交換日記





教員室で帰り支度をしていたら、突然やって来たカカシに真新しい帳面を差し出された。
カカシが急に訪ねてくる事はよくあるけれど、こんな事は初めてだ。
「オレ、口下手なんです」
いきなり何を言い出すのだ。
なんでもざっくばらんに話してくれて、こちらの話だって楽しげに聞いてくれる人が、口下手なわけがない。
だからといって、饒舌なほうでもないけれど。
何度も飲みに行っているのだから、それくらいの事はイルカにもわかる。
「えっと、どこがでしょうか…?」
「自分の気持ちを上手く口にできないんですよ。もう随分と長く」
「そうですか?」
「そうなんです。だから教師のイルカ先生に力を貸してもらえないかと思いまして」
カカシがぱらぱらと帳面をめくった。
「これに日記を付けていくんで、イルカ先生の感想をもらえませんか。ちゃんと心の声が吐き出せているか、客観的に判断してほしくて」
「日記に、感想を、ですか」
「はい。ぜひ先生のご意見を伺いたくて。こんな事は親しい人にしか頼めないので」
親しい人、だなんて。
そんな言葉の一部を掬い取って浮かれてしまう単純な自分が、カカシからの頼み事を断れるわけがない。
「オレも不精者なので毎日は書きませんから、どうかお願いできませんか」
わかりました、とかしこまって引き受けたものの、たぶん頬はだらしなく緩んでいた。



『今日もあの人に会えた。子どもだちを見守る健康的な笑顔が素敵だった。』
簡潔にまとまった最初の日記を読んだ途端、赤面した。
これって恋文じゃないだろうか。
たしかにカカシからこういった内心を聞いた事はない。
口下手というのは本当なのかもしれないな、と思いながら率直に感想を書き込んだ。
『カカシさんの好意がよく表れていました。しっかりと伝わってきます。』
2度目の日記は翌週に回ってきた。
『移動中にあの人の笑顔がよぎり、にやけていたら部下に注意された。』
『注意されながら、あの人が子どもを叱る時の迫力のある声も好きなんだよな、と関係ない事を考えていたら、更に注意された。』
『イルカ先生に褒められるのは特別に嬉しいです。』
日記が綴られたあとに、前回のイルカの感想への一言が添えられていた。
一瞬、「あの人」が自分なのでは、と混同しそうになる。
叱られた話のあとに、褒められるのが…、と続いたからだろう。
カカシは道ならぬ恋をしているようだ。
相手は子持ちの人妻。
なぜか、胸が軋んだ。
いつの間にか噛んでいた唇を解き、眉間に寄っていた皺もほぐす。
頭を無理やり教師モードに切り替えた。
『今回も充分に好意が伝わってくる日記でした。でも、任務にはもう少し集中してくださいね。』
3度目になると、日記ではなくカカシからの手紙を読んでいるような気分になった。
『イルカ先生の忠告で任務に気合が入りました。ありがとうございます。』
『ところで、勝負の日が近づいているんですが、イルカ先生だったら今、何が欲しいですか?』
『オレも片思い歴が長いので、そろそろ本気で口説こうと思っています。』
勝負の日、とか。
本気で口説こう、とか。
筆圧の力強さが目に痛くて、何度もまばたきをした。
イルカの欲しい物を聞いたって意味がないだろう。
子持ちの人妻の気持ちなんてわからない。
それとも、生徒の保護者と関わる機会の多いイルカなら、有益な情報を持っていると思ったのだろうか。
もしかして、日記を見てくれと言い出したのも、最初からそれが目的だったのだろうか。
イルカを利用しただけで。
急に背中がひやっとした。
カカシにとって自分は、その程度の相手でしかなかったのか。
しかめた顔を戻せないまま、ペンを取った。
『子どものお世話で忙しい人だと難しいかもしれませんが、俺だったら温泉旅行がいいですね。日常から離れてのんびりしたいです。』
『もし告白と同時に旅行になんて誘ったら、普通は警戒されるでしょうけど、カカシさんならきっと大丈夫ですよ。頑張ってくださいね』
心にもない一言を付けたせいか、じわ、と目が潤んだ。
教師が不倫をそそのかすなんてあるまじき事だ。
でも、それがイルカにできる、カカシのための精一杯の答えだった。
カカシは幸せにならないといけない人だ。
九尾事件で両親を亡くした自分よりも遥かに苦労を重ねている。
カカシに恋人ができて、一緒に飲みに行く機会がなくなるのは、もう仕方がない。
すでに日記を交換するようになってからは一度もないし、話す頻度も以前より減っている。
それがカカシの幸せに繋がるのだ。
ふとよぎった「捨てられる」という言葉がしっくりと来て、また目が潤んだ。
もともと職務に毛の生えた程度の付き合いでしかなかったくせに。
疼く胸からはできるだけ意識を逸らして、最後にもう少しだけ書き加えた。
『カカシさんの心の声は日記に充分に書かれているので、もう俺の感想は必要ないと思います。今回で終わりにしましょう』
カカシに必要なくなったのは感想ではなく、イルカ自身。
今まで積み上げてきたつもりになっていたカカシとの関係ごと、すべてが終わってしまう気がした。



