休暇を入院に費やしたカカシは、退院した途端にナルトの修行の監督に就くそうだ。
昨日病室を訪ねた時、カカシ本人から直接聞いた。
何だか最近は、カカシもナルトもめっきり縁遠くなってしまった。
正直言うと、寂しい。
自立した大人が口に出すのは抵抗のある言葉だけど、今の気持ちを表現するには手頃な言葉だろう。
でも、それだけじゃない。
これもまた口にしにくい言葉なのだけど、イルカはとっくにその気持ちの正体に気が付いている。
『やきもち』
それはカカシと長時間一緒にいるナルトにではなく、その逆でもなく。
カカシともナルトとも一緒にいる時間の多いヤマトに対してのものだ。
昨日も、イルカがカカシの病室にいる時にヤマトが来た。
仕事の打ち合わせでもするのだろうと思ってイルカは早々と退室したけれど、本当はもっとずっとカカシと一緒にいたかった。
その場では本心を隠してしおらしく振舞っても、自分の気持ちまで誤魔化す事は出来ない。
しかも追い討ちを掛けるように、カカシとヤマトは何やら親しげなのだ。
それがまたイルカの気持ちを乱す原因になっている。
ヤマトの役割がイルカで代用出来るのならと考えたのだって、一度や二度ではない。
みんなが目標を持って頑張っている時にこんな事を考えている自分が、とても卑しい人間のように思えて、自分でも嫌になる。
ヤマトの事を考えるたびにトゲトゲした気持ちが溢れ、その棘で自らの心も突き刺しているような気がした。

