ドリームナイン 生徒たちの未熟な筆文字で書かれた『将来の夢』を見ていたら、入学前の幼い子どもたちと触れ合った短い時間の出来事が鮮やかに蘇ってきた。 夏休みの間にアカデミーで体験入学会を開いたのだ。 その時の子どもたちにも将来の夢を聞いた。 返ってきた答えで一番多かったのは、やはり忍者。 もう少し具体的に、強い忍者や上忍、または暗部になりたいと答える子もいたが、中には大工さんや漁師さん、お花屋さんやお菓子屋さんになりたいと言う子もいて面白かった。 「イルカ先生」 その声に振り向くと、教室の入口にカカシが立っていた。 「お疲れ様です。今日は早く終わったんですね」 「はい。イルカ先生もたまには早く終わって下さいよ」 カカシが拗ねたように言いながら、教室の奥までやって来てイルカの横に並んだ。 『将来の夢』の半紙を壁に貼っていたイルカに倣って、頼んだ訳でもないのに作業を手伝ってくれる。 口には出さなくても、早く一緒に帰りたい、というカカシの意思が伝わってくる。 そんなカカシを見て、ふと思った。 幼い頃のカカシがこの『将来の夢』を見たらどんな気持ちになったのだろうか、と。 羨ましく思ったり、逆に疎ましく思ったりしたのだろうか。 イルカが受け持つ生徒たちぐらいの年齢の時には、カカシは既に大人に混じって任務に就いていた。 まだ守られる側であるべき年頃で、守る側に回らなければならなかった少年の苦労は計り知れない。 「カカシさんは小さい頃、将来の夢とかあったんですか?」 せめてその頃のカカシにも、何か将来に対する明るい展望があったら良いな、と思って何気なく尋ねた。 「んー? どうだったかなぁ…」 手を動かしながら、カカシはいかにもどうでも良さそうな間延びした声を出した。 「たぶん小さい頃はなかったんじゃない? 自分が背負ってるものを支えるのに必死で」 カカシの言葉を聞いて顔を俯かせる。 胸に石ころを詰められたような重苦しい気分になった。 つらい事に一人で耐えている子どもの姿ほど痛々しいものはない。 たまには早く終わって、とカカシに言われたばかりなのに、作業の手が止まってしまう。 「ま、今はたくさんありますけどね」 その明るい口調に顔を上げた。 イルカとは反対に、なぜかカカシの機嫌は急激に良くなっている。 鼻歌でも歌い出しそうな勢いだな、と思っていたら、本当にカカシから鼻歌が聞こえてきた。 カカシの夢はどうやら、そこまで気分が高まるほど素晴らしいものらしい。 楽しそうに手を動かしているカカシに触発されて、イルカも作業を再開させる。 「…夢がたくさんあるんですか?」 「うん」 「それ、聞いても良いですか?」 「別に良いけど、今は言わなーいよ。帰ってからなら教えてあげる。だから早く仕事終わらせて下さいね」 カカシの夢が気になって、今日中にやろうと思っていた夏休みの宿題の評価は、明日以降に先送りする事になった。 食材を買って帰るか、弁当を買って帰るか、外食して帰るか。 商店街に入った時点では3つあった選択肢は、魚屋の前で秋刀魚の初物を見つけた時点で自動的に一つに絞られた。 好物を食べたカカシは今、湯船のお湯が溜まるのを待ちながら満足げに愛読書を読んでいる。 家に帰ったらすぐに夢の話が聞けると思ったのに、カカシはまだ話してくれない。 食事中に尋ねた時も、勿体ぶって「あとで」と言うだけだった。 「そろそろ教えて下さいよ」 台所でカカシに背を向けて後片付けをしながら、こっそりと唇を尖らせる。 「寝るまでには教えてあげます」 カカシが動き出す気配がしたので振り向くと、風呂に入る準備をしていた。 それ以上は何も言わずに、そのまま風呂場へ行ってしまう。 大人になってから改めて夢を語るのは気恥ずかしい、というのならわかる。 でも、カカシの勿体ぶり方は、そういう感じとは少し違うのだ。 寝るまでには、とカカシが言うなら、ただ待っていればイルカが黙っていても教えてくれるのかもしれない。 カカシの後にイルカも風呂に入り、タオルで髪を拭いながら寝室へ行くと、カカシは照明を落として愛読書を読んでいた。 イルカが来た途端にそれを閉じて手招きしてくる。 やっと教えてくれるのかな、と思ってベッドに腰掛けた。 「夢はね、今はたくさんあるんですよ。それはもう昔とは比べものにならないぐらい」 「教えてくれるんですか?」 「うん」 カカシがイルカの後ろに回り込んで来る。 イルカの首に掛かっていたタオルを取って、濡れたイルカの髪を拭き始めた。 「ほんの一部だけね。他の夢はおいおい」 目を閉じて、カカシの優しい手の感触に身を委ね、声に耳を澄ませる。 「まずは…外で、かな。出来れば夜じゃなくて昼間が良い。それからアカデミーの教室、しかも教卓で」 カカシはそこで一旦言葉を区切った。 そんな場所や時間帯だけを言われても、カカシの夢が何なのかさっぱりわからない。 「あの…。外とか昼間とか教室とか、一体何の事ですか?」 イルカが尋ねると、髪を拭っていたカカシの手が止まった。 後ろから、ふわっとカカシの腕に包み込まれる。 「もちろん夢の話ですよ。イルカ先生を抱く場所の」 「え…」 カカシの吐息が掛かる距離まで耳元に顔を近付けられた。 それだけで肩がびくりと跳ね上がる。 カカシがそんな夢を持っていたという事は、今までのイルカとの夜の生活に不満を抱いていたという事だろうか。 イルカの方は今までの内容で充分に満足していたから、その気持ちに全く気付く事が出来なかった。 付き合いが長くなると、そういう事にも温度差というか、擦れ違う部分が出てくるのかと思って少し寂しい気分になる。 「…あとはシックスナイン。それなら今から出来るでしょ? 小さい頃に夢を持てなかった不憫なオレの夢を叶えて?」 耳元で囁かれたカカシの低い声が腰骨に響き、背筋がぞくぞくと震えた。 そんな言い方はずるい。 断りたくても断れなくなるじゃないか。 「何も考えられないぐらい蕩けさせてあげるから、ね? お願い」 熱い腰を押し付けられ、寝間着代わりにしているTシャツの裾からカカシの手が入って来る。 風呂上りでさっぱりしたばかりだというのに、イルカの肌には薄っすらと汗が滲み、勝手にカカシの指を吸い寄せてしまう。 「…いつもの俺には…もう飽きたって事ですか…」 息が上がらないように気を付けながらイルカが尋ねると、カカシがうなじに溜め息のような熱い吐息を吹き掛けてきた。 「あっ…」 同時に胸の突起を指先で擦られて、思わず前のめりになる。 「誰がそんな事を言いましたか。それとこれとはまた別の話です」 そう言われて、カカシがいつもの手順で動き始めた。 イルカは相変わらずそれで気持ち良くさせられてしまい、結局その日にカカシの夢が叶う事はなかった。 カカシには申し訳ないが、出来る事ならこのままカカシの夢が永遠に叶わないでいてくれた方が幸せかもしれない、と隣で穏やかな寝息を立てている姿を見てイルカはぼんやりと思った。 |