カカシが報告書を提出しに来た時に帳面を返した。
いつも通りに笑えていたはずだ。
行列ができている受付で、顔を上げたり下げたり、お疲れさまです、次の方どうぞ、と機械のように次々と繰り返す。
「お疲れさ…」
「オレ、本当に口下手なんです」
また顔を上げたら、さきほど報告を終えたはずのカカシが目の前にいた。
怖いぐらい真剣な目をしている。
こんなに混雑している時に、わざわざ並び直したのだろうか。
「お願いです。あと1回でいいから読んでくれませんか」
重々しい声だった。
のろけたっぷりの後日談を、そこまでイルカに聞かせたいのだろうか。
でも、それでカカシの幸せが増えるのなら。
「じゃあ、あと1回だけですよ」
ちゃんと笑顔で答えられた。
こういう時は受付で表情を取り繕う訓練をしていてよかったなと思う。
そして、最後の帳面を渡されたのは、それから随分と経った2週間後の事だった。
イルカは教員室で一人、残業をしていた。
「ここで読んでもらえますか。返事は今、口頭でいいから」
帳面には妙な厚みがあった。
何かが挟まっているようで、中身が落ちないように組み紐でとめられている。
「これ、ほどいてもいいんですか?」
「はい」
カカシの声は緊張でもしているかのように硬く強張っていた。
まさか、告白が成功したばかりか相手と再婚の約束まで取りつけられた、とでも書いてあるのだろうか。
ぐっ、と唇を引き結んで歯を食いしばり、何を読んでも笑顔を見せられる準備をする。
小さく息をついて慎重に帳面を開いた。
『生まれてきてくれてありがとう。あなたはオレの生き甲斐です』
彼女に告白した時の台詞だろうか。
これぐらいは想定内だったけれど、思いのほか胸にずしんと響いた。
カカシにそんな事を言われる彼女は、さぞかし幸せな人だろう。
『警戒されるのは嫌だし、あなたの希望に沿いたいので、宿泊券を直接贈るんじゃなく、木の葉中の旅行会社からチラシを集めました』
『好きな宿を選んでください。何ヶ所でもいいです。誕生日ですから全部プレゼントします。ただし、オレと二人きりで、という条件が付きます』
子どもや夫は抜きで、と堂々と誘うなんて、さすがカカシだ。
でも、日記はそこで終わっていた。
てっきり、恋愛が成就した事を報告したかったのかと思ったが、違ったようだ。
「…素敵なプレゼントですね」
そう感想を伝えた時も、それほど難なく笑みが作れた。
「やっぱりイルカ先生に相談して正解でした。いきなり宿泊券を贈ったら、ヤル気満々みたいで引かれますよね」
緊張の取れた軽やかなカカシの声に、ずき、と胸が疼いた。
彼女にプレゼントを渡した時に、いい手応えがあったのかもしれない。
すでに交際は始まっているのだろうか。
もしまだなら最後にもう一度ぐらい二人で飲みに行けないだろうかと思って、遠回しに探りを入れる。
「…返事は、まだもらってないんですか」
「だから、今ください」
「え?」
帳面に挟まっていたものが床に滑り落ちた。
百科事典よりも分厚いチラシの束。
イルカが必死に張りつけていた笑顔が、すっと消える。
カカシが驚いた顔をして、帳面の1ページ目から懇切丁寧に説明を始めた。
全部イルカ先生の事だったんですけど、と。
それを聞いて頭から湯気が出そうになりながら、この人が口下手なんて絶対に嘘だ、と思わずにはいられなかった。






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2014.5.25