いつものように、カカシがイルカの窓口で報告書を提出して行った直後。
カカシが綱手に呼ばれ、一枚の書類を見ながら何かを話し合っていた。
会話はすぐに終わり、カカシが受付に背を向けた所で、綱手からその書類を手渡される。
「イルカ。これを普段通り処理してくれ」
それは、里への寄付に関する書類だった。
内務をする者にとっては目新しいものでも何でもない。
「わかりました」
お礼状の発送などの手続きがあるので、正確な金額と寄付者の氏名や団体名に目を遣る。
すると団体名はなく、個人名の欄にイルカもよく知る人物の名前が記されていた。
はたけカカシ。
上忍のような高給取りが、里へ寄付をするという話はよくある事だ。
業務に必要なので、続いて金額の欄にも目を向ける。
そして、そこに記された額を見て、まずは自分の目を疑った。
何度もまばたきをしてから、改めて金額を見る。
しかし、それは決して見間違いなどではなかった。
イルカの年収より2桁も多い額。
驚いて綱手に顔を向ける。
イルカの言いたい事は言う前から理解してくれていたようで、質問する前に答えが返ってきた。
「だから本人にも確認したんだ。内容に誤りはないそうだ」
こんな大金を寄付できるなんて、カカシはどれだけの大富豪だというのだ。
この寄付額から考えれば、どう見積もってもイルカと同じような生活水準にいる人とは思えない。
それなのに、今までカカシは一度もそんなそぶりを見せなかった。
何も知らずに一緒に食事に行ったり、飲みに行ったりしていた自分が馬鹿みたいだ。
カカシにしてみたら、イルカなんて庶民というよりも貧民に見えた事だろう。
しかも、その貧民の家に、以前カカシが来てくれた事があった。
厚かましくも、下手な手料理まで振る舞って。
その場では喜んでくれたように見えたけど、そんなものがカカシの口に合う訳がないじゃないか。
美しい景色も、上等な酒も、何ひとつない席で。
出会った当初は、確かに生きる世界が違う人だと思っていたのに、いつの間にその距離感を見失っていたのだろう。
飲食費を割り勘にする事ですら、カカシにとっては屈辱的な事だったのかもしれないのに。
気付いてしまったからには、これまでのような付き合いを続ける事はできない。
カカシとの関係を適切なものに戻すにはどうしたらいいのだろう。
良い案は一つも出ないくせに、重苦しい溜め息は悔しいほど何度も出ていった。



考え事をしながら歩いていると、いきなり腰元に衝撃を受けた。
「イルカ先生!」
僅かに目線を下げると、金髪の頭。
ナルトだった。
「一緒に一楽行こうってばよ!今日は俺がおごるからさ!」
「珍しいな」
ナルトの底抜けの明るさに、沈んでいた気持ちが少しは浮上する。
短い髪を掻き混ぜるように頭を撫で、二人で並んで一楽の暖簾をくぐった。
ナルトが迷いなく味噌ラーメンを注文したので、イルカも同じものを頼む。
奢りとはいえ、ついつい元教え子への負担が軽いものを選んでしまう。
長年染み付いた習性というか、親心みたいなものなのだろう。
ナルトが大げさに任務の活躍を口にするので、時折釘を刺しながら相槌を打つ。
間もなくして、旨そうなラーメンがやって来た。
「イルカ先生、替え玉する?」
「ナルトの奢りか?」
冗談めかして言うと、ナルトがズボンのポケットを探って何かを取り出した。
「じゃーん!俺にはこれがあるから替え玉ぐらい余裕だってばよ!」
ナルトが出したのは、一楽の回数券だった。
しかも、替え玉券やトッピング追加券などが入った二百枚つづりの束。
割引されてお得なのだが、纏めて前払いする事になるので、この枚数になると易々と手の届く代物ではない。
イルカが買えるのは、せいぜいおまけの煮卵サービス券が付いてくる二十枚つづりの束までだ。
「随分ふんぱつしたんだな」
「カカシ先生がくれたんだってばよ!」
カカシの名前を聞き、箸を割った動作のままで体勢が止まってしまった。
ナルトがラーメンをすすり始めて、ようやくイルカもラーメンに箸を付ける。
あれだけの金額を里に寄付できる人なのだから、一楽の回数券ぐらい安いものだろう。
尚且つそれを平気で人にあげられるのだから、お金持ちのする事はイルカには計り知れない。
胸の奥の方がちくちくと痛んだ。
それでもラーメンは旨くて、幸せと寂しさの間で余計に物悲しさが募る。
誰も、何も、悪くないのだ。
ただイルカが勝手にわだかまりを持っているだけ。
ナルトとほぼ同時に食べ終わり、カウンターの上に空のどんぶりと料金を置いた。
「俺のは俺が払うから。カカシ先生にもらった券、大切に使えよ」
些細なプライドを守るための言い訳を、ちょっとだけ格好良く言ってみた。
この期に及んでまだ、飲食代ぐらいはカカシと対等でありたいと思っている。
相変わらず良案が出ないまま、ナルトとはそこで別れ、一人家路に着いた。



