およそ1ヶ月間の雨季に入り、毎日どんよりした天気が続いている。
天気についてカカシは別に気にしない方だったのだけど、ここ数年はそれが変わってきた。
天気が悪いと、イルカがあまり楽しそうな顔をしてくれないから。
洗濯物の乾きが悪いとか、屋外演習で生徒が風邪をひくんじゃないかとか。
買い物に行くにも傘を持っていたら荷物が持ちづらい、とも言っていた。
買い物については、出来るだけ一緒にいてイルカの手伝いをしている。
だけど、それだけではイルカの表情は曇ったままだ。
忍者としてはエリートと言われているカカシでも、さすがに天候まではどうする事も出来ない。
恋人が喜ぶ事は何でもしてあげたい派のカカシとしては、天気もどうにかしたい所ではあるけれど。
でも、本当はそれが矛盾している事を知っている。
カカシが実際に天候を左右する能力を持っていたら、イルカは雨季に晴れを望んでいる事を必死になって隠すだろう。
そして、そういう姿が容易に予想出来るイルカの事が、何年経っても変わらず大好きで堪らない。
室内にイルカしかいないのを良い事に、感情を正直に表に出す。
「何笑ってるんですか?」
すかさず見咎めたイルカが、何も解っていない顔で首を傾げた。
イルカには、雨の日ににこにこしているカカシが不可解に見えるのかもしれない。
「今日も雨だなあと思って」
ますます訳が解らないという顔をして、イルカが唇を尖らせた。
微笑んだままで、カカシもイルカを真似て唇を尖らせる。
「もう。子どもじゃないんだから、やめて下さいよ」
イルカが困った顔で笑った。
雨の日のイルカはどことなく寂し気で、出来ればそれをカカシの力で何とかしたい。
方法はどうであれ、少しでも長くイルカには笑顔で居てほしいから。
子どものように振る舞ったのも、その余興の一つ。
「まだ雨は降ってるけど、そろそろ買い物に行きませんか?」
そしてそれは、買い物に誘うための前置きのようなものでもある。
雨は止んでいないけど良いですか、という許しを乞うための。
「…すいません。気を遣わせてしまって」
申し訳なさそうな顔をして、イルカが立ち上がる。
良い雰囲気というものは長続きしない。
こういう顔をさせたくないからおどけてみせたのに、今日は結局徒労に終わってしまった。
軽く身支度を整えたイルカが玄関で靴を履き、かかとに人差し指を差し込んだままカカシを振り返る。
「一緒に来てくれないんですか?」
珍しく本心を顔に出して寂しそうに笑ったイルカを見て、カカシは自分の行動の遅さを心底呪った。
慌ててイルカの傍に行き、謝罪を込めて後ろからそっと抱き締める。
カカシがもっと気の回る人間だったら、今の寂しそうな顔はさせずに済んだ。
「置いてかないで下さい」
子どもっぽい甘え方をするカカシに、イルカの苦笑が返って来る。
それに安堵してイルカを開放し、傘を一本だけ持って外へ出た。