* * * * *

一楽でおいしいラーメンでも食べて気分転換をしよう。
それは夕方の受付で思い付いた、イルカにとっては名案中の名案だった。
カカシが入院してからは、仕事の後には毎日のように病室を訪れていたけど、昨日のように迷惑になる事もあると知ったからには控えなくてはならない。
特に、退院が間もない所まで回復してきた状態なら、それなりに仕事関係者の訪問が増えるだろうから。
だから今日はカカシの病室には行かずに、一楽へ寄って行く。
言い訳になる事はわかっているけど、昨日みたいに肩身の狭い思いをするのは避けたかった。
階級差があるだけに、仕事が絡むとカカシはイルカからとても遠い存在になってしまう。
前々からそういう部分はあったのに、輪を掛けて忙しくなってからは更に身に染みるようになった。
カカシだってきっと、イルカとばかり一緒にいたら飽きるだろうし、仕事の話をする時に部外者がいたら邪魔に思うだろう。
そんな風に思われたら悲しいので、そうならないように、親しい仲にも最低限の礼儀と気遣いを忘れてはいけない。
一人で帰路を歩いていると、二人で歩いていた時の事を次々に思い出す。
出会ってすぐの頃は、約束の有無に関わらずカカシとよく門の前で待ち合わせていた。
遅くなる時には先に帰っていいと言っておいても、カカシは律儀に待っていてくれて。
頬を掻きながら微笑んだカカシに『帰りましょう』と優しく言われ、申し訳ない気持ちとこそばゆい気持ちで胸が一杯になった。
小さな溜め息が漏れる。
夢のような時間は長続きしない。
でも、それでも良いと思えるようになった。
お互いに余裕のある時期に知り合えただけでも奇跡のようなものなのだから。
そうじゃなければ、こんなにカカシと親しくはなれなかった。
カカシとナルトとイルカの3人で、家族のように並んでラーメンを食べる日だって来なかっただろう。
幸せな記憶がイルカの心を穏やかにしてくれる。
その時、ふわりとラーメンの良い香りが鼻を掠めた。
心と身体が一度に幸せで満たされるような予感に、自然と顔が綻ぶ。
この時間なら先客はいるだろうが、満席ではないはずだ。
イルカはにこにこして暖簾をくぐった。
空席を探すために店内を見回す。
すると、イルカの視線がある一方を見つめたまま動かなくなった。
少しの間、息をするのも忘れ、呆然と立ち尽くす。
急に店の活動音が鮮明に聞こえ始め、それを合図にイルカはいそいそと踵を返し、目的地を失ったまま歩き出した。
店内に、イルカが顔も名前も知っている先客が3人で並び、仲睦まじい様子で座っていたのだ。
ナルトとカカシ、それからヤマト。
いつの間にカカシは退院していたのか、とか、3人で何をしているのだろう、とか、色々な事が頭をよぎったけど、それよりも。
イルカのささやかな幸せを土足で踏み荒らされたような気持ちになった。
目に薄っすらと涙の膜が張る。
穏やかだった心が、ほんの僅かの内にささくれ立ったものに一変してしまった。
忍者のくせに騒々しい足音を立て、ひたすら早足で前に進む。
途中に公園を見付け、無意識に足を向けた。
人通りの少なさに、イルカの歩調も弱まる。
俯きながらも外灯の下を避けてとぼとぼ歩いていると、不意に後ろから手首を掴まれた。
反射的に足を止める。
一瞬、カカシが心配して追い掛けて来てくれたのかと思ったけれど、手甲のない素手の感触はカカシ以外のもの。
「待って下さい」
聞き慣れてはいないけれど、誰のものなのか判別できる声。
今イルカが最も関わりたくないヤマトのもの。
振り返るまでもなく、イルカは掴まれた手首を力一杯振り払おうとした。
でも、全く歯が立たない。
びくともしなくて、それがまた情けなくて余計に涙が込み上げた。
放してくれないのならそのまま進むしかない。
イルカは一端止めていた足を再び動かし始めた。
「…っと、待って下さいっ」
ヤマトの制止の声は無視した。
重い荷物でも引きずるようにして少しずつ前に進む。
突然ふっと軽くなり、その反動で倒れそうになる。
いや、現実にはその時点でもう倒されていた。
遊歩道沿いの植え込みを背にして、ヤマトに覆い被される体勢で。
両方の手首を頭の上で一纏めに押さえられ、驚きと戸惑いでどうしたらいいのか解らない。
一拍遅れて押し倒された現状を把握すると、背中の方から急速に恐怖心が這い上がってきた。
「やっ…!やめっ…」
「大人しくして下さい」
ただでさえ暗い薄灯かりをヤマトの身体で遮られ、女性でもないのに無理矢理悪さをされているような気分になる。
ぎゅうと目を閉じ、これ以上惨めな事になる訳がないと、心の中で何度も言い聞かせた。
「っ…!」
ヤマトの短いうめき声に『ごっ』という何かがぶつかる音が重なった。
イルカの手首の戒めが解かれ、ふっと身体が軽くなる。
次いで、背中をさする優しい手を感じて、恐る恐る目を開いた。
白い肌と銀色の髪。
「すいません」
カカシの声に安心して、ここが公衆の面前である事も忘れ、思い切り抱き付いた。
「…けっこう痛かったです」
少し離れた所から聞こえてきたヤマトの声に、イルカは慌ててカカシから離れた。
振り向くと、尻餅を着いたヤマトが頬に手を当て、そこを痛そうに撫でている。
「いやー。…ま、許してよ」
その程度で済んだんだから、とイルカにしか聞こえない小声でカカシが続けた。
ヤマトへの謝罪の言葉はないものの、柔らかい物腰のカカシから微かに怒気を感じる。
「一楽でナルトはまだ気付いてなかったから、事を荒げたらいけないと思ってですね」
苦笑したカカシが、イルカの方を見て言った。
「追ってくれって言ったのはカカシ先輩じゃないですか…」
「あそこまでしろとは言ってない」
ヤマトに対するカカシの刺々しさから、本気で怒っている事が伝わって来た。
「ナルトにはお替りを食べさせると言って待たせてますから。戻りましょ?」
カカシの誘いに無言で頷き、ヤマトとは少し距離を取って3人で一楽に戻った。
店の前でカカシとヤマトは煙に包まれて姿を消し、イルカが一人で店内に入ると、3人は並んでラーメンを食べていた。
イルカを追って来たのは、二人とも影分身だったようだ。
ヤマトはまだ痛そうに頬をさすっていて、カカシはたった今イルカが来た事に気が付いたかのように装ってイルカに声を掛けた。
ナルトはカカシのわざとらしさに気付く事もなく、イルカの登場を素直に喜んでいる。
3人の後ろを通ってナルトの隣の空席に座ろうとすると、カカシがヤマトに小声で話し掛けているのが聞こえた。
「ちょっと楽しそうな顔なんてしてるから手加減が利かなかったんだよ」
冗談っぽい響きは微塵もなかった。
ヤマトがカカシを本気で怒らせるような何をしたのかはわからない。
けれど、カカシとナルトと一楽のラーメンがイルカの元に戻ったのは紛れもない事実。
それさえあれば、イルカはもう充分に幸せだった。






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2006.08.02