2週間の任務を予定通りに終え、カカシが里に着いた頃にはもう夜になっていた。 時間的に、受付に行ってもイルカは帰った後だろう。 行く意欲は激減だが、決まり事なので仕方なく受付へ向かう。 廊下を歩いていると、なぜか、人と擦れ違うたびに不躾な視線を送られた。 それは受付に入ってからも変わらず、むしろ受付内の方があからさまだった。 なんだろう。 この異様な雰囲気は。 とりあえず窓口へ行って、報告書を提出する。 担当者が内容を確認している間も、カカシの背中に複数の視線が注がれているのを感じた。 あまりにも居心地が悪くて、窓口の男に尋ねてみる。 「何かあったんですか」 業務を妨げないように、確認印を押捺した直後を狙った。 男はカカシに話し掛けられた事に驚いたようで、肩をびくつかせながら顔を上げた。 「すみません。さきほど交代したばかりで私は何も…」 それを聞き、他に誰か事情を知る人はいないかと周りを見渡すが、全員に目を逸らされた。 これは何かある。 また変な噂でも流れているのかもしれない。 もしそうだとしても、まだ里の幹部から呼び付けられていないので大した事ではないのだろうけど。 そう思い直し、これ以上詮索するのは諦めた。 噂なら、否が応でも、そのうちカカシの耳に届く事になる。 「そうですか。どうも」 不安そうにカカシを見上げていた窓口の男に声を掛け、さっと踵を返して受付を後にした。 * * * * * 酒屋に寄って、冷えた缶ビールを1本買った。 こんな時間にイルカに会いに行くのも申し訳ないので、今夜は愛読書を肴に一人で晩酌だ。 少し埃っぽくなっているのだろうなあと思いながら、ドアの把手に手を掛けた。 すると予想外の事に、開きかけたドアの隙間から室内の明かりが漏れてきた。 途端にカカシの頬が緩む。 自分以外で、この部屋に来るような人はイルカぐらいだ。 出立前に帰還予定を伝えておいたから、その日に合わせて来てくれたのかもしれない。 ドアを開け、イルカに帰宅を知らせようと息を吸い込んだ。 しかし、その時、玄関に2足並んだ支給靴が目に留まり、口を噤んだ。 カカシの予備の靴はいつも収納してあるので玄関に出ている事はない。 イルカの他にも誰か来ているという事だ。 室内に耳を澄ませると、台所からの物音の他に、話し声も混ざっているような気がしてくる。 あのイルカが、恋人の家に無断で他人を上げるとは思えないのだが。 気配を消して部屋に上がり、真っ先に台所を覗いた。 「へぇー。上手だね。お母さんに習ったの?」 「一人暮らしが長いんで、勝手にできるようになりました」 まな板を叩く包丁の音と、囁くような音量で会話する二人の声。 どうして囁き声なのかというと、二人がとても近い距離にいるからだ。 包丁を握るイルカの横に男が突っ立って、手元を覗き込んでいる。 二人の接近具合に苛立ち、カカシのこめかみがぴくりと反応した。 わざと荒々しい足音を立てて男の袖を掴みにいく。 イルカが足音に気付き、手を止めてこちらに振り返る。 「カカシさん!」 「おお。帰ったのか」 「ちょっと。離れてよ」 カカシの剥き出しの嫉妬に、イルカが顔を赤くした。 そんなイルカを見られるのも嫌で、男とイルカの間に割って入る。 「久しぶりに会うのに随分冷たいじゃないか」 「料理の邪魔してすいませんね」 男の背中を押しながらイルカに謝り、イルカと男を遠ざける。 名残惜しそうに、男が肩越しにイルカを見つめるので、背中を押す腕に更に力を込めた。 台所から出て、居間のソファーに男を座らせる。 「あの子、お前のコレなんだろ」 コレ、と言いながら、男が握りこぶしの小指を立てる。 表現の仕方はいやらしいが、間違ってはいなかった。 でも、それをわかっていて、カカシの前であんな事をするなんて、余計にたちが悪い。 この男なら、カカシが同じ建物に入った時点で、帰って来た事に気付いたはずなのに。 つまり、完全に故意にイルカに密着していたという事だ。 「なかなか良い子じゃないか。父さんにもちゃんと紹介してくれよ」 嬉しそうな声で言われ、カカシは苦々しい思いで口元を歪めた。 息子から恋人を紹介される事を喜んでいるのか、イルカと知り合えた事を喜んでいるのか、カカシには判別がつかない。 親子だから、人の好みまで遺伝している可能性がある。 それが怖い。 イルカを巡って、親子間で厄介な事態になるなんて事だけは勘弁してほしい。 「カカシさん、新しいお箸ってありましたっけ」 イルカが台所から顔を出す。 その時に、結んだ髪がぴょんと動いたのが可愛かった。 「かわいー」 後ろから聞こえた声に、咄嗟に振り返る。 ぞっとした。 今、確実に、親子で同じ感覚を共有していた。 やっぱり、血縁って怖い。 身震いして、逃げるように台所へ駆け込んだ。 台所では、イルカが食器棚の引き出しをごそごそと探っている所だった。 イルカの横へ行き、小声で話し掛ける。 「父に何か変なこと、されませんでしたか」 「サクモさんにですか?俺は何もされてませんよ」 イルカが笑いながら言った。 きっとイルカが気付いていないだけだ。 カカシにはわかる。 「受付の女の子たちは口説かれたって騒いでましたけど」 どおりでカカシが受付で白い目で見られた訳だ。 溜め息を落とし、それでもイルカの探し物を見つけるために棚の上方に手を伸ばした。 そこから、予備の食器類が入っている箱を取り出す。 「あ、言い忘れてました。来てくれて嬉しいです」 一言添えて、箱から抜いた一膳分の箸をイルカに手渡した。 イルカの顔に眩しいほどの笑みが広がる。 「俺も忘れてました。カカシさん、おかえりなさい」 抱きしめてキスしたい。 そう思って、ふらふらと手が伸びそうになった時、カカシの後ろから痛いくらい強い視線が送られてきた。 この際だから、見せ付けてやろう。 父の視線を無視してイルカに迫ると、思い切り顔を背けられた。 イルカはそのままガス台の方へ行ってしまう。 ちょっと残念だったが、イルカの気持ちもわからなくはないので潔く引き下がった。 「カカシ。父さん、しばらくここにいる事にした」 廊下から覗いていたはずの気配が、いつの間にかすぐ近くに来ていた。 しかも、カカシがほんの少し目を離した隙に、イルカの隣に移動している。 「仲良くしてね」 わざとらしい笑顔で声を掛け、イルカの肩に手を置いた。 こういう行為がセクハラなのだと、果たしてイルカは気付いているのだろうか。 「そうだ。さっそく今夜、一緒に風呂でも入ろうか?」 父の露骨な台詞に、一瞬で頭に血が上る。 本気で掴み掛かろうとしたら、寸前の所でイルカに制止された。 |