ひとりじめ |
カカシを好きになって、内心、勝手にひとりで熱狂していた。 カカシが誰かと一緒にいるのを見れば、内心、勝手にひとりで落ち込んでいた。 でも、カカシに会うと、また好きが高じてくる。 でも、カカシが誰かと親しげにしていると、また下がっていく。 この先も、そういう事を永遠に繰り返すのだろう。 もしもカカシをひとり占めできたら、少しは気が休まるのだろうか。 実現するはずのない想像に、自嘲っぽい吐息が、ふっ、と零れた。 聞いている人は誰もいない。 教員室にいるのは、もうイルカひとりだ。 数分前、いつも通りに受付でカカシと報告書のやり取りをした。 交わしたのは、事務的な短い言葉だけだった。 それなのに、油断すると口元が緩んでしまいそうになる。 幸せって、こういう時間の事なのかもしれない。 「イルカ先生」 ドアのほうから呼ばれて、向かっていた机から顔を上げた。 カカシがこちらの席までやって来る。 「何かありましたか」 「あー、まぁ、大した事じゃないですが。ちょっと、手ぬぐいを濡らしてきました」 「手ぬぐい?」 「失礼します」 頬から顎の辺りに、そっとカカシの手が当てられた。 ばくん、と心臓が跳ねる。 湿った布で、頬の上部を丁寧に拭われる。 「今日、書道の授業でもあったんですか?」 「…っ、すみませんっ、墨、付いてましたかっ、気がつかなくてっ…」 恥ずかしくて、申し訳なくて、慌てて身を引いた。 後ろの窓ガラスを鏡の代わりにして、乱暴に顔をこする。 窓に映ったカカシが、イルカを眺めて穏やかな微笑みを浮かべていた。 心臓がうるさく鳴ったまま、ぽーっと見惚れる。 好きだ。 カカシのこういう笑顔、大好きだ。 「…え? 好き? オレを? イルカ先生が?」 「…え…」 「今、言いましたよね」 言ってない。 言ったつもりはなかった。 無意識に声に出してしまったのだろうか。 「イルカ先生、オレの事、好きなんですか」 即座に否定できなかった。 黙っているのは肯定と同じだ。 というか、ここで否定する必要はあるのだろうか。 「…す、き…、です…」 「オレと付き合いたい、的な?」 「…は、い」 「じゃあ、付き合ってみます?」 ものすごい勢いで後ろを振り返った。 映ったカカシではなく、本物のカカシが、イルカの大好きな微笑みを浮かべていた。 * * * * * 告白から3日。 重なった休日にカカシと待ち合わせをして、初めて一緒に出掛ける事になった。 わざわざ、予定を合わせて、カカシと2人で。 どの要素も、とても特別な感じがする。 自分でも浮かれているのがわかる。 約束の10分前に待ち合わせ場所へ行くと、すでにカカシが来ていた。 誰かと話をしている。 声をかけるか、ほんの少し躊躇った。 でも、その一瞬でカカシがこちらに気づいてくれた。 カカシと話していた男性が、イルカのほうを見て、にや、と不思議な笑みを浮かべた。 彼がカカシの背中を、ぽん、と叩いて離れていく。 困り笑顔で頬を掻いているカカシに駆け寄った。 「すみません、お待たせして」 「いいえー。オレが早く来すぎちゃっただけですから」 なぜかカカシが、筋肉をほぐすように両頬をつまんだ。 その頬を、ぱちん、と手のひらで挟んでいる。 気合でも入れるみたいに。 「行きましょう」 大好きな笑みを浮かべたカカシの掛け声に、並んで歩き出す。 向かうのは映画館だ。 「…さきほどのかた、お知り合いですか…?」 「あー…、うん。昔、任務で一緒になったヤツです」 気にするな、と自分に言い聞かせた。 別に、さっきの男性との関係を疑っているわけじゃない。 習性になっているのだ。 カカシが誰かと2人でいるのを見たら、勝手に寂しくなってしまう。 映画館に着いて、外の窓口でチケットの購入列に並んでいる時だった。 向こうから、アスマと紅が歩いてきた。 紅がカカシに近づき、何か耳打ちをした。 途端にカカシの目元が強張る。 「じゃーね、里の誉れさん。と、イルカ先生」 「悪い、イルカ。邪魔した」 紅が、カカシの背中を、ぽん、と叩いていった。 さっきの男性と同じように。 励ましだろうか。 だとしたら、何に対する励ましなのだろう。 釣り合わない相手を伴っている事に対して、だろうか。 カカシが気合を入れるみたいに頬を叩いたのも、自身を奮い起こすためだったのだろうか。 「大人2枚」 カカシの声に、いつの間にか伏せていた目を上げた。 * * * * * 映画のあと、まだ日が高かったけれど解散になった。 どことなくカカシがよそよそしかった気がする。 感想は、聞くのも言うのも我慢した。 もう3か月くらい経つ。 明るいうちに出かけたのは、後にも先にもあの時だけだ。 それでも、夜なら時々、一緒に行動してくれる事があった。 散歩や祭り、花火もカカシと見に行った。 イルカの家にも来てくれる。 