特に関心のなかったバレンタインデーが嫌いになったのは2年前。 複数の女性から、高価なプレゼントを貰っているカカシの姿を見てからだった。 その1年後、更にイルカはバレンタインデーが嫌いになった。 交流があるという理由で、カカシ宛のプレゼントの橋渡しを頼まれるようになったのだ。 簡単な運搬役だからと、最初の一つを軽い気持ちで引き受けたのが、そもそもの間違いだった。 瞬く間に情報が広がり、その日の内にイルカ一人で持つには苦労するほどの量が集まった。 しかし、本当の後悔は、預かったプレゼントをカカシに手渡した直後にやって来た。 申し訳なさそうに礼を言ったカカシが、当たり前のように大量のプレゼントを受け取る。 何の変哲もないその光景が、イルカにはとても衝撃的だった。 この時になって初めて、自分がカカシに対して淡い期待を抱いていたのだと自覚した。 世間の目やカカシの目からは単なる知人としか思われていなかったのに。 乾いた笑いを浮かべるだけで精一杯だった。 イルカは、出会い頭の失恋に対応出来るほどの経験や知識なんて持ち合わせていない。 幼くて貧しい発想ではあるけれど、イルカにはカカシとの付き合いに明確な一線を引く事しか出来なかった。 そして、嫌いになってから3度目のバレンタイン。 同じ失敗を繰り返さないために、あらかじめイルカは14日に休暇が取れるように申請を出していた。 だけどもう、この役目から逃れられない運命なのかもしれない。 バレンタインデー前日の今日。 既にイルカの手元には、前年を上回る量のプレゼントが押し寄せていた。 * * * * * イルカが帰宅する頃には、心に蓋をして腹をくくっていた。 不可抗力だとしても、預かってしまった物はカカシに渡すしかないのだ。 イルカが席を外している隙に勝手に机に置いていかれたら、どうする事も出来ない。 明日の夜にでもカカシの家へ行って、さっさと渡してしまおう。 本命に用意したと一目でわかるような洒落た紙袋は、イルカの古い家には似合わない。 視界に入るたびにちくちくと胸を刺し、イルカの心を掻き乱した。 イルカにプレゼントを託した人達の気持ちが解るから、ないがしろにも出来ない。 ふっと溜め息を吐き、眉間の皺を揉みほぐす。 そうしていると、唐突にイルカの部屋を訪ねて来る人の気配がした。 警戒心を持ちながら玄関へ行き、恐る恐るドアノブに手を伸ばす。 その時になって、ようやくドアがノックされた。 「突然お邪魔してすみません」 ドアを押し開いた途端に聞こえた声に、イルカは驚きを隠せなかった。 「カカシ先生…」 カカシがわざわざイルカの家までやって来る理由を必死に考える。 でも頭に浮かぶのはバレンタインの事ばかりで、肝心なものが何も思い浮かばない。 緊張した面持ちのカカシに、ますます思考は空回りする。 「不躾で申し訳ないんですが…、明日イルカ先生が休暇を取ったというのは本当でしょうか」 「あ…、はい。本当です」 珍しくポケットから出ているカカシの指先が固く握り込まれた。 動揺しているように見えたが、カカシほどの上忍がイルカ程度の中忍の前でそんな姿を晒す筈がない。 「明日、何か予定があるんですか」 「いえ。別に何もありません」 咄嗟にそう答えていたが、何もないのに休むなんて不届き者だと思われたかもしれない。 馬鹿正直な自分が情けなくて、俯いてカカシから目を逸らした。 カカシに明日の事を探られるのはつらい。 これ以上追求されないように、イルカは自分から話題転換を持ち掛けた。 「俺に何か伝達ですか?上忍の方に来て頂くなんて恐縮です」 かしこまった笑顔を貼り付けてから顔を上げる。 「いえ、業務連絡とかではなくて…」 「そうだ、丁度良かった。カカシ先生に渡したい物があるんです」 唯一表情が読み取れる右目が、驚いているように見開かれた。 いつもと様子が違うカカシに戸惑いながらも、紙袋を取りに一端部屋の奥へ引っ込んだ。 小さいがたくさんの紙袋を両手から下げ、玄関へ持って行く。 