差し入れに愛を 半月の任務を終えて報告書を提出しに行ったが、イルカには会えなかった。 いつもカカシに力をくれるイルカの笑顔が見たかったのに。 職員にさり気なく探りを入れると、どうやら病欠らしい。 会いたい気持ちに心配が加わって、カカシの足はいつの間にかイルカの家に向かっていた。 何か手土産があったほうがいいだろうか。 住宅街を歩いている時に、ふと気が付いた。 イルカが人の家に行く時は、いつもそうしていた。 それに、親戚でも生徒でも、ましてや恋人でもないカカシが病気のイルカを訪ねて、タダで会わせてもらうのは何だか申し訳ない。 でも、いつも行っている商店街は、もう閉まっている。 まだ営業しているとすれば大通りにあるスーパーぐらいだろう。 そう思ってスーパーへ行くと、入口で偶然ヤマトと鉢合わせした。 僅かに顔をしかめる。 カカシは最近、ヤマトにいい印象を持っていなかった。 やけにイルカと仲がいいからだ。 しかも、これからイルカの見舞いに行こうという時に会ってしまった事が余計にカカシを苛立たせる。 ヤマトが聞いたら、たちの悪い言いがかりとしか思わないだろうが。 「先輩も買い物ですか? こっちまで来るなんて珍しいですね」 「まあ、ね。この時間だと他にやってないから」 「急に入り用になった時は便利ですよね。実は僕も」 そう言ってヤマトがわざわざ袋の口を広げて、買ったものを見せてくる。 中には、スープやシチュー、お粥や白飯などのレトルト食品ばかりが入っていた。 なんとなく勝ち誇ったような気分になる。 「侘しい買い物だねぇ。これだから独身の一人暮らしは」 ヤマトの眉がぴくりと動いた。 カカシも人の事は言えないけれど、自分は外食ばかりなのでこういうものは買わないのだ。 「…ははは。そう見えますよね。これ、差し入れ用なんで、渡すついでに先輩に揶揄されたこと愚痴ってきますよ」 ヤマトの買い物は自宅用ではなかったのか。 嫌味の効果が弱まってしまった事を残念に思った。 「じゃあ僕は先を急ぎますので」 ヤマトがわざとらしいぐらい、にっこりと笑って袋を閉じた。 「ん」 短く返事をして、入れ違いでカカシもスーパーに入る。 こういう時は何を持って行ったらいいのだろう。 チャクラ切れで寝込む事はあっても、病気という病気をした事がない自分にはなかなか選ぶのが難しい。 早く回復してほしかったら、やっぱり栄養のあるものだろうか。 カカシにとって栄養のあるものといえば野菜だ。 葉物、根菜、果実系を色とりどりに取り合わせて見繕う。 精算を待っていると、不意にさっきのヤマトの言葉が蘇ってきた。 ヤマトが差し入れを持って行くような人というのは一体誰なのだろう。 あんな悪意のあるカカシの嫌味を一体誰に愚痴るというのだろう。 ぶる、とカカシの本能が背筋を震わせた。 心当たりは一人しかいない。 どうしてすぐに気が付かなかったのだろう。 スーパーを出ると、カカシは全速力でイルカの家に向かった。 気配を消して、物陰から様子を窺う。 古びたアパートの2階で、玄関のドアが開いている部屋があった。 談笑しているような声も聞こえてくる。 よく見ると、毛糸の帽子に半纏を着たイルカがマスク姿でヤマトと立ち話をしていた。 首にはマフラーも巻かれている。 そのマフラーは、以前カカシがイルカにあげたものだった。 一緒に飲みに行った帰り、イルカが寒そうにしていたので、カカシが使っていたものをそのまま渡したのだ。 イルカが使っている姿を見た事がなかったので、てっきりもう捨てられたものだと思っていた。 嬉しくなって、気配を露わにしてアパートに近付いた。 すぐに気付いたイルカがこちらに顔を向けてきたので、軽く手を振る。 だが、イルカは慌てたようにマフラーを外して、乱暴に家の中に放り投げた。 その反応に少なからず傷付いていると、イルカがヤマトに何か耳打ちをした。 二人の距離に更に傷付いていると、すぐに、ばたん、と勢い良くドアが閉まり、イルカが部屋に入ってしまった。 イルカの行動の素早さに、嫌われた、と咄嗟に思った。 外廊下に一人で取り残されたヤマトの呆れたような溜め息が微かに聞こえてくる。 ヤマトの愚痴を聞いて、カカシを度量の狭い男だと思って軽蔑したのだろうか。 