まだ師走に入る前だというのに、忘年会と称した飲み会に誘われた。 アスマ、紅、ゲンマといういつもの顔ぶれに、いつもと代わり映えのない飲み屋。 つまり、ただの飲み会だ。 下忍の指導が終わった夕方から飲み始めて、既に数時間が経過している。 本当はこんな奴らとではなく、今日はイルカと二人で飲みに行こうと思っていたのだ。 でも、報告書を提出する際にイルカを誘ったら、今日は先約があると言って断られた。 あの様子だと、相変わらずイルカにはカカシの好意は伝わっていないようだ。 せっかく仕事が早く終わったのに、と溜め息を吐きそうになった時、新たに来店してきた二人組の客に目に留まった。 さっと通路を通り過ぎただけだったけど、カカシは見逃さなかった。 片方がイルカだった。 通路と座席を仕切るようにして目隠しのすだれがあるせいか、同席している連中は誰も気付いていないし、向こうもこちらの一団には気付いていないようだった。 しかもイルカは、カカシ達とは薄い壁を挟んだだけの隣の席に案内された。 迷う事なく背中を壁に張り付け、壁越しの物音や声に聞き耳を立てる。 「4人のうち2人も駄目になるなんて、ついてないな」 さっそく聞こえてきた会話に、ほっと胸を撫で下ろした。 イルカの先約が、この男と二人きりで飲みに行くというものはでなかった事に安堵したのだ。 その後の会話で、男がイルカの同僚だという事もわかった。 「そういえばイルカ、少し前に減量したいって言ってたよな。なんか、だんしょくって良いらしいぞ」 「え…?だ、だんしょく…?」 それを聞き、何も飲んでいなかったカカシの方が、むせて咳き込んだ。 同席の三人から視線が集中したので、焼酎のグラスに手を伸ばして咽喉を潤し、何でもない事を装う。 イルカが聞き返したのも無理はない。 カカシだって、だんしょくと言われて真っ先に頭に浮かんだのは男色だ。 次いで、暖色。 しかし、暖色なんかで体重を制御するなんて考えられない。 暖かい色を見て、体温を上昇させて消費エネルギーを増やそうとでも言うのだろうか。 そんな荒唐無稽な話がある訳がない。 やっぱり、きっと男色の方なのだ。 男同士の交わりの方が、男女での交わりよりも疲労すると聞いた事があるし。 その分、消費するエネルギーが増えて余分な脂肪が減っていくという事なら、暖色よりは理屈が通る。 「うん。さっき読んだ雑誌に載ってたんだけどさ…」 イルカの同僚がそう言って、がさがさと物音を立てた。 鞄の中でも漁っているのだろう。 しばらくして、ぱらぱらとページを捲る音が聞こえてくる。 どんないかがわしい雑誌なのか知らないが、そんなものをイルカに見せないでほしい。 「ああ、あったあった。これこれ」 その記事に目を通していたのか、少しの沈黙を挟んでからイルカが言った。 「…これなら俺、試したことあるよ」 聞いた瞬間、先程とは比べものにならないほど激しく咳き込んだ。 再び三人分の訝しむ視線を浴び、誤魔化すように愛想笑いで応じてから、持っていたグラスの残りを一気に呷った。 表面上は穏やかに振る舞ったが、腹の底からは強烈な嫉妬が込み上げていた。 減量のためとはいえ、イルカが望んで体を許した男がいるなんて。 「確かに効果はあるんだけど続けられなくてさ。でも、ちょっとの間なら、またやってみようかな…」 赤裸々なイルカの発言に、違う部分が熱くなりそうだった。 本当にそんな事をするのなら、自分が率先して相手役に立候補する。 そして、何が何でも他の男は選ばせない。 「おい、カカシ。さっきから気持ち悪ぃな。何なんだよ」 「そうよ。一人で妄想して楽しんでんじゃないわよ」 「どうせやらしい事でも考えてたんでしょ」 アスマの一言を発端に、紅、ゲンマと、連続して野次が飛んでくる。 カカシの方も、これ以上イルカの話を聞いていたら自分がどうにかなりそうだったので、壁から背中を離して、耳も酒飲み連中の会話に向けてやる事にした。 でもまずは、アスマの飲んでいた徳利に手を伸ばし、ぬるくなった熱燗を空いたばかりのグラスに手酌で注ぐ。 