何の下心もないとわかっているから、生徒や同僚からチョコレートを受け取った。 それだけの事なのに、カカシに物凄い剣幕で叱られた。 「ちゃんと断らないと駄目じゃないですか!イルカ先生の場合は全力で拒むぐらいで丁度良いんです!」 眉間に皺が寄り、唇がアヒルのように突き出てしまった。 イルカは知っている。 これが一方的に責められる事案ではない事を。 それを棚に上げるなんて許せない。 「カカシ先生だって、たくさん貰ったくせに!」 「オレは仕方なかったの!」 しかもカカシの場合は、妙齢の女性達からの本命チョコレートだから余計に納得できない。 「俺だって同じです!何でカカシ先生は良くて、俺は駄目なんですか!」 「イルカ先生は女から何か貰ったら意識するでしょ!オレは絶対にそんな事じゃ靡かないから大丈夫なんです!」 カカシの力強い口調に、更にイルカの表情が険しくなる。 せめてもの抵抗で顔を俯かせた。 表情を隠して黙り込む。 どうしてそんな事が言い切れるのだ、と思ったけど、ふとある事に気が付いた。 途端にだらしなく緩みそうになる口元を引き締め、手のひらで覆う。 カカシがそこまで言える根拠なんて、そんなの最初から一つしかないじゃないか。 肩が時折ぴくりと動いてしまう。 「い、イルカ先生…?」 焦ったような声で呼ばれ、下から覗き込まれそうになった顔をさっと背けた。 その仕草をどう解釈したのか、カカシに腕を掴まれる。 本気で心配し始めたらしいカカシが可哀想になって、イルカの方からカカシの胸に飛び込んだ。 背中に腕を回してぎゅっと抱き付く。 「俺が好きなのはカカシ先生だけです…」 カカシの根拠の正体。 そんなの、イルカを好きでいてくれるカカシの思いの強さに決まっているじゃないか。 カカシを不安にさせてしまったイルカがいけない。 こうして身を寄せ合っていない時でも気持ちが通じたらいいのに。 そう思ったのが、カカシと付き合って初めて迎えた昨年のバレンタインだった。 * * * * * 1週間前。 今年のバレンタインについて、カカシと話し合って決めた事がある。 『誰からも受け取らない』 カカシからの提案だったのだが、今年は喧嘩をしたくないし、良い案だと思ったので賛成した。 当日の今日、心の中で何度もその言葉を唱えている。 「イルカ先生もどうぞ」 教員室で仕事をしていると、後ろから声を掛けられた。 女性職員が小さな包みを差し出して立っている。 「あ、すいません。遠慮しときます」 苦笑して軽く頭を下げる。 女性職員は大して気にした様子もなく、そうですか、と言って他の男性職員の席へと移動して行った。 朝から何度か、こういうやり取りを繰り返している。 そして、それは、夕方になって受付に入ってからも変わる事はなかった。 断るだけで疲れたのなんて初めてだ。 交代の時間になると、そそくさと引継ぎを済ませて、帰り支度を始めた。 待機所に追加の書類を届ける用事が残っていたが、少し横着して帰り際に寄る事にした。 通勤鞄を肩から斜めに掛け、真っ直ぐに待機所へ向かう。 目的の人物がソファーに座っているのを見つけて、そっと中に入る。 バレンタインだからか、部屋の隅に複数のくの一達が集まっていて、何かを話し込んでいた。 近寄りがたい雰囲気を感じて、特別上忍に書類を渡すと逃げるようにして部屋を出た。 「ねえ、あなた」 廊下へ出てすぐに後ろから声を掛けられ、びくりと肩が揺れた。 あっという間に複数の女性に周りを囲まれる。 「カカシさんと親しかったわよね。これ、あの人に渡してほしいの」 あまりの威圧感に怯むが、虚勢を張って平静を装った。 「すみませんが、そういうのは…」 「じゃあ、お願いね」 周りにいた女性に両方の肩と腕を掴まれ、身動きが取れなくなる。 手を強く引き上げられたと思ったら、そこから次々と紙袋の持ち手が通された。 瞬く間に、たくさんの紙袋がイルカの腕にぶら下がる。 急に拘束が緩んで解放され、それと同時にさーっと女性がいなくなった。 寒い廊下に、ぽつりと一人で立ち尽くす。 