ミルク






アカデミーも受付も、1か月半ぶりだった。
誰かとすれ違うたびに、久しぶり、と声をかけられる。
生徒が夏休みのあいだ、ずっと入院していたのだ。
やっと帰ってきた、という感じがする。
でもまだ胸が苦しくて、服の上からぎゅっと掴んだ。
だんだん痛みが強まってくる。
廊下の壁に寄りかかったけれど、やり過ごせなくて、その場でうずくまった。
ラクになる方法はわかっている。
でも上手くできるだろうか。
まだ慣れていなくて、自信がない。
それに、胸囲をきつく覆う布をひとりで巻き直すのも面倒だ。
薬の影響で、チャクラが上手く練れなくて、分身が作れないのだ。
トイレか、保健室か、空き教室か。
どこがいいだろう。
どこが近いだろう。
「大丈夫ですか…?」
「あ…カカシさ…」
「ご無沙汰しています」
弱っている時には、あまり会いたくない人だった。
この人の前では、いつも溌剌としていたい。
褒めてくれた事のある笑顔で対応したい。
胸を押さえながら、無理をして立ち上がった。
「お久しぶりです。もう大丈夫です」
「そうですか。でも、どこかで休んだほうが」
「はい。そうします」
「オレもご一緒していいですか」
「え…」
それは困る。
今は都合が悪い。
どう断るか考えた一瞬の隙に、カカシが先に口を開いた。
「久々に会えたから、少しでもイルカ先生と話がしたくて」
頬が、ぽっ、と熱を持った。
嬉しい。
ナルトを介して知り合った関係でしかないのに、友人と思ってもらえていたみたいで。
いや、でも、体の調子が。
また今度、と告げようとした時だった。
「っ…」
胸の痛みが激しくなって、手で押さえずにはいられなかった。
「イルカ先…」
「失礼しますっ…」
我慢できずに、一番近い空き教室に飛び込んだ。
さっと辺りを見回す。
窓側の本棚の上に、何も入っていない花瓶を見つけた。
急いで取りに行き、1枚だけカーテンを閉める。
一応は窓に背を向けた。
服をたくし上げ、巻いていた布を乱暴にほどく。
そして、左胸に花瓶を構えた。
瓶の縁にこすれたわずかな刺激で、ぷしゃ、と乳首から白っぽい液体が噴き出す。
ひと噴きしても、まだじわじわと染み出してくる。
それでも切迫感は薄れた。
続けて右胸に花瓶を構え、こちらからも、ひと噴きさせた。
でも、まだ胸の張りは収まらない。
両乳首から漏れる液体も止まらない。
大変なのはここからだ。
力任せに押したり、握ったりしては、いけない。
入院中は特殊な機械で吸い出していたけれど、退院してからのために素手で処理をする練習もしてきた。
「っ…、ぅ…ん、いたっ…」
やっぱり難しい。
なかなか一気には出てこない。
教えられた手順で、少しずつ、根気よく。
「イルカ先生っ、どうしっ…」
血相を変えたカカシが突然、ガラ、と勢いよくドアを開けた。
「ぅ、わぁぁあっ!」
途端にカカシが悲鳴のような声を上げた。
まさか胸元を露わにしているイルカに遭遇するとは思わなかったのだろう。
「す…、すいません…お見苦しい所を…」
「謝るのはオレのほうでっ…、すいませんっ」
カカシが素早く体を反転させて、廊下側を向いた。
こちらも慌ててカーテン側を向き、カカシに背中を向ける。
「あ、のっ…、なっ…何を…、して…いるんです、か…?」
「…にゅう、を…」
「え…?」
「搾乳を…」
入院は薬の治験任務を請けていたからだった。
里の働き方改革の一環でもある。
女性への子育て負担の偏りを軽減する方法として、男性から母乳を出してみる、という実験だった。
体質が変わるほどの強い薬を、継続的に投与されていた。
まだ本調子とはいかなくても、だいぶ体質は戻ったし、教職と窓口業務もあるので、しばらくは通院で経過観察、という形になった。
長引いてもあと半月程度で症状は落ち着く、と聞いている。
「相手は…誰ですか」
「相手?」
「父親です。答えにくい男ですか。出産されたんですよね」
「あ…、いえ…、任務で…」
声に戸惑いが滲んでしまう。
カカシは、男性でも出産できる、と信じて疑ってない様子だった。
発想が柔軟すぎないか。
いくら里の技術力が高くても、まだそこまでには至っていないだろう。
「…しばらく見かけなかったのも…遊女と同じ理由だったんですね…」
「あの、カカシさ…」
「望まない妊娠だったんじゃないですか」
「いや、そうじゃなくて…」
