中忍試験の出願に関して口論をしてから、カカシとはすっかり疎遠になってしまった。
仕事以外の会話だって、もう何年もしていない。
でも、以前と変わらずにカカシの事が好きだった。
今、繋がりと言えるのは、時々イルカの窓口に報告書を提出してくれる事ぐらい。
たぶんそれは、たまたまイルカの窓口しか開いていなかった時だとか、窓口の担当者が見えないほど受付所が混雑している時だとか。
ひと月に1、2回あれば多い方だろう。
その時は努めて誠実に対応しているつもりだけど、カカシの素っ気なさの前では全くの無力だった。
もう以前のような親しい間柄に戻れるとは思っていない。
でも、せめて廊下で擦れ違った時に挨拶ができるぐらいまでには戻りたい。
まるで結界を張るように、あからさまに拒絶の姿勢を取られ続けるのは悲しいから。
それをなんとかできないかと考えている時だった。
暗部時代のカカシの後輩だと言う、ヤマトという男と知り合った。
ナルトと班を組む事になったと言って挨拶に来てくれた以来、ヤマトとは受付で話す機会が増え、廊下や食堂で顔を合わせれば世間話をするようになった。
カカシやナルトの近況を教えてくれるので、今ではヤマトと話す事がイルカの楽しみになっている。
その日も、日替わり定食を食べながらヤマトが来ないだろうかと、少しそわそわしていた。
「ここ、いいですか」
弾かれたように顔を上げると、待ちに待った人がそこに立っていた。
どうぞ、と言って向かい側の空席に手のひらを向ける。
するとヤマトがトレイをテーブルの上に置き、さっそく口を開いた。
「僕、この前の事、先輩に聞いてみたんです」
その言葉に、イルカの心臓が跳ね上がる。
この前の事というのは、前回ヤマトと食堂で行き合った時の事だった。
やたらと勘の良いヤマトに、カカシへの好意をあっさりと見抜かれ、『先輩にイルカさんの事をどう思っているのか聞いてみます』と言われたのだ。
ヤマトは他にも、当たって砕けろですよ、とか、イルカを応援するような事を言ってくれた。
そしたら…、と控えめに前置きをして、ヤマトが言いにくそうに続けた。
「…いつもヘラヘラしててイライラするって…」
胸の辺りにずきっと鈍痛が走った。
ヤマトの顔を見ていられなくて、唇を噛んで俯く。
思い当たる事があった。
数少ないカカシと関わる機会だからと、受付では懸命に笑顔を作って応対していた。
そのたびに冷たくあしらわれていたのは、カカシがそれを不快に感じていたからだったのだ。
そんな事にも気付かずに、一人で勝手に空回りしていた。
「で、でも、僕はイルカさんの笑顔、素敵だと思いますっ」
眉間の皺を解いてからゆっくりと顔を上げ、慰めの言葉を掛けてくれるヤマトに苦笑を返した。
こんなに良い人に、これ以上、心配や迷惑を掛けてはいけない。
食べ終わる直前で止まっていた箸を持ち直し、ひりひりする咽喉に、残っていたものを一気に押し込んだ。
わざわざ尋ねてくれたヤマトには、せめて感謝の言葉を伝えなければならない。
最後にみそ汁で流し込み、口の中を空にする。
「あのっ、実は僕っ…」
「色々とお手間取らせてすみませんでしたっ」
何かを言い掛けたヤマトを気遣う余裕はなかった。
トレイを持って素早く立ち上がり、食器を回収口へと持って行く。
つらい時に優しくされると泣いてしまう。
そんな見苦しい姿はとても見せられないので、一人になれそうな場所を求めて食堂を後にした。



午後は夕方まで授業と会議があり、それ以降は受付業務が入っている。
赤らんだ目元については何度か指摘される事はあったが、目の調子が悪いと言って言い逃れた。
会議を終えて受付所へ行くと、既に混雑が始まっていて、新たに窓口を開けた途端に行列ができた。
今日みたいな日は、忙しい方がありがたい。
笑顔で報告書を受け取り、内容を精査して、ねぎらいの言葉を掛けていく。
それを手際良く繰り返すが、忍は次々とやって来て、混雑はなかなか解消されなかった。
どこまで続いているかと思って、ふと行列の先に目を向ける。
すると、その途中に、イルカのよく知る上忍の姿が混ざっていて、一瞬だけ眉をひそめた。
これだけ混雑していたら、途中でイルカの窓口だったと気が付いても、他の行列に並び直すのは面倒だろう。
できれば、今日はカカシには会いたくなかったのだけど。
報告書を受け取るたびに、カカシとの距離が近付いていく。
直前の忍まではいつもの笑顔で応対し、その時になって初めて表情を改めた。
「お疲れ様です。報告書、お預かり致します」
軽率な笑みでカカシを苛つかせないように、顔を引き締め、できるだけ硬い声を出す。
今のイルカにできる、精一杯の事だった。
差し出された報告書に目を通すと、いつも通り何の不備もなかったので、検印を押して最低限の挨拶を口にする。
「お疲れ様でした」
微かな会釈が返ってきて、その後すぐにカカシに背を向けられた。
これもいつも通り。
反射的に、ふっと漏れた吐息で余分な力が抜け、次の忍からは普段通りに笑顔で応対する事ができた。



