「イルカ先生…」 強く掴んでイルカを引き戻し、振り向いた所を無理矢理胸の中に抱き込んだ。 逃げられないように、両手でしっかりイルカを包む。 「好きです…」 耳元で囁き、イルカの匂いを肺一杯に吸い込んだ。 抵抗されない事に安堵して、イルカの肩口から顔を離し、イルカの唇に自身のそれを重ねようとイルカの顔を覗き見る。 するとイルカは、声も吐息も殺して一人で涙を流していた。 驚きと、急激に膨れ上がった不安とで、カカシの身体は完全に動きを止めた。 「す…すみません…」 イルカを見つめて、何か言わなければと思って出た言葉がそれだった。 はらはらと泣き続ける姿にカカシの罪悪感は煽られるばかりで、泣き止む方法の一つも思い浮かばない。 「お…俺も、カカシ先生が…」 立ち尽くしていたカカシの首に縋るようにイルカの両腕が回され、今度はイルカの頭がカカシの肩口に寄せられた。 そして、先程カカシが耳元で囁いた言葉と同じものがイルカの口から発せられた。 真っ白だったカカシの脳が一気に覚醒する。 「イルカ先生、もう一回…」 カカシの肩に押し当てられたイルカの口から、くぐもった声で確かに『好きです』と聞こえた。 それを合図に、目の前に無防備に晒されたイルカの首筋に唇を押し当てる。 びくりと良い反応が返って来ると、カカシは口付けを徐々に下の方へと移していった。 鎖骨に噛り付きながら浴衣の襟を広げ、開いた隙間から手を侵入させる。 「あ…」 僅かに盛り上がった胸の突起をしつこく撫で回すと、イルカから吐息のような声が漏れた。 「カカシ先生っ、か、帰りましょうっ」 イルカの脇腹をなぞると、甘い声ではなく焦ったような困ったような声が上がった。 カカシの胸を両手で押し返してくる。 イルカなりに精一杯の力を込めているのだろうが、その弱々しさはかなりのものだった。 耳に息を吹き掛ければ簡単に崩れ落ちてしまいそうなほど。 「じゃあ約束して下さい。帰ったら続きをするって」 イルカと密着しているだけで緊迫する下半身を何とかやり過ごし、どう転んでもカカシに有利な妥協案を提案した。 すると、一度考えを巡らせたイルカも、恥ずかしそうに静かに頷いた。 満面の笑みでイルカの横に並び、そっと腰を引き寄せる。 抱いた腰を意味ありげに撫でながら帰路を促すと、イルカは首まで赤くして俯いてしまった。 色取り取りに咲く花火なんかより、浴衣を着て赤一色に染まったイルカの方が、よっぽど夏の風情を味わえそうだ、とカカシは心の底からそう思った。 |