「イルカ先生の家って、いつもきれいですよね」 カカシにそんな事を言われて嬉しくなった。 自分では当たり前のようにしている掃除を褒められるのは、少しくすぐったい。 「…俺、好きなんですよ」 照れながらもそう言えば、なぜかカカシの目元がほんのりと赤みを帯びた。 「え…?」 話の流れでわかりそうなものだが、カカシには伝わらなかったらしく、聞き返されてしまった。 「掃除が」 「ああ」 何の事だと思ったのか、カカシが気まずそうに目を逸らす。 それを誤魔化すように部屋中を見回してから、カカシがぼそぼそと呟いた。 「イルカ先生と一緒に住んでたら、いつもこんなきれいな部屋で暮らせるんですね。幸せそうだなあ…」 ちら、っとカカシがイルカに視線を寄越したのを見て、ぴんときた。 これは、遠回しにカカシの家を掃除しに来てほしいと言っているのだな、と。 独身男の一人暮らしは、往々にして部屋の片付けがおろそかになりやすい。 「カカシ先生の家、掃除しに行きましょうか?」 イルカがそう言うと、意外にもカカシは面食らったような顔をした。 そんな顔をしたって、本当はイルカがそう言い出す事を期待していたくせに。 どうせカカシは仕事が忙しくて、大掃除もままならないだろうから。 都合良く、イルカは年明けまで連休だ。 「ああ、でも。カカシ先生がいる日じゃないとお邪魔できないですよね」 それを聞いたカカシが、はっとしたようにポケットをごそごそと探った。 そして突然、真面目な顔をして手を差し出して来る。 「あの…。これを渡すので、いつでも来て下さい」 カカシの手には、真新しい銀色の鍵が握られていた。 上忍の家の鍵を、こんなに簡単に渡してしまってもいいのだろうかと疑問に思ったが、家主が良いと言うのだから良いのだろう。 笑顔でそれを受け取ると、カカシはほっとしたように肩の力を抜いた。 実を言うと、仕事が休みの間、時間が有り余っていて、どうやって過ごそうかと考えていた所だったのだ。 自分の家は大掃除をするほど汚れてはいないし。 都合良く、カカシは今夜から明日の夜まで任務だと言っていたので、さっそく明日、朝からカカシの家にお邪魔しよう。 翌日の楽しみを得たイルカは、出立前にわざわざ挨拶に来てくれたカカシを送り出すと、いつもより早めにベッドに入った。 * * * * * 使い慣れた掃除道具をバケツに詰めてカカシの家に持ち込んだ。 開始は朝の8時。 預かった鍵を使って家に入り、まずは間取りや散らかり具合を確認した。 思ったよりも整頓されていたが、照明器具の裏側や棚の上などは、人並みに汚れが溜まっているようだった。 どの箇所にどのくらいの時間を掛けるのか、だいたいの算段を付けて作業に取り掛かる。 まずは、天井近くまで伸びた背の高い本棚の掃除から手を付けた。 カカシが大切にしている本が几帳面に並んでいるので、掃除の後もきちんと元に戻せるように順番を覚える。 数冊ずつ纏めて棚から下ろしていると、その途中に本の隙間から一枚の写真が落ちてきて、ひらりと床の上に着地した。 ぐっと息を飲む。 写真には、少し不機嫌そうな顔をしたカカシが、笑顔の女性と腕を組んで二人で写っている。 それを見て、不思議と胸がざわついた。 でも、たぶんそれは、見てはいけないものを見てしまったという気持ちが湧き上がったせいだろう。 もう見えてしまったものは仕方ないから、今度カカシに会った時は、正直にこの事を伝えて謝ろう。 できるだけ気にしないように掃除を続け、次はベッドの頭側にある出窓の掃除に移った。 写真立てや名前の付いた鉢植えが並んでいるのを見て、本棚と同じくらい大切なものが置いてある場所なのだなと思った。 その写真立ての隙間にほこりが挟まっていたので取り除こうとすると、その拍子に裏板が外れてしまった。 丁寧に拭いてから写真を元の位置に収めようとした時、その写真が二枚重なっている事に気が付いた。 何となく、これも見てはいけないもののような気がして、ぴたりと重ね合わせたまま写真立てに収め直す。 そうして寝室の掃除を終え、次は台所などの水回りの掃除に入った。 こちらの方も別に酷い状態ではなく、普段からきれいに使っているようだった。 さすがに汚れているだろうと思えた換気扇も、大して汚れてはおらず、ちょっと期待外れだった。 きっとカカシは、あまり家で料理を作らないのだろう。 最後に玄関の掃除に入った。 