それを、ごくごくと咽喉を鳴らして水のように呷った。 何だか、飲まないとやっていられない気分なのだ。 「お!何だ急に!いい飲みっぷりじゃねえか!」 「辛口の熱燗、おかわりして」 今日ばかりは酒飲みの仲間入りだ。 酒に酔い、頭の中を一度ぐちゃぐちゃにしてから、改めて整理し直したい。 このままではイルカの事を冷静に考えられないから。 * * * * * ぐずぐずしていたら、イルカを他の男に取られてしまう。 結局そういう結論に達し、不躾ながら翌日、報告書を提出する際に単刀直入に尋ねる事にした。 あまり人には聞かせたくない話なので、腰を曲げてイルカに顔を近付ける。 「イルカ先生は男色で減量しようとしてるんですか」 「え…」 小さい声だったがイルカにはきちんと届いたようで、ぱっとイルカの顔色が変わった。 しかも青褪めたのならまだ救いはあるが、イルカは頬を赤く染めたのだ。 「ど、どちらでそれを…あ、もしかしてアスマさん達の忘年会も酒酒屋だったんですか…」 忘年会の話を知っているという事は、きっとイルカもアスマに誘われていたのだ。 カカシの誘いもアスマの誘いも断って、先約だったという同僚との飲み会に出席したのか。 先約を優先する律儀な所はイルカの長所だけど、同僚よりカカシの方が優先順位が低かったのが寂しい。 「自己管理がなっていなくて…。お恥ずかしい話なんですが…」 イルカが口ごもりながら言うのを聞いて、カカシの問いに頬を染めた理由がわかった。 減量しなければならない体の事を言い当てられて恥ずかしかったのだ。 しかしカカシには、惚れた欲目を差し引いても、優秀なアカデミー教師のイルカが自己管理を怠っているようには見えなかった。 そもそも、その程度の体重の変化くらいで自己管理がなっていないなんて思わない。 今カカシにとって重要なのは、その事ではない。 「いえ…。オレが気になったのはそっちじゃなくて…」 男色の方です、と殊更に声を潜めて続ける。 するとイルカは、あからさまに安堵の表情を浮かべた。 まるで、男色なんて大した事ではない、とでも言うように。 え、と思った。 あまりにも予想外の反応に、カカシの方が動揺してしまう。 イルカは道徳の塊のような人だと思っていたけど、性生活の方は奔放な人だったのだろうか。 これまでとは違う意味で、焦りや不安が湧き上がってくる。 「カカシ先生も興味がお有りですか?」 さらりと尋ねてくるイルカに、どきっとした。 男色自体に興味はないが、男色のイルカには大いに興味がある。 それをそのまま口にしていいのか悩んでいると、イルカの方が先に口を開いた。 「でも俺、今回は食べながら運動して落とそうと思ってい…」 「男を食べるって事?運動ってセックスの事ですよね?」 小声ではあったが、動揺のあまり、ろくに考えもしないで、つい聞き返してしまった。 だって、食べるだの、運動するだの、まだ明るいうちからイルカがそんな事を平気で口にしたら驚くじゃないか。 「ち、違いますっ…!」 イルカが顔を真っ赤に染めて、恥ずかしくて堪らないというように俯いてしまった。 「だっ、だんしょくはっ…!同僚が断食をだんしょくと読み間違えてっ、だ、男色ではありませんっ…!」 読み間違い。 窓口の机に両手を着き、ふーっと深く息を吐く。 それを聞いて、膝から崩れ落ちそうになるくらい安心していた。 何か支えがないと、本当に座り込んでしまいそうだ。 「そうだったんですか…。すいません、唐突にこんなこと聞いて…」 イルカがした事のあるだんしょくは断食で、別に男を求めていた訳ではなかったのだ。 あれこれ考えた事が無駄になって、こんなに良かったと思った事はない。 「あの、お詫びと言っては何ですが、今日飲みに行きませんか。奢らせて下さい」 素早く気分を切り替えて、失敗を有効に利用する。 カカシの言葉にイルカが顔を上げた。 その顔はまだ真っ赤で、やっぱりイルカはこうでなくちゃと思った。 |