哀れなハンター 月光で影が出来ている慰霊碑の前で立ち止まった。 ぐっ、とこぶしを握る。歯を食いしばって、唇を噛んだ。 父ちゃん。母ちゃん。 声には出さず、心の中で呼び掛ける。 咽喉のひりひりをこらえていると、眉間に力が入ってしまう。でもそうすると、どうしても慰霊碑に挑み掛かるような目つきになってしまうのが嫌だった。 本当は笑顔で報告するつもりだったのに。 本当は他の同級生たちと同じように、直接両親に伝えたかったのに。 今日、アカデミーの卒業試験に合格したよ。 俺、もうすぐ下忍になれるんだよ。 口にしたら余計に寂しくなるから黙っていたのに、みるみるうちに目が潤んでくる。水の中にいる時みたいに、見えるものすべてがぼやけてくる。 泣いちゃ駄目だ。 自分はもう子どもじゃない。 噛んだ唇を必死に引き結んでいたけれど、すん、と鼻が鳴ってしまった。それに合わせて、肩が大きく上下に揺れる。 「また泣いてるの」 突然聞こえた淡々とした声に、びくっ、と体が震えた。 その反動で零れた涙を慌てて袖で拭って、辺りを見回す。するといつの間にか、目の前の慰霊碑にひょろりとしたお兄さんが寄り掛かっていた。 子ども扱いされた事が悔しくて、咄嗟に否定する。 「な、泣いてないっ!」 声は掠れていたけれど、これだけ張り上げていれば充分に誤魔化せると思った。 それより、「また」というのはどういう事だ。イルカが泣いている所を他でも見た事があるというのか。 そんなのは絶対に人違いだ。 だって、こんなに若いのにおじいちゃんみたいに白っぽい髪をした人になんて、イルカは一度も会った事がない。 「強がっちゃって」 だが、図星を指されて歯噛みした。 噛みころせなかった悔しさが口の中で大きくなり、勝手に頬が膨れて唇が尖ってしまう。 強がっているというのなら、このお兄さんだってそうじゃないのか。 肌は白いし、体もふらついていて弱そうなのに、中忍以上が支給されるベストよりもかっこいい服を着ていて、顔を隠すように口布まで付けて、忍の真似事をしている。二の腕まである長い手袋もしていて、手の甲や小手には硬そうな防具まで付けて、一見すると本物の忍みたいだ。 額当てをしていないから、忍でない事はバレバレなのに。 そのお兄さんが、ふらふらとイルカのほうへ近付いてきた。 一人で立っている事も大変なようで、イルカの横まで来て座り込んでしまう。 「…これ、君にあげる」 イルカの顔よりも少し大きいぐらいの、巾着の形をした麻袋を差し出された。 「えっ、なんで」 知らない人に物をもらってはいけない。 両親からも、アカデミーでも、そう教わっている。 「…君のために取ってきたんだから、もらってよ」 お兄さんが、息も絶え絶えに催促してくる。 それでも受け取りを躊躇っていると、お兄さんがイルカの足元に袋を置いた。そのまま、ぐったりと体を横たえてしまう。 もしかして、具合が悪いのだろうか。 「だ、大丈夫ですか」 「…君がそれをもらってくれたら、ね」 イルカがこれをもらったら、お兄さんは回復するのだろうか。 「怖いものじゃない…?」 不安げに尋ねると、お兄さんが、ふっ、と小さな吐息を零した。つらそうなのに、目元を嬉しそうに細めている。 「…怖いものじゃないよ。開けてみて」 「うん…」 ごく、と唾を飲み込んで、恐る恐る紐を解いた。袋の口を開けて、中を覗く。 「うわぁ…」 その驚きに、思わず声を漏らしていた。 袋の中には、ひと株の植物が土ごと入っていた。根元から何枚も伸びた細長い葉っぱが、袋の中で発光している。 呼吸をしているかのように、優しい光が小さくなったり大きくなったりする。色も、黄色から緑になって青に変わり、また青から緑になって黄色に戻るのを繰り返している。 「…これがあれば、夜でも…寂しくない、でしょ…」 お兄さんが弱々しい声で途切れ途切れに呟いた。 イルカが寂しがっていた事を、どうして知っているのだろう。 それを尋ねようとしたら、お兄さんがゆっくりと瞼を閉じて動かなくなってしまった。 「お兄さん、大丈夫ですか」 イルカが呼び掛けると、何かを言おうとして僅かに口が動く。 でも、声は出ていない。 このままだと死んでしまうかもしれない。 病院に連れて行かないと、と咄嗟に思って、お兄さんを背負おうとしたけれど、体格が違いすぎて上手くいかなかった。 ならば助けを呼ぼうと、民家のあるほうへ走り出そうとした所で、ふとお兄さんを振り返る。 この人を一人にしたら可哀想だ。 すぐにイルカは、完璧に出来るようになったばかりの分身を作って走らせた。本体はお兄さんのそばに屈み込む。 怪我の応急処置ならば自分にも出来るけれど、お兄さんに外傷はない。 気休めでもいいから、と手袋の上からお兄さんの手を握った。 イルカが風邪をひいた時、横で母に手を繋いでもらっただけで心強かった事を思い出したのだ。 ささやかながらも握り返されて、イルカのほうがほっとする。でも、その力もどんどん弱まっていく。 「ああ。人が倒れてるってサクモさんの息子さんか」 「またチャクラ切れだな」 その声に顔を上げると、医療班の白衣を着た人たちが、お兄さんとイルカを囲んでいた。 「君が通報してくれたんだね。ありがとう。この人はもう大丈夫だから、気を付けて家に帰りなさい」 そう言って、医療班の人たちがお兄さんを運んで行った。 どうやらお兄さんは有名人の子どもだったようだ。医療班の人たちも慣れた様子だったし、病院にもひんぱんに通っているのかもしれない。 きっと、体は病弱でも忍に憧れているから、ああいう格好をしていたのだ。あれだけ本格的な衣装をあつらえるという事は、かなりのお金持ちなのかもしれない。 そうやってお兄さんの事を思い返しながら家に帰ると、さっそく植物を鉢に植え替えた。 次の日イルカは、光る植物の事を調べに、アカデミーの図書室へと向かった。 開いた図鑑に載っていた名前はヒカリシダ。 木の葉の里からは遠く離れた崖の国にしか生息しない品種で、険しく切り立った岩場に着生する希少な植物なのだそうだ。 あの体の弱いお兄さんが、それを自分で取りに行ったとは思えない。 という事は、高いお金を払って忍に依頼を出したのだ。やっぱり、お兄さんはお金持ちの家の人だった。 両親がおらず、古びたアパートで独り暮らしをしているイルカとは生きる世界が違う。 それでも、またどこかで会えるといいな。 もし会えたら、伝えたい事がある。 本当に一人の夜が寂しくなくなったよ、と。 お兄さんがずっとそばにいてくれてるみたいだよ、と。 でも、その人とは一年経っても二年経っても、結局十年が経っても一度も会う事はなかった。 |