嫉妬の沸点






最近やたらと誘いが多い。
同僚たちが活気づいているのだ。
彼女がほしい、結婚したい、と。
「イルカ、金曜あいてるよな、合コンやるぞ」
「…俺はいいよ」
「お前だって彼女ほしいだろ」
「いいって」
こんなやり取りを毎週のように繰り返している。
今日も教員室を出た途端、見計らったように廊下に出てきた同僚に声をかけられた。
でも、自分はまだ一度も参加していない。
「まさか…、デキたのか、彼女…」
「できてない」
「隠すなよ」
「隠してないから」
「じゃあ来いよ」
「だから俺はいいって」
いつものようにあしらって、これから入る受付へと歩き出す。
だが同僚は諦めてくれず、隣に並んでイルカについて来た。
小さなため息が零れる。
彼女はいないけれど、付き合っている人はいるのだ。
そろそろ1年が経つ。
向こうの愛情深さのおかげで、ずっと穏やかな関係で、喧嘩すらした事がない。
「今回は看護師だぞ。絶対に損はさせないから」
「興味ない」
「いいじゃん。たまには来いよ」
「他のやつ誘えって」
「なんでだよ。おれはイルカと一緒に行きたいんだよ」
「そっか、残念だな」
ここまで粘られるのは珍しい。
彼氏がいるから、と本当の事が言えたら楽なのに。
でも、相手に迷惑がかかってしまう。
それに自分もあまり公にしたいとは思っていないのだ。
とても素敵な人なので、イルカからなら簡単に奪えると思う人たちが、きっとたくさん現れる。
彼もそういう存在への対応をわずらわしく思うだろう。
イルカと一緒にいるからわずらわしい事になるのだと気づかれたら、別れたほうがいいと考えるかもしれない。
もっと面倒のない人と付き合いたいと思うかもしれない。
あの人には、イルカでなければならない理由のほうが少ないから。
「なんでそんなに頑ななんだよ」
「なんでも」
「行こうってば、行こう! 一緒に! 合コン!」
「だから…」
「ごめんね」
ふいに会話に入ってきた人がいた。
なんの気配もなく、風が通りすぎるようにさりげなかった。
「この人、オレのなの。いい出会いがあったら困るから、諦めて」
「か…カカシさん…」
戸惑って名前を呼んだけれど、カカシはまったく動じていなかった。
他の人に自分たちの関係を明かしてしまった。
よかったのだろうか。
いや、そんなわけがない。
同僚になんと言って誤魔化したらいいのだろう。
横を見ると、同僚は硬直して立ち尽くしていた。
早くなんとかしないと。
「えっと…、カカシさんは俺が困ってるのを見て助けようとしてくれただけで、深い意味は…」
「イルカ先生、そろそろいいじゃない。オレたちが付き合ってる事、周りにバラしても。もう1年になるんだし」
同僚がさらに目を見開いた。
ああ。
めまいがした。
足の感覚が遠いし、頭も、ぼーっとする。
「ほら、受付に行くんでしょ? オレ報告書持ってきたんです」
カカシの手が恥ずかしげもなくイルカの腰に回ってきた。
ぎくりと肩が跳ねる。
さらに腰を引き寄せてきたカカシに促されて、並んで歩き出す。
一向に動揺が収まらない。
胸がざわざわする。
「本当に…よかったんでしょうか…」
「よかったんだと思います」
カカシの力強い口調に迷いはなかった。
おそるおそる振り返ると、同僚はまだ廊下で固まっていた。