ただ、泊まっていく事はあっても、出勤は別々だった。 以前、2人で過ごしている時に、2人同時に召集がかかった事があった。 集合場所も同じだったのに、カカシは1人で先に行った。 まだ、キスもしていない。 手を握った事も、抱擁をした事も、ない。 たぶん、カカシにあまり好かれていないのだと思う。 でも、イルカを好きになろうと努力してくれているのはわかる。 今日だって、受付で飲みに誘ってくれた。 帰り道でも、それなりに酔ったイルカに歩調を合わせてくれている。 「すいませーん、水、買ってもいいですかー」 「どーぞ」 カカシに断って、自販機の前で足を止めた。 小銭で1本買い、ぐび、と呷る。 酔っているせいで、角度と力加減を誤った。 口の端から、首、服、と水を浴びる。 「ははっ。濡れちゃいましたー」 もう零れないように蓋をして、ひとまず口元を拭う。 いきなり、そっ、と両肩を掴まれた。 カカシの顔が正面にある。 ゆっくりと近づいてくる。 あ、もしかして、これは。 嬉しい。 口布越しとはいえ、まさかカカシからキスをしてくれるなんて。 そう思った瞬間、ぱっ、と顔を背けていた。 一歩引いて、カカシから離れる。 「…こういう事は、ちゃんと気持ちが通じ合ってからにしましょう…?」 本当に、本心からそう思ったのに、言いながら泣けてきてしまった。 形だけを繕っても、意味がない事はわかっているのだ。 片想いのさみしさを、笑って誤魔化そうとする。 「…ははっ。無理しなくても、いいんですからねー…」 逆効果だったみたいで、余計に涙が湧いてくる。 目をこすってカカシを見ると、どこか思い詰めたような顔をしていた。 もしかして、読み違えたのだろうか。 カカシは最初から、キスをしようなんて考えてはいなかったのだろうか。 「ははっ、すいません、カカシさんも水飲みたかっただけでし…」 口を噤んだ。 カカシが突然、いつかのように頬から顎の辺りに手を添えてきたから。 手ぬぐいで、顔、首、服、と丁寧に水気を取ってくれる。 優しい手つきに、また涙が込み上げてきた。 「…俺…、カカシさんに、ちゃんと好きになってもらえるように、がんばります」 カカシの手が離れた。 肩から力なく垂れ下がっている。 すべてを諦めたみたいに、顔まで俯かせている。 ごめんなさい、とカカシが呟いた。 すぐに意図を察した。 がんばる、と宣言したばかりだけど。 いいんです、と小さく答えた。 もう限界だったのだろう。 なんの見返りもないのに、この3か月、カカシはよくやっていた。 「オレ、最低ですね…」 「そんな事、ないです」 「キスだって拒まれて当然ですよね。イルカ先生の好きは伝わってくるのに、オレの気持ちは全然伝わってなかった」 「伝わってます。一生懸命、俺のこと好きになろうとしてくれたじゃないですか」 イルカのほうに、カカシを惹きつけるものがなかっただけだ。 唇を噛んで、無力感と涙をこらえる。 「ほら…。やっぱり伝わってない…。オレはずっと、最初から、イルカ先生が好きなのに」 「…え…」 「イルカ先生と付き合えて、めちゃくちゃ浮かれてるんです。初デートを目撃された知り合い全員から、デレデレしすぎだって注意されるくらいに」 知らなかった。 まったく気がつかなかった。 浮かれていた事も、デレデレしていた事も。 「デレデレが目立たないように、デートは夜だけに制限までして。でも、それが間違いでした」 カカシの声には、自身への苛立ちが滲んでいた。 「影響力、立場、体面、評判、全部どうでもいい。里にも国にも上層部にも、配慮なんていらなかった。大切な人にそんなこと言わせて、そんな顔させて、何やってんだ」 まだ頭と心が追いつかない。 キスをぬか喜びして、別れ話になって、でもそうじゃなくて、カカシに好きと言ってもらえて。 間違っていないよな、と自問自答する。 「告白から、やり直してもいいですか」 新たな予期せぬ言葉に、ぴし、と背筋が伸びる。 「普段きちんとしているイルカ先生が、時々見せる気の緩んだ所、大好きです。愛しいです。もしチャンスが来たら絶対に逃がさないって決めてました。よろしくお願いします」 カカシが頭を下げた。 了承を求めるように、手を伸ばして構えている。 そろそろとカカシの手を取ろうとすると、その前に捕まった。 びく、としているうちに、力強く握り込まれる。 初めて繋がった手には、妙な活力がみなぎっていた。 「もう隠さない。自分にも、イルカ先生にも、他の人たちにも。だらしなくデレついた顔、みんなに見せつけてやります。上忍だって恋に溺れるんだ」 カカシの圧がすごかった。 見た事のない熱い一面に、心を鷲掴みにされる。 ただ、ひとつだけ引っかかった。 デレついた顔は、みんなに見せつける前に、なんとかイルカだけに先行公開してはくれないだろうか。 |