あまりにも惨めな姿に、こぶしを震わせながら思い切り唇を噛んだ。 俯いていると悔し涙が零れそうになり、慌てて顔を上げる。 どうしたらいいのだろう。 カカシ宛のものだから勝手に処分できないし、その上、約束まで破ってしまった。 あの人達だって、何もイルカに託す事はないじゃないか。 これでも一応、カカシの恋人なのに。 考えれば考えるほど虚しくなっていく。 結局、答えがでないまま、肩を落としてとぼとぼと歩き出した。 大量の荷物を持っている姿を人に見られたくなくて、普段は通らない道を選んで家路を進む。 街灯を避けて暗がりを歩いているせいか、どんどん気持ちが沈んでいく。 やっと自宅に着き、ドアの鍵を開けようとして、それすらも荷物が邪魔で苦労する。 うんざりしながら家に入り、まずは荷物を下ろした。 値段の高そうな品々を前にして顔をしかめる。 そこから目を背け、壁に手を付いて靴を脱ごうとすると、急に後ろのドアが開いた。 「イルカ先生?」 「あ…おかえりなさい。早かったんですね…」 ちらっとカカシを振り返ってから、部屋に上がって明かりを点ける。 安価な棲み家には不似合いな紙袋が、明るくなってより一層際立った。 カカシもすぐに気付いたようで、紙袋をじっと見つめている。 「これ、バレンタインのプレゼントですか」 「たぶん…そうだと思いますけど…」 小さな声で答えると、カカシが口布を下げながら部屋に上がってきた。 荒々しい足取りでイルカの前まで来て、いきなりがっちりと肩を掴まれる。 「今年は約束したでしょ!どうして断ってくれなかったんですか!」 「…こっ、断りました…っ」 「じゃあ!何でこんなものがあるんですか!」 カカシを怒らせてしまった事で、更に気分が落ち込んでいく。 仕事から帰って来て、こんなものを見せられたら不機嫌になるのも当然だ。 イルカが悪い。 さすがに今日はもう、カカシと過ごすのは気まずくて、呟くような声で言った。 「すいません…。今日はもう…あれ持って…帰って下さい…」 「あんなもの!持って帰る訳ないでしょう!」 「でも…っ!カカシ先生に…渡してほしいって…」 カカシから目を逸らし、奥歯を噛み締める。 やっと諦めてくれたのか、カカシがイルカから離れて玄関へ戻った。 紙袋を一つ残らず掴み取り、その勢いのまま部屋を出て行く。 何事もなかったように、ドアが静かに閉まった。 抑えていた涙が一気に込み上げる。 去って行くカカシの背中を見て気が付いた。 プレゼントなんて捨てて、イルカとバレンタインを過ごしてくれる事を期待していたのだと。 口元を押さえ、ベットに潜り込む。 ほんの30分前までは、今年は楽しいバレンタインになるだろうと思っていたのに。 涙が止め処なく溢れ、息継ぎもままならない。 咽喉からひくひくと音がして、時折肩が大きく震える。 しばらくそうやって泣いていると、ある時から、掛け布団越しに撫でられるような感触が伝わってきた。 少しずつ布団をずらして顔を出す。 「ごめんね…」 カカシの顔が間近にあった。 何も言えず、ぼやけた視界でカカシをじっと見つめる。 「分身使って全部返却してきました。…イルカ先生が受け取ったのは、あれで全部ですか」 「…はい…」 短い返事ですら鼻声で情けない。 「これでお互いに誰からも貰ってない事になりますね」 にこっと笑ったカカシが、ポーチをごそごそと探っている。 イルカからは見えない位置で何かをしているようだ。 目を擦って身を乗り出そうとすると、目の前に黒っぽいものを突き付けられた。 それを唇に押し付けられ、仕方なく口に入れる。 チョコレートの香りがした。 「オレたち2人とも甘いの食べないでしょ。だから」 「にっ…にがっ、苦いですよっ、これっ」 「カカオ99%のを食べて、口直しに甘いもの食べたくても、ないから…」 カカシも口にチョコレートを入れると、イルカの顔に手を伸ばして来た。 指先で涙を払われる。 そちらに気を取られていたら、さっと唇を重ねられた。 押し入って来たカカシの舌は苦かったけど、思っていたよりは随分と甘く感じた。 |