「お待たせしました」 「これって…」 「今年もカカシ先生へのプレゼントを預かったんです」 両手をカカシの方へ突き出し、受け取るように促した。 ぎこちなく伸びた手が、無言でそれらを掴み取る。 昨年はお礼の言葉をくれたけど、今年は何も言ってくれない。 カカシには、イルカがプレゼントの橋渡しをする事は当たり前の事になってしまったのだ。 イルカの存在の希薄さを突き付けられたようで、笑顔を保つのが苦しくなってくる。 咽喉の内側に痛みを覚えると、同時に涙腺まで緩んできた。 このままでは泣いてしまうかもしれない。 「本当は明日の夜にカカシ先生のお宅にお邪魔しようと思っていたんです」 カカシに気付かれないように、何でもない事を装って普通に会話を続けた。 ちゃんと笑えているだろうか。 「本当はオレも、明日イルカ先生の家に伺おうと思っていたんです」 そう言うとカカシは、両手一杯の荷物を床に置き、一つの包みをイルカに差し出した。 「もし良かったら、これ…受け取ってもらえませんか」 カカシの言っている事が信じられなかった。 どうしてカカシ宛のプレゼントを分配されなければならないのだ。 唇が小刻みに震える。 言ってはいけない事だと思っても、抑え切れない気持ちが溢れ出してしまった。 「…同情されるほど憐れに見えますか…」 「え…ちがっ、そんな事っ」 野暮ったいイルカに対するカカシの善意なのかもしれないが、贈った人の気持ちを考えたら受け取る事なんて出来ない。 それともカカシは、捨てられるよりは誰かに貰われた方が贈った人のためになるとでも思っているのだろうか。 廃棄物と同等のどうでもいい物は、カカシにとってもどうでもいい人物に押し付けてしまえという無責任な気持ちで。 さすがにそこまでカカシに見下げられているとは思っていなくて、卑屈な言葉が口を衝いて出た。 「…中忍だからって馬鹿にしないで下さい」 「馬鹿になんてしてません…!これはオレがイルカ先生に渡すために用意した物なんですっ」 見え透いた嘘なんかに騙されて堪るか。 余計惨めになる。 「用が済んだのなら帰って下さい」 強い口調で言い放った。 冗談として笑って流せたらどんなに楽だったろう。 いくらカカシが目上の人でも、やって良い事と悪い事がある。 「イルカ先生がバレンタインデーに休みなんて取るから…。オレには恋人はいないって言っておいて本当はいたんじゃないかって」 思い詰めたようなカカシの声に怯み、イルカの剣幕が削がれた。 「大慌てで確認しに来てみたらイルカ先生に荷物渡されて…。オレにプレゼント用意してくれたのかと思ってぬか喜びまでして」 「何を言って…」 「本当は明日伝えようと思っていたんです。…イルカ先生が好きだって」 カカシの言葉に頭が真っ白になった。 呆然と目の前の男を凝視する。 頭と違って正常に機能している視神経が、イルカの方へ伸びてくるカカシの手を見つめていた。 力強く引き寄せられ、カカシの腕に包まれる。 「こんな物は受け取ってくれなくてもいいから…。だからオレの事…好きになって下さい…」 日常生活ではあり得ない至近距離から聞こえる声に、イルカの身体がびくりと震えた。 「1年間ずっと後悔してたのに、今年も同じ事を繰り返して…」 「…1年…間…」 「去年のバレンタインからイルカ先生の態度が豹変したのぐらい、オレだって気付いてました」 カカシの証言を聞き、胸に痞えていた霧が晴れていくのを感じた。 浄化されていくイルカの身体から、清らかな涙が零れ落ちる。 「もう…遅い…」 「運搬させてしまった事、許してもらえませんか…。あなたのためなら何でもしますから…」 縋るように抱き締められ、答えの代わりにカカシの背に腕を回す。 「…俺は…2年前からカカシ先生の事が好きになってましたよ…」 声は擦れてしまったが、これだけ近い距離なら充分に聞き取ってくれただろう。 カカシから吐息のような返事が聞こえた。 これから先、バレンタインデーは嫌いなままだとしても、バレンタインデーの前日は好きになれるような気がした。 |