長時間の残業を避けて早めに仕事を切り上げると、建物の出入り口にヤマトが立っていた。
イルカに気付いて、手を振ってくる。
その光景が、疎遠になる前のカカシの姿と重なって胸が痛んだ。
「お疲れ様です。よかったら、これから食事でもどうですか」
ヤマトの気遣いは嬉しかったが、今は一人になりたい気分だった。
「今日はちょっと…」
事情を知っているヤマトなら、それだけ言えばわかってくれるだろう。
小声で、そうですか、と短く返事があり、それ以上深く追及される事はなかった。
お互いに何も言葉を発しないまま並んで歩いていると、アカデミーの門の手前で唐突にヤマトに腕を掴まれた。
「イルカさんっ、僕っあなたの事がっ…」
ヤマトが何かを言い掛けた所で、もう一方の腕を他の人に掴まれた。
「すいません」
ヤマトに向けていた目を、瞬時に声のした方へと移した。
だって、聞き覚えのある声だったのだ。
後から掴まれた方の腕を引かれて体勢を崩すと、先に掴まれた方の手が離れた。
「ちょっとイルカ先生に聞きたい事があるんだけど」
それはイルカにではなく、ヤマトに向かって言っているように聞こえた。
「なんですか、先輩。あとにして下さい」
ヤマトにしては珍しく、声に不機嫌さが表れていた。
更にカカシに手を引かれ、つまずきながらカカシの背中側に回らされる。
「…オレがどう思ってるか知りたかったのは、イルカ先生じゃなくてお前の方でしょ」
「先輩には関係ない事です」
「あるよ。オレはお前よりずっと昔からイルカ先生の事が好きだったんだから」
それを聞いて目を見開いた。
嘘だ。
カカシがそんな事を思っているはずがない。
それはヤマトだって同じ事。
「きのう言った事と違うじゃないですかっ!」
ヤマトが抗議の言葉を口にした。
簡単に前言を翻されたからなのか、いつも優しいヤマトが本気で怒っている。
カカシと睨み合っていた目が一瞬こちらを向き、空いていた方の手首をヤマトに掴まれた。
ぐっと引っ張られてよろけてしまい、一歩前に出る。
左右から伝わってくる手の力強さが、まるで二人の気持ちを代弁しているように感じた。
「手、離せよ。イルカ先生が痛がってる」
「先輩こそ」
掴まれた箇所より、胸の方が痛かった。
目の前で繰り広げられるやり取りに、どう対処していいのかわからない。
涙が浮いてきて俯くと、今度は鼻水が出そうになって鼻を啜った。
途端に二人の拘束が緩み、その隙に二本の腕を振り払う。
そうして取り戻した両手で、溢れる涙を何度も拭った。
「す、すいませんっ、痛かったですかっ」
慌てた声を出したヤマトが背中をさすってくれて、斜め下から覗き込んでくる。
カカシは何も言わずに、ただイルカの頭をよしよしと撫でてくれた。
久しぶりに感じたカカシの優しさは、何の抵抗もなくイルカの心に染み込んでくる。
一方、ヤマトからの善意は、受けるたびに申し訳ない気持ちがどんどん積み重なっていく。
同じ優しさなのに、この違いは何なのだろう。
「ごっ…ごめっんなさいっ…ごめっ…」
やっぱり、カカシでないと駄目なのだ。
改めてそう思い、ヤマトの体をやんわりと押し返した。
ヤマトが離れた所で、僅かにカカシの方へと身を寄せる。
「悪いね」
ヤマトに向かってそう言ったカカシに、さっと肩を抱かれて引き寄せられた。
包まれるようにして抱き締められ、耳に息が掛かる距離までカカシの唇が近付いてくる。
「ホントにオレでいいの…?ヤマトと違って素直じゃないし、口下手だし…」
弱々しい声だった。
カカシのベストの裾をぎゅうっと握る。
「カカシ先生がいいんです…」
搾り出した自分の声は、カカシの声よりも弱々しく聞こえた。
「…昨日ヤマトに聞かれた事と、今日受付でイルカ先生の様子がおかしかった事、関係あるんじゃないかと思って、門の所で待ってたんですよ」
受付で応対した時、カカシはいつもと変わらないように見えた。
でも、イルカの変化には気付いていたのだ。
しかも、随分前から碌な会話もなかった相手を外で待ってまで様子を尋ねようとしてくれた。
長いあいだ何もなかったせいか、そんな一つ一つの過程が全て愛おしかった。
「昨日オレが言いたかったのは、…イルカ先生の何気ない笑顔を見て…喜ぶ奴らが多くて腹が立つ…って事なんです」
誤解していた自分が馬鹿みたいだ。
安心してカカシの肩口から顔を上げ、ヤマトの方へ目をやると、既にヤマトはそこから姿を消していた。
せっかく親しくなれたのに、こんな事になってしまって、次にヤマトに会った時はどんな顔をしたらいいのだろう。
カカシと気持ちを通じ合えた事はまだ夢のようで、より現実的な心配事の方がイルカの胸に引っ掛かっていた。






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2009.10.22