とにかく少しでもイルカと話せないかと思って駆け出すと、ヤマトに前進を妨げられた。 「邪魔だよっ」 「先輩にイルカ先生から伝言をお預かりしてます」 その言葉に、すっと身を引き、ヤマトの声に集中する。 「…俺に近付かないで下さい、との事です」 びく、と心臓が重たく疼いた。 ヤマトがイルカの家からカカシを遠ざけようとするかのように背中を引っ張ってくる。 呆然としていて、大した力ではないのに簡単に誘導されてしまった。 報告書を持って行けばいつもあたたかい笑顔で迎えてくれるイルカが、本当にそんな冷たく突き放すような事を言ったのだろうか。 ヤマトの言う事なんて信じられない。 「イルカ先生がそんなこと言うわけない」 「いえ、言いました」 「本当に言ったの?」 「はい」 「本当の本当に言ったのか?」 柄にもなく感情が昂って、ヤマトの胸ぐらを掴み上げる。 なんでヤマトには耳打ちするほど接近するのに、カカシの事は避けようとするのだ。 そんな贔屓、絶対に納得できない。 「先輩、落ち着いて下さい」 涼しい口調で言うヤマトに、一瞬本気で殺意が湧いた。 「せ、先輩っ、私闘は御法度ですよっ…! ああそうだっ、言い忘れましたっ! 罹患中は俺に近付かないで下さい、って言ってたんでしたっ」 それを早く言え。 どうせ言い忘れたんじゃなく、わざと言わなかったんだろ、とは思ったが、白状したので不問に伏す事にした。 ヤマトから手を離して、再び歩き出す。 「…なんでお前は近付いていいんだよ」 「僕はもう罹ってるんで」 という事は、カカシに病気を移さないために避けたのだろうか。 それならば、どうやら嫌われたわけではなさそうだ。 「それに、少しはイルカ先生の気持ちを察してあげて下さいよ。おたふく風邪なんですから」 「なにそれ。普通の風邪と何が違うの」 はぁー、とヤマトが盛大に溜め息をついた。 「…まさかとは思いますけど、その袋の中身、イルカ先生に差し入れるつもりだったわけじゃないですよね?」 ヤマトがスーパーの半透明のビニール袋を一瞥した。 袋を開けなくても色とりどりの野菜が透けて見えるし、袋の口からは長ネギも飛び出している。 「そうだけど」 「もう、これだから病気した事ない人は…。イルカ先生は動物じゃないんですよ」 ぴく、とカカシのこめかみが痙攣した。 ヤマトの一人暮らしを揶揄したしっぺ返しが、今頃になって痛烈に返ってきた。 「口の中も咽喉も痛い時に、歯ごたえがあって飲み込む力も必要なものなんて食べたくないでしょう。生野菜なんて消化に悪いし」 言われて見ればその通りだ。 でもカカシはイルカが病欠していると聞いただけで、詳しい症状までは知らなかったのだ。 「それとも、頭痛と発熱で寝込んでいる人に、料理でもさせる気だったんですか。気の利かない人ですね」 ヤマトの言う事はいちいち尤もで、反論する気にもなれなかった。 むしろ今日は、イルカと話は出来なかったけれど顔が見られただけでも良かったのかもしれない、とさえ思えてくる。 迷惑な差し入れなんてしたら、本当に嫌われていたかもしれない。 いや、でも、優しいイルカの事だから、一般生活力の乏しいカカシを柔らかな眼差しで見つめながら、笑顔で受け取ってくれるような気もする。 「あ、そういえば先輩。さっきイルカ先生が放り投げたマフラーの話って、何か聞いた事あります?」 イルカのほうから、あのマフラーの話を聞いた事はなかった。 使っている姿を見るのだって、今日で二度目なのだ。 カカシがあげた事をヤマトに教えるのも癪なので、「別に何も」と答えた。 「あんなに雑に扱ってるの初めて見たんで、ちょっと驚いて。いつもすごく大事に使ってるから、ご両親の遺品か何かかと思ってたんですけど」 へー、とさり気なく相槌を打つ。 カカシの前では使ってくれなくても、ヤマトの前では使っているのか。 しかも、とても大事そうに。 その意味を考えて、同時にイルカが咄嗟に放り投げた意味にも思い当たって、口元がだらしなくニヤついた。 イルカが回復したら、すぐに会いに行こう。 もう躊躇う事などない。 自分には、必ず明るい未来が待っている。 きっと、とびきりの笑顔が待っている。 |