イルカの様子がおかしい。 何か隠し事をしている。 そうでなければ、カカシの誘いを断るぐらいで動揺したりしないはずだ。 断る理由も嘘くさかった。 残業で遅くなるからと言われたのだが、咄嗟に言ってしまったという感じだった。 しかもカカシがそれを信じるふりをしたら、イルカはあからさまに安堵していた。 友人や同僚との付き合いがあるなら、そう言えばいい。 狭量な恋人だと思われたくないので、本当は嫌でも邪魔したりしない。 心配だ。 まさか浮気じゃないだろうな。 いや、でも、イルカに限ってそんな事は。 食事もせずに帰宅してから、ずっとその事ばかり考えてしまって何も手に付かない。 時計は午後7時を指している。 遅くなるという残業が本当ならば、イルカはまだ家に帰っていない時間。 情けないとは思ったが、夕飯の買い物ついでに遠回りをして、イルカの家の様子を見に行く事にした。 * * * * * イルカが家に帰っていた場合に、カカシが訪ねても不思議ではないように、一人で飲むには大きめの酒を買った。 近くまで来たから、とか、旨そうな酒があったから、とか。 イルカのアパートに向かっている間、頭では言い訳ばかりを用意していた。 次の角を曲がったら部屋が見える。 明るいか暗いか、正直言って自分でもどちらの結果を期待しているのかわからない。 2階の角部屋。 そこに、明かりは点いていた。 イルカが嘘を吐くなんて。 何か事情があるはずだ、もしかしたら残業が早く終わったのかもしれない、と自分を励ます。 じりじりと静かに外階段を上り、部屋の前で立ち止まる。 中から話し声が聞こえた。 つまり、イルカが一人ではないという事。 『俺、明日も早いから』 玄関横の台所から聞こえたイルカの声。 『1杯ぐらい良いじゃないか』 知らない男の声。 『しょうがないなぁ。1杯だけだよ』 イルカの返事は、カカシと話す時より随分と砕けた口調だった。 それを聞いて思わず、乱暴にドアを開けてしまった。 腕まくりをしたイルカが、こちらを振り返る。 「イルカー?どうした?お客さんか?」 奥から、イルカを呼び捨てにする低い声。 イルカは奥にいる人物とカカシとを交互に見やり、慌ててカカシの方へ駆け寄ってきた。 「すぐ戻るから!」 奥の人物に向かってそう叫び、イルカが草履を引っ掛けて外に出た。 イルカに服の裾を掴まれて、カカシも玄関から引っ張り出される。 カカシが出るとすぐにイルカがドアを閉めた。 どういう事だ、と問い詰めようとした時、薄暗い通路でもはっきりわかるほどイルカの頬が赤く染まっている事に気が付いた。 なぜこの場面で赤面するのだ。 恥ずかしがるような事でもしていたというのか。 「何なんですか。あの男。オレに隠れて何をしてたんです」 語気も荒くイルカに言い募ると、イルカは唇に人差し指を立てて静かにするように要請してきた。 散々考えていた言い訳は、どこかへ吹き飛んでいた。 「あの男だなんて…そんな言い方…」 声を潜めたイルカが困った顔をした。 恋人のカカシより、向こうの男の肩を持つのか。 イルカがその気なら、あの男も交えて3人できっちり話を付けてやる。 そう思ってドアを開けようとしたら、カカシがノブを掴む前に内側からドアが開いた。 「イルカ?」 また気安く呼び捨てにしやがって。 相手がどんな奴でも、絶対にイルカと別れるつもりはないからな。 イルカがカカシの服から、ぱっと手を離した。 本気で睨みつけてやろうと、部屋から出てきた男に顔を向ける。 そして、その男の顔を見た途端、カカシはこれ以上ないほどに目を見開いた。 文句の一つも言えず、ただただ男の姿を凝視する。 体格や顔立ち、髪型や雰囲気に至るまで、全てがイルカにそっくりだった。 確認するように一瞬イルカに目を向けたが、すぐに男に視線を戻す。 「そんな所で話してないで、上がってもらいなさい」 その言葉で、全身から冷や汗が噴き出してきた。 緊張で筋肉が強張る。 男が部屋の奥へと下がって行き、それがカカシの入室を促しているようにも見えた。 「父の言う事は気にしないで下さい。また明日にでも…」 イルカがぺこぺこと頭を下げ、一人で部屋に戻ろうとする。 お義父さん。 閉まりかけのドアに手を掛けて、イルカを引き止める。 イルカと添い遂げる覚悟はできているのだから、きちんと挨拶をしなければならない。 「カカシさん…」 不安げなイルカの呼び掛けに、大丈夫だという意味を込めて大きく頷いた。 突然夕食に参加する事になったカカシにも、お義父さんは嫌な顔一つしなかった。 緊張どころか、イルカが二人いるような温かな空気に、カカシの表情は緩みっぱなしだ。 親子で仲良く後片付けをしている姿も、どことなく楽しそうに見える。 約10年ぶりの帰郷だと言っていたので無理もないだろう。 「父ちゃん、もしかして腹出てきた?」 途中で体がぶつかりでもしたのか、笑いながらイルカが尋ねた。 お義父さんは軽く首を傾げると、拭いていた食器を置いて、お茶を淹れていたイルカに手を伸ばした。 服をぺろりと捲り、晒されたイルカの腹部を無遠慮に撫で擦る。 「ちょっとだけだ。ほとんどイルカと変わらないぞ」 「わっ、わっ、やめっ」 イルカがくねくねと身を捩る。 カカシには、親子の微笑ましいスキンシップなどではなく、非常に胸躍る光景だった。 できる事なら、あの中に混ざりたいぐらい。 「あちっ」 イルカの手に湯が掛かってしまったようで、お義父さんの手が止まった。 素早く蛇口を捻り、イルカの手を冷水につける。 しばらくそうすると、お義父さんがおもむろにイルカの指を口に含んだ。 「大丈夫か?」 イルカの傷口を舐めながらのくぐもった声に、カカシの胸が更に高鳴る。 へその上も指先も、イルカのイイ所なのだ。 覗うようにして、イルカがちらりとカカシに視線を寄越した。 何に対してなのか、その目は多分に羞恥の色を孕んでいた。 「だ、大丈夫だよっ」 イルカが盆に湯飲みを3つ載せて台所から逃げてくる。 カカシの隣まで来ると膝を折り、小さな声で耳打ちしてきた。 「にやにやしないで下さい」 イルカの顔が赤かった。 間もなくしてお義父さんも戻って来る。 良いものを見せてもらったし、そろそろ本題に移らないといけない。 「素敵な息子さんですよね」 飾らずに、思った事をまっすぐに言葉にした。 お義父さんが嬉しそうな顔をするのを見て、これなら上手く切り出せそうだと思った。 |