* * * * *

イルカの部屋を出てからすぐに雨足が弱まり、そのまま一時的に雨が止んだ。
それだけで、イルカの緊張が少し解けた気がする。
「あ…」
「鐘の音ですね」
イルカの住む住宅街から商店街へ行く途中に、小さな教会がある。
礼拝ぐらいしか利用されない施設かと思っていたけど、礼拝の時に鐘は鳴らない。
「あの飾りみたいな鐘って本物だったんですね。オレ初めて聞きましたよ」
この道を頻繁に通るようになってから何年も経つのに。
イルカは初めてではないようで、何か物思いに耽っている。
そのまま気に留めずに歩き、教会の前を通った時。
鐘が鳴った理由が明らかになった。
同時に、イルカが鐘の音に反応した理由も。
「幸せそうですね」
教会の前で花かごを持っている人達に囲まれ、純白の装いに包まれた男女がイルカの言う通り幸せそうに佇んでいる。
遠い目をして眺めているイルカの言葉に羨望は含まれておらず、ただ見た目の感想を口にしただけのように聞こえた。
「俺はもう諦めましたけど」
イルカのその一言に安堵の吐息が漏れそうになって、慌てて飲み込む。
そういえば、どこかの国に、誰からも祝福される月という事で6月に婚姻を結ぶ風習があるらしい。
最近は火の国でも他国の風習に感化されて6月に挙式を行う男女が増えている、と聞いた事があるけれど。
わざわざ晴れの舞台を雨季に行う事もないのに、とカカシは単純にそう思う。
「ああいうのを見ると、やっぱり考えちゃいますね」
予想外の方向に展開したイルカの言葉に、カカシの胸に不穏な空気が立ち込める。
イルカの悪い考えを思いとどまらせるには、どう答える事が一番正しいのか。
それを逡巡している内に、イルカからまた新たな課題を突き付けられた。
「カカシさんはこのままでいいのかなって」
「やめて下さいっ」
咄嗟には出たのは、酷く安直な制止の言葉だった。
言い訳のように言葉を綴る。
「あの、オレはもう…イルカ先生と結婚してるつもり、ですから…」
イルカの手を引いて、立ち止まっていた足を強制的に動かす。
こんな所に居るから変な気分に飲まれてしまうのだ。
荒々しい歩調で教会から離れ、イルカを振り返る。
「…ありがとう…ございます…」
俯いていた顔を上げ、イルカが小さく呟いた。
でも、全然嬉しそうな顔をしていない。
僅かに眉間に寄った皺が、イルカの寂しさや哀しさを物語っている。
短い付き合いではないので、カカシにもイルカの考えそうな事に見当が付いていた。
イルカは、本人達の気持ちを無視した里の意向を恐れているのだ。
「ちょっと寄り道して行きましょうか」
少し強引ではあったけれど、カカシは慰霊碑へイルカを連れて行く事にした。
カカシはイルカと一生添い遂げると決めてから、一つの覚悟を決めている。
もし里からイルカを奪われるような要求が来たら、カカシの命に代えても拒否の姿勢を崩さないと。
朝靄に包まれながら、オビトや四代目の前で誓った。
そしてそれは、慰霊碑に行くたびにカカシの胸に刻み続けている。
「イルカ先生にお願いがあります」
二人で石碑の正面に立ち、イルカと向かい合う。
繋いでいた手を引き寄せ、ふらついたイルカをしっかり抱き締めた。
「か、カカシさんっ」
慰霊碑には、イルカの両親の名前も刻まれている。
それを承知で耳元で囁く。
「ここで誓いのキスをしてくれませんか…」
抵抗していたイルカの手がぴたりと止まった。
イルカだって、ここでそれをする事がどんなに重要な事なのか解るはずだ。
カカシの大切な人達も、イルカの大切な人達も、里のために命を掛けた英雄達も、みんながその証人になるのだから。
抱き締める腕を緩め、片方はイルカの頬に添える。
いつの間にか降り始めていた霧雨で、カカシの手もイルカの頬もひんやりしていた。
「良いって言って…」
イルカの瞳が迷いに揺れているように見え、それ以上先に進めない。
突然の出来事に戸惑っているのかもしれないと思って、今日は諦めようと口を開きかけた。
すると、唇に柔らかくて温かいものが触れ、続く言葉を奪われる。
全てを受け入れるように目を閉じれば、世界に二人しかいないような、大勢の人達に囲まれているような、どちらとも言えない不思議な感覚に覆われた。
懐かしい人の顔が次々と浮かんでくる。
その中で、三代目も微笑んでくれたような気がした。
「ずっと…離しませんからね…」
口付けの合間に漏れたイルカの掠れ声に、カカシからの口付けを深くする。
そうやって、静かな雨の中、神聖な儀式は人知れずひっそりと執り行われた。






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2006.06.25