シーツ 3週間の予定だった任務を4日も短縮して、連絡もなしにイルカの家を訪れた時だった。 夕食の洗い物でもしていたのか、ドアを開けたイルカは腕捲りをしていた。 「おかえりなさい。早かったんですね」 イルカはそう言って、はにかむように笑った。 その笑顔に安堵して、カカシも頬を緩めながら口布を下げる。 「ただーいま。早くイルカ先生に会いたくて頑張っちゃいました」 そんな冗談のような本気のような事を言って、目元に薄っすらと朱を走らせて恥ずかしがるイルカの反応を楽しむ。 命を削るようなやり取りをして帰って来たカカシの心を、イルカは瞬時に温かな日常へと切り替えてくれる。 「ちょ、丁度お風呂入れた所なんですけど入りますか?…あ、それとも何か食べますか?」 靴を脱いでいる所に、まるで新妻が夫を迎える時のような台詞を言われて、顔がにやけた。 それに定番の文句を返す。 「イルカ先生を食べちゃいたいけど、どうせならその前に風呂に入ってさっぱりしたいです」 カカシの言葉に、イルカの顔が真っ赤に染まった。 部隊長クラスの中忍が、人前でこんなに表情を露わにしてはいけないだろう。 でも残念ながら、カカシにはそれを注意する資格はなかった。 だって、カカシは大隊長クラスの上忍なのに、イルカの前では表情を偽る事が出来ないから。 イルカにはいつでも真摯でありたいという気持ちが、カカシにそうさせるのだ。 カカシから目を逸らし、イルカが逃げるようにして寝室へと向かった。 寝室には、カカシの着替えが置いてある。 するとそこから、忍にしか聞き取れないような小さな呟きが聞こえてきた。 「あ…シーツ替えなきゃ…」 それは、以前にもイルカの口から聞いた事のある言葉だった。 確か、カカシが報告書を提出して受付所を出た時に、残業を終えたイルカと偶然、廊下で顔を合わせた日の事だった。 二人で食事をしてから一緒にイルカの家に帰ると、今と同じ事を言って、イルカが慌ててシーツを交換し始めたのを覚えている。 もう遅い時間だったし、別に今やらなくてもいいじゃないか、とあの時は思ったものだ。 カカシがそんな回想に耽っていると、イルカは何事もなかったかのように、着替えとバスタオルを持って来てくれた。 独り言をカカシに聞かれたとは思っていないのだろう。 「ありがとう。じゃ、先に入らせてもらいますね」 その事には特に触れずにカカシが風呂場へ行くと、イルカはまた寝室へと戻って行った。 こんな時間から、本当にシーツを交換する気なのかもしれない。 律儀な人だなと思いながらも、久々に温かい湯で体を流して、ゆっくりと風呂に浸かる。 そうしていると、ふと、だいぶ昔にヤマトに愚痴られた話を思い出した。 数週間だか数ヶ月の任務を終えて彼女の家に行ったら、彼女のベッドに、ヤマトには身に覚えのないシミが出来ていた、という内容だった。 何のシミなのか、なんて事は、口にしなくても大体の見当は付く。 女に浮気をされたヤマトも、そんな所に証拠を残してしまった見知らぬ男も、どちらも情けないなと言って、その時はカカシも笑っていたものだが。 どうして今、そんな昔話を思い出したのか。 ざばん、と勢い良く湯船から立ち上がり、焦燥感に急き立てられるようにして風呂を出た。 ざっと体を拭いて、手早く衣類を身に着けていく。 まさかイルカに限って、そんな事。 カカシが寝室に駆け込むと、イルカは枕カバーを交換している所だった。 床には、既に交換したと思わしきシーツが、布の小山を作っている。 「もっとゆっくり入ってきても良かったのに」 髪の先から雫を垂らしているカカシを振り向いて、イルカが笑いながら言った。 任務から帰って来たカカシへの労いの言葉であるはずなのに、それさえも深読みしてしまう。 証拠隠滅をしている所をカカシに見られたくなかったからではないのか、と。 