他の場所と同様、特に汚れは目立たないが、よく見るとタイルの溝に乾いた泥や血痕らしきものがこびりついている。 とりあえず足元は後回しにする事にして、最初に玄関ドアの外側から磨き始める事にした。 すると間もなくして、郵便局員の男性がカカシの部屋を目指してやって来て、カカシ宛の郵便物をイルカに手渡してきた。 どうやら完全にイルカをカカシと勘違いしているようだった。 まあ、見たり開いたりしなければ別に構わないかと思って、ひとまず受け取り、それを靴箱の上に置いて掃除を再開した。 しばらくは郵便物の事など忘れて掃除に没頭していた。 しかし、靴箱の上を拭こうとした時、改めてそれが目に入った。 数通の郵便が輪ゴムで束ねられていたのだが、一番後ろの一通はハガキだったので、内容が丸見えになっている。 そこには、差出人らしき女性が旅館の前で一人で写っている写真が印刷されており、空白には手書きのメッセージも添えられていた。 『また一緒に泊ろうね』 末尾にハートマークまで入っている。 イルカの胸が、どきどきだかずきずきだかわからない鼓動を刻み始める。 急にどうしたのだろうと思ったが、その理由はすぐに思い当たった。 二度もカカシの秘密を覗いてしまったから、イルカの良心が痛んでいるのだ。 その上、ハガキの内容が目に入ったのは一瞬だったのに、なぜか残像はいつまでも網膜に焼き付いていて、申し訳ない気持ちに拍車を掛ける。 これでまた一つ、カカシに伝える事が増えてしまった。 罪悪感に痛む胸を抱えながら、それでもなんとか無事に掃除を終え、夜の6時にはカカシの家を後にした。 台所で夕飯の支度をしていると、玄関からけたたましいノックの音が聞こえてきた。 何事かと思って慌ててドアを開ける。 「あ、あ…あの、あれは…その…」 イルカの顔を見るなり、カカシがとても焦ったような声を出した。 どうしたというのだろう。 突然やって来たと思ったら、挨拶の言葉も出ないぐらいにカカシが動揺しているなんて。 「お戻りになられたんですね。お疲れさまです」 カカシを落ち着かせるために、イルカは努めて冷静な声を出した。 「あ、そうだ…。そ、掃除、ありがとうございますっ」 カカシの言葉で、イルカもいくつかの事を思い出した。 渡すものが一つと、伝える事が二件ある事を。 ズボンのポケットに手を入れ、カカシに借りていた鍵を探る。 「カカシ先生、すいません。本棚の隙間に入っていたツーショットの写真と、今日届いた絵葉書が見えてしまいました」 一息で言い、ポケットから出した鍵をカカシに差し出す。 「えっ…」 イルカの言動に、明らかにカカシは戸惑っていた。 いきなり自分の秘密を暴露されたら、そうなるものなのかもしれない。 「本当にすいません。絶対に口外したりしませんから」 苦笑しながら頬を掻く。 写真の女性とハガキの女性が別々の人だった事も、イルカの罪悪感を掻き立てる原因の一つだった。 「えっと…何から言ったらいいか…。あ!枕元の写真立てっ、最近調子悪いんですけど開いたりしませんでしたかっ」 「あ、すいません。実は開いちゃったんですけど、重なってた方の写真は見てないから大丈夫ですよ」 「そ、そうですか…」 カカシが安心したように小さく息を吐いた。 心なしか、頬が赤くなっているように見える。 他人には知られたくないような大切な人の写真でも入っていたのかもしれない。 本当に見なくて良かったと思って、確かに安堵しているはずなのに、また胸の奥の方が鈍く痛み始めた。 「ほ、本棚の写真っていうのはよくわからないんですけど、はがきの方は…その…」 「お付き合いされている方ですよね?」 「違います!大昔に別れた女でっ、何年も連絡を取ってなかったんですっ、それを急にあんなっ」 まるで、恋人に不実の言い訳をするようにまくし立てられ、その勢いに圧倒される。 「今っ付き合ってる人はいませんっ!…す、好きな人はいます…けど…」 カカシが目を泳がせながら、語尾を小さくしていく。 「いえっ、その事じゃなくてっ、鍵っ!これからもイルカ先生に持っていてほしいんですっ」 カカシの必死さが痛いほど伝わってくる。 しかし、イルカにはカカシがそこまで鍵にこだわる理由がわからなかった。 「じゃあ、お預かりさせては頂きますけど…」 鍵を持った手を引いて、再びポケットの中へと戻す。 ただそれだけの事なのに、なぜか胸のつかえまで取れたような気がした。 |