               * * * * *



音速か光速かと思うほど、噂が広がるのは早かった。
翌日には誰もが自分とイルカの関係を知っていた。
イルカの同僚の伝達力はすさまじい。
受付に依頼書を取りに行けば、イルカは不在だったものの、気づかれないとでも思っているのか異常な数の視線を感じた。
イルカも同じような居心地の悪さに晒されているのだろうか。
少し申し訳ない。
でも、イルカには決まった相手がいるという事を主張したかったのだ。
本当はもっと早く公にしたかった。
イルカが気にするから1年待っただけだ。
よい機会だったのだと思う。
それでもイルカに迷惑がかかっていないか心配で、客人を近隣へ送り届ける護衛任務を最短で終わらせて帰路を急いだ。
予定より2時間ほど早く里に着いたが、それでは早すぎてイルカはまだ受付にいなかった。
頻繁に会っているのに、報告の受付でイルカに会えないと毎回がっかりする。
とりあえず6時まではいないといけないので、心なしかいつもよりきつめの猫背で待機所へと向かった。
イルカも報告時にカカシに会えないと残念に思ったりするのだろうか。
忙しくてカカシの事なんて考えられないだろうか。
もしそうだったら悲しい。
自分の頭の片隅には常にイルカがいる。
出会って何年も経っているけれど、好きは減らないばかりか深く広くなっている。
イルカが知ったら重いと思うかもしれない。
そんなに背負えないから別れようと言われるかもしれない。
元々は軽い男と思われがちだった。
イルカも出会った頃はカカシに対してそういう印象を抱いていた。
現在とは正反対だ。
本気で真面目に告白しているのに、なかなか信じてもらえなかった。
嘘でも冗談でも罰ゲームでも面白がっているわけでもないのだと、ようやく伝わったら、今度はどうせすぐに飽きるとか、イルカでは相応しくないとか、間もなくカカシに縁談が来るとか、ひと通り拒まれた。
噂や周りからの入れ知恵もあったのだろう。
いくつもの困難を乗り越えて、やっと結ばれた大切な人なのだ。
嫌われるような事があったら、けして大げさではなく、カカシの世界は終わる。
やっぱり重いよな、とは思うけれど、こればかりは変えられる気がしない。
「ねぇ」
待機所のソファーでイルカに思いを馳せていたカカシを、遮る声がした。
顔を上げると、何度か任務で一緒になった事のある上忍のくの一が腕を組んで立っていた。
できる大人の女気取りの黒髪ショートボブに、若作りなピンク色の口紅をいつもつけていて、悪い意味で印象に残っている人だ。
正直、あまり関わりたくない。
壁時計に目をやると、6時まであと5分だった。
「受付の子と付き合ってるってホントなの?」
「んー、まぁ」
「ずいぶん手堅い所を狙ったわね」
嫌味でも言いたいのだろうか。
それとも、ただ羨んでいるだけだろうか。
「もう1年だって?」
「んー、まぁ」
テキトーに答えていたら、廊下からイルカの声がした。
今さっき待機所を出ていった特別上忍の男と話しているようだった。
和やかに談笑している雰囲気が伝わってくる。
どうやらイルカが資料を届けに来たらしく、その礼を言っているようだった。
ただの仕事上の会話だ。
それなのに、嫌な気持ちになる。
嫉妬という感情も、イルカと出会ってから身を持って知った。
知ってしまったら、自分ではどうにもできなくなった。
しかも自分はイルカの事となると、かなり沸点が低いようだった。
「ほんと気が利くよな。カカシと別れたら俺と付き合おうぜ」
「ははは、ありがとうございます」
気がついたら廊下に出ていて、イルカの手を取っていた。
考える前に体が動いていた。
昨日もそうだった。
イルカが合コンに誘われていたら黙っていられなかった。
この人にはカカシがいるという事を見せつけてやりたくなった。
冗談めかしてイルカを口説く、この特別上忍の男に対しても同じように。
イルカはひどく戸惑っていた昨日とは違って、今日は驚いた顔をしていた。
特別上忍の男は、辿々しくではあったが重ねてイルカに礼を言って、どこかへ消えていった。
「どうせそろそろ飽きてるんでしょ。息抜きしたくなったら、いつでも言っ…」
後ろから、若作りのあの女の不快言葉が聞こえて、さっと振り返った。
抗議しようとした瞬間、握っていたイルカの手が、ぎく、と揺れた。
そこで自分の不始末に気がついた。
イルカにひどい言葉を聞かせてしまった。
自分が雑に女をあしらったせいで。
女への対応よりイルカへのフォローを優先すべきだった。
罪悪感に苛まれてイルカに向き直る。
「す、すみません…」
そう発したのはイルカのほうだった。
こちらも慌てて口を開く。
「オレこそすみません、オレが至らないばっかりに」
「か、カカシさん、ひとまず向こうに行きませんか」
イルカが律儀に、あの女がいる待機所のほうに頭を下げて、失礼します、と声をかけた。
繋がった手を握り直され、イルカに引かれるようにして人けのない所まで連れていかれる。
「大丈夫ですか…?」
立ち止まったイルカに気遣うように尋ねられた。
それはこちらから聞くべき事だった。
申し訳なさと同時に疑問が浮かんで聞き返す。
「何が…、ですか…?」
「カカシさん、すごい顔してたから…」
「すごいって、どんな…」
嫉妬で鬼の形相にでもなっていたのだろうか。
それとも、相手を見下すような冷徹な目をしていたのだろうか。
「なんていうか…、泣きそうな顔というか…。違っていたらすみません…」
かぁ、と頬が熱を持った。
イルカにそう見えたのなら、間違いはない。
感情がうまく処理できなかったのは確かだ。
だって、イルカに飽きているなんて根も葉もない事を言われた上に、あんなに間近でイルカ本人の耳に入れてしまったのだ。
「待機所のみなさんも、カカシさんの様子に驚いていたというか、引きつっていたというか」
「そうでしたか…」
「ちょっと気の毒なくらいでした」
たしかに、あの男もあの女も不自然な部分があった。
あれはカカシを哀れんでいたからだったのか。
「ごめんなさい」
またイルカが謝ってきた。
いつも先を越されてしまう。
「オレだって」
「でも、カカシさんと別れたら、なんて話を冗談でも笑ってやり過ごしてしまったから」
イルカの口から『別れ』という単語を聞いただけで、胸がきゅうっとなった。
さっきは尚更、表面を繕えないくらいの切実さで追い込まれていたのだと、今ならわかる。
「オレもすいません。イルカ先生に飽きるなんて事、絶対にないですから」
イルカの眉が一瞬、悲しげに下がった。
嫌な言葉を思い出させてしまった。
「あれは…カカシさんが悪いわけじゃ…」
「でも、ああいう人を引き寄せてしまったのはオレのせいです。イルカ先生にはイイ奴が寄ってきてたじゃないですか」
「いいやつって…」
また嫉妬が溢れてしまった。
わざわざ口にしなくてもいい事だったのに。
「ま、どんな奴だろうとイルカ先生は誰にも渡