布の小山に近付いて、その場にしゃがみ込み、掴み上げたシーツに顔をうずめた。 「わっ…!カカシさん、何してっ…!」 驚いているようなイルカの声を無視して、鼻から思いきり息を吸い込む。 嗅覚を研ぎ澄まして、イルカ以外の痕跡を探る。 「やめっ、何でそんな事っ…!」 カカシからシーツを取り上げようとして、イルカが布を引っ張ってくる。 こんなに抵抗されると、余計に疑念が深まるじゃないか。 感情の乱れが感覚を鈍らせているようで、なかなかシーツからイルカ以外の匂いを感じ取る事が出来ない。 布を引っ張るイルカの力強さに明確な意図を感じて、ぱっ、とシーツから手を離した。 「…イルカ先生、オレに何か隠し事してるでしょう」 何もなかったら、こんなに嫌がるはずがない。 「隠し事なんて…」 「…じゃあ。何でオレが来た時にシーツを替えるんですか」 言いながら、唇が震えていた。 こんな事を聞いて、イルカが本当に不実を認めたら、どうしようというのだろう。 果たして、自分はそれを許す事が出来るのだろうか。 「それは…」 イルカが目を伏せて、口を噤んだ。 徐々にイルカの眉間の皺が深くなっていく。 聞きたくない事実かもしれないけど、嘘を吐かれるのは嫌だった。 だけど、いま確実に言えるのは、カカシにはイルカと別れる選択肢はない、という事だ。 カカシも押し黙って、イルカの言葉が続くのを待つ。 「…だって…カカシさんが…」 まさか、カカシのせいだというのか。 任務で里を空ける機会が多いから、その寂しさを紛らわせるためだとか。 でもそんな事は、不実を認める理由にはならない。 「…いつも…、…って言うから…」 一歩ずつ核心に迫っていくようなイルカの告白に息を詰める。 イルカの声が小さくて、こんな近距離でも聞こえない部分がある事がもどかしい。 動揺のせいで、嗅覚ばかりか聴覚までも鈍ってしまったのかもしれない。 カカシに対して何か不満があるのなら、イルカのために必ず改善してみせるから。 「なに…?」 誠意を込めて聞き返すと、イルカの目が少し潤んだように見えた。 「だから! カカシさん俺のベッドに入るといつも…俺のにおいがするって…言うからっ! 自分ではわからないけどもう…、か…、加齢臭が出てるんだと思って…」 イルカが慌ただしくシーツを拾い集めて、それを抱え上げた。 そのまま騒々しい足音を立てて、洗濯機の方へと行ってしまう。 寝室に残されたカカシは、呆然とイルカのベッドを見つめていた。 それに、はっとして、すぐにイルカの後を追う。 イルカは洗濯機に手を掛けて、一人で寂しげに佇んでいた。 気配でカカシに気付いたようで、こちらに背を向けたまま静かに呟いた。 「…カカシさんのベッドは匂わないから、俺だけ臭いのは申し訳なくて…」 その後ろ姿に、途轍もない安堵と愛おしさが込み上げてきた。 イルカがカカシを裏切るような事をする訳がないのだ。 何の前触れもなく、いきなり後ろから抱き締め、イルカの匂いを思いきり吸い込んだ。 「…オレの好きな匂い…」 その言葉に、イルカの肩がぴくりと揺れた。 それには構わずに耳朶を甘噛みして、更にイルカの匂いを吸い続ける。 「この匂い、安心する」 「…く、くさくないんですか…」 恐る恐る尋ねてくるイルカに、ふっと笑みを零す。 「全然。すごくイイ匂い。もっと欲しいぐらい」 耳孔に舌を差し入れると、イルカの体がぶるりと震えた。 明らかに性的な意味で、舌による耳朶への愛撫を開始する。 「っ…!」 服の裾から手を忍ばせて、じれったいぐらい丁寧に素肌をまさぐった。 交換したばかりのシーツが付いているベッドより、イルカの匂いが染み込んだシーツが傍にある方が、よっぽど興奮する。 もう今日は、ここで事に及んでしまおう。 イルカに確認するまでもなく、カカシは一人で勝手にそう心に決めた。 |