「オレでよければ力になります。一緒に育てましょう」
「そ、だっ…? 痛っ…」
思わず、手に余計な力が入ってしまった。
「大丈夫ですか」
音もなく移動してきたカカシに、そっと肩を撫でられた。
また胸元を見せてしまうかもしれない恥ずかしさに、咄嗟に前屈みになる。
「大丈夫です…。まだ慣れていなくて…」
これ以上ややこしくなる前に、公にできる範囲でカカシに事情を話した。
薬の影響が抜けていない事や、分身が作れなくて胸布を巻き直すのが厄介な事を。
カカシが考え込むように俯いた。
その顔がふいに、むく、と起き上がった。
「お困りなんですよね。手伝わせてください」
やけに気迫のこもった口調だった。
そこまで言ってくれるのならば、胸布を巻き直す介助をしてもらえるとありがたい。
「右と左、どちらからにしますか」
右巻きか、左巻きか、という事だろうか。
それはどちらでも構わない。
ただ、もう少し搾ってからにさせてほしい。
「右でも左でもいいんですけど、ちょっと待っててもらってもいいですか」
「待っていたら変に緊張しそうなので」
そう言ってカカシが、イルカの正面に回ってきた。
わずかに膨らんだ乳房と、赤みの増した乳首を、隠す間もなかった。
さっと口布を下げたカカシの、失礼します、という声が右胸から聞こえた。
「っ、あ…、う、そ…カカ…、シ…さ、んっ…」
ちゅー、と乳首に吸いつかれた。
ちゅう、ちゅう、ちゅーう、と乳汁が吸い出されていく。
手伝うというのは、こんなに直接的な事をするという意味だったのか。
ひどい倒錯感に頬が熱くなる。
いい大人同士で何をしているのだ。
里を代表する上忍に、こんな事をさせていいわけがない。
それは充分にわかっている。
わかっているのだけど、止められなかった。
力の加減がちょうどよくて、確実に胸の張りが軽減していく。
でも、顔の火照りと息の乱れは一向に引いてくれない。
無意識に、はぁ、と熱っぽい吐息が零れた。
「カカ…んっ、ふ、っ…ん」
そろそろ右は充分だ、と伝えようとしたら、乳首を舌で撫で回された。
突然の事に、鼻の奥から吐息と呻きの混ざった声が漏れていた。
吸い切った事を確認するためだったのだろう。
ひとしきりしゃぶられたあとに、カカシの口が左胸に移った。
こちらも程よい力加減で吸い出されていく。
やはり最後には左乳首も舐め転がされた。
念のためなのか、あいていた右乳首を指先で揉まれ、きゅっと捻られる。
乳汁が止まっている事を確認したのだろう。
また、吐息と呻きの混ざった声が漏れてしまう。
「は、ぁ…んっ」
「イルカ…先生…」
瞳孔の開いたカカシの目が、ゆらぁ、とこちらを向いた。
見た事のないあやしげな視線に怯み、浮いていた涙を払いながら目を逸らした。
カカシが善意で自発的にしてくれた事とはいえ、後ろめたさが尋常じゃない。
「ぁ…、ありがとう…ございます…。だいぶ…楽になりました…」
カカシが弾かれたように、ばっ、とイルカから離れた。
晒したままの肌に、ひんやりとした空気が触れる。
なんだか、無性にさみしかった。
心許なくて、ぶる、と肩が震える。
こらえるように唇を噛み、しわくちゃに丸まっていた胸布を鷲掴んだ。
巻き直せる最低限の形に畳んでいると、そっとカカシに取り上げられた。
丁寧にしわを伸ばして、筒状に巻き整えてくれる。
「いいですか」
「あ…、はい…。すいません、ありがとうございます…」
カカシに背中を向けると、胸に布が巻かれていく。
緩みなく、均等な厚みで。
「…今度、飲みに行きませんか。食事だけでも」
「そう、ですね」
手を動かしながらの社交辞令に、社交辞令を返した。
無言ではカカシも気づまりだったのだろう。
わかってはいたけれど、胸の中が薄暗いむなしさに染まっていく。
「もっと…イルカ先生との関係を深めていきたいです。もっと、もっと、イルカ先生を知りたい」
最後に布の端をきっちりと隙間に折り込みながら、カカシが言った。
後ろから腹部に、ふわりと腕が回ってきて、優しく引き寄せられる。
どき、どき、どき、と心臓の音がした。
自分とカカシと、どちらが発している音なのかがわからない。
「…駄目ですか」
「駄目じゃ…ない、です…」
そう答えるのが、精一杯だった。






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2019.11.02