俯き加減で歩いていたから、部屋の前に来るまで人が立っている事に気が付かなかった。
「お疲れ様です」
掛けられた声と、薄っすら浮かび上がるシルエットで、相手が誰なのかを理解する。
「カカシ先生!お疲れ様です。どうされたんですか」
いつもの感覚で話し掛けてしまい、慌てて自分を律する。
この人は生きる世界の違う人なのだ。
「お礼を渡しにきたんです。この前イルカ先生の手料理をご馳走になったでしょう」
カカシが、手に持っていた封筒をイルカに差し出してきた。
結構な厚みのある封筒で、封筒の隅に銀行の名前が印刷されている。
その中身に思い当たって体が強張る。
「な、なんですか、それ…」
とても受け取る気になれなくて、腕を体にぴったりとくっつけて、ぎゅっと拳を握る。
「あの時の食材費とか作業費ですよ。微々たるものですけど」
ますます体を強張らせる。
いつまでも封筒に手を伸ばさないイルカに焦れたのか、乱暴な手付きではなかったがカカシに腕を掴まれた。
反射的に、その手を思い切り振り払った。
カカシの右目が大きく見開かれる。
「…いりません」
きっぱりと告げ、カカシを通り越してドアに鍵を差し込んだ。
「でもっ…!イルカ先生だけに負担かけちゃうのは申し訳ないですしっ」
ドアを開け、カカシに構わずに部屋に入る。
もう用はないとばかりにドアを閉めようとすると、カカシがドアのへりを掴んでそれを阻止してきた。
「イルカ先生いつもは割り勘にこだわってるじゃないですかっ…!」
つまりカカシは、イルカに借りを作りたくないという事か。
「じゃあ…。もうやめましょう。割り勘にするのも、一緒に食事するのも」
とうとう言ってしまった。
カカシの顔を見る事ができず、そのままドアを閉めようとしたら、先程とは比べものにならない力で逆方向にドアを引かれた。
ノブからイルカの手が離れ、ドアが全開する。
「なんで急にそんなこと言うんですかっ…。またイルカ先生のごはんが食べたいから持って来ただけなのに」
驚いた。
切迫した顔で必死になって言うカカシに。
そして、銀行の封筒を持って来た理由の、あまりの単純さに。
「…それなら、現金なんて持って来ないで下さい」
生徒に説教をする時のように、少し強めの口調で言い放つ。
カカシの言っている事とやっている事は、お金の使い方を知らないアカデミー生と同じではないか。
友人の善意を、お金で返そうとするなんて。
そういう事をする子どもの大半は、善意を受ける事に慣れていない。
友情や人情というものから離れた所で育ってきた子ども達なのだ。
「費用のことが気になるなら、食材を持って来るとか、一緒に作業をするとか、他にも方法があるでしょう」
カカシに対する畏怖の念は、違う形に変わっていた。
確かにカカシは色々な意味でイルカとは違う世界で生きて来た人だ。
でも、誰かと全く同じ人生を歩める人なんていないのだから、そんなの当たり前の事だった。
「…そう、ですよね…すいません…」
「良いんですよ。次からそうしてくれれば」
イルカの返事で、カカシの表情が一遍に明るくなった。
もう一緒に食事はしない、という発言を撤回する内容だったからだろう。
「オレね…最近、外務で物凄い金額が手に入って…。それが、あまり人には言えない方法だったので…その対処に急ぎ過ぎていたのかもしれません」
カカシが外務で大金を稼ぐなんて、別に珍しい事ではないような気がする。
人には言いにくい方法なのだとしたら、暗殺に絡む報酬だったという事だろうか。
カカシが声をひそめて話を続けた。
「大名の護衛で賭博場に行ったんですけど…。硬貨を入れて絵柄を合わせる機械で大当たりしてしまって…」
「…!」
予想外の内容に声を上げてしまいそうになるのを、両手で口元を押さえて、何とか飲み込んだ。
「…里に寄付したり…周りの人たちに配ったりしたら…まだ許されるかなと思って…」
カカシが気まずそうな顔をする。
イルカにはそれが、いたずらが大事件に発展して戸惑っている子どものようにも見えた。






map  ss top  □mail□
2009.08.29