できるだけ感情と台詞を切り離すように意識して言葉を発する。 「…カカシさんの後ろ姿を見るだけでドキドキして…」 カカシは静かに微笑みながら、黙ってイルカの話を聞いている。 今日ばかりは、余裕たっぷりに構えているカカシの器の大きさが恨めしい。 「…顔が見えた時には嬉しくて叫び出しそうになるんです」 まるで自分の気持ちを語っているようで、居た堪れなくなってくる。 こんな事をカカシに伝えて、どうしようというのだろう。 やはりカカシに相談したのは間違いだったのだろうか。 でも、ここまで言ってしまったら、もう後戻りはできない。 「…一目惚れなんて信じてなかったけど、本当にあったんです」 何とか最後まで言い切ると、脱力したように項垂れて口を噤んだ。 ひたいの辺りに感じるカカシの視線が痛い。 きっと憐れみの目でも向けているのだろう。 「…それで終わりですか?」 俯いたまま、はい、と小さく返事をした。 カカシの声が思いのほか普通だった事に胸を撫で下ろす。 もっと軽蔑されるか、全く相手にされないか、そのどちらかだと思っていたから。 「なるほどね。じゃあ、イルカ先生から見てどうですか?」 カカシの意外な反応に驚いて、弾かれたように顔を上げた。 もしかして、カカシはこの話に乗り気なのだろうか。 カカシの表情は、先程とあまり変わっていない。 その様子に、じわじわと後悔の念が湧き上がってきた。 イルカに悩みを打ち明けた同僚の女性にとっては、こんなに喜ばしい事はないのに。 それなのに、自分はそれを残念に思っている。 ここで彼女を悪く言えば、カカシの興味は削がれるかもしれない。 だけど、そんな事をする気があったら、始めからカカシにこんな相談を持ち掛けたりはしなかった。 だからといって、彼女を過大評価するような見え透いたお世辞を言うのも嫌なのだ。 未だに、自分がどうしたいのか、カカシにどうしてほしいのかがわからない。 何と答えていいのかと逡巡して、結局はイルカが普段思っている彼女の印象を口にした。 「…子ども思いで…良い人だと思います」 しかし、イルカがそう言った途端、カカシの表情が曇った。 もしかして、質問の意味を履き違えてしまったのだろうか。 もっと込み入った、料理は上手そうかとか、そういう話を聞きたかったのだろうか。 私生活に割り込むほど彼女と親しい訳ではないので、その辺りを聞かれるとこちらも困ってしまう。 それとも、もっと色っぽい方面の話を聞きたかったのだろうか。 腰は細いか、とか、胸は大きいか、とか。 カカシを好色に扱う噂を聞いた事があるので、本当はそういう事を尋ねたかったのかもしれない。 なんとなく自分が惨めな気持ちになるから、今までカカシとの会話ではそういう話題は避けてきたのだけど。 どちらにしても、察しの悪い自分ではカカシの求める答えを返せなかったという事。 「オレの質問の仕方が悪かったですね」 イルカの不手際を擁護するような前置きを挟み、カカシが苦笑しながら続けた。 「イルカ先生から見て、オレの後ろ姿ってどうですか?ドキドキしたりします?」 急に飛躍した質問に、一瞬頭に空白ができたような感覚に陥った。 カカシに言われた言葉の意味が、わかったけど、よくわからない。 「オレの顔を見て嬉しくなったりとか」 戸惑うイルカに構わず、更にカカシが言い連ねる。 「もしかして一目惚れしちゃったかも、と思ったりは?」 カカシは何でもない事を話すかのように、すらすらと言葉を重ねてきた。 イルカの頬が、そんな必要はないのに勝手に熱を帯びてくる。 一体、何の話をしているのだ。 信頼できる人であり、話の要でもあるカカシに、イルカには手に負えない事柄を相談しに来ていたんじゃなかったのか。 「いえ…俺の事は…」 「あのね、申し訳ないけど、その相談者には興味ないんですよ」 口調は穏やかだが、容赦なく、ばっさりと切り捨てるように言い放たれてしまった。 「で、イルカ先生はどうです?」 その上、カカシはまだイルカの事にこだわっている。 彼女に興味はなくても、イルカには興味があるという事なのか。 それはそれで嬉しいような気がして、もう他人の問題なんて棚上げしてしまおうか、とさえ思ってしまう。 「オレに会えたら嬉しい?」 「…す、少しは…」 このまま流された方が楽になりそうだという気持ちと、彼女への後ろめたさの間で心が揺れる。 「少しですか。でもまあ、嬉しいって事ですよね」 返事を要約されただけなのに、その内容に自分でも驚くほど動揺した。 そうか、自分はカカシに会えると嬉しいのか。 それを自覚すると、さっきとは違う意味でカカシの顔が見られなくなって、そっと目を伏せた。 「一目惚れの方はどうですか?」 「い、いえ…それは…」 口ごもりながらも正直に答えた。 もう彼女には、カカシが言った通りの事を伝えてしまおうか。 興味はない、とはっきりと断言された事を。 表現に気を付けて遠回しな言い方をすれば、深く傷付けずには済むかもしれない。 「そうですか。でも、一目惚れって本当にありますよ。オレも経験しました」 体の中から、どきん、という大きな音がした。 もういやだ。 どうしてカカシは今日に限ってそんな話ばかりをするのだ。 カカシのひと言ひと言に、いちいち翻弄させられるこちらの身にもなってほしい。 胸が苦しくなってきて、ベストの真ん中をぎゅうっと掴んだ。 それでも足りなくて細く息を吐いていると、カカシの手がイルカの頬に伸びて来た。 指先で微かに触れ、するりと撫でて離れていく。 その指先に導かれるように、伏せていた目を起こした。 すると、正面のカカシとがっちりと目が合う。 そして、それを待っていたかのように、カカシの目が嬉しそうに細められた。 「誰の事なのか、わかってます?」 カカシの言葉に目を見開いた。 それと同時に、石膏で固められたみたいに体の自由が利かなくなる。 その状態でまばたきもせずにカカシを見つめていたら、再びカカシの手がイルカの方へと伸びて来た。 指先で水面を叩くような柔らかさで頬をつつかれる。 その感触で我に返り、びくりと身じろいだ時にカカシの手も離れた。 咄嗟に、カカシに触れられていた部分を手のひらで押さえると、そこは自分でも信じられないぐらいに熱くなっていた。 「そろそろ気付いて下さいよ」 馴染みの居酒屋で見るカカシの笑顔は、いつもとあまり変わらない。 だけど、この時から、イルカの一部だけは、確かに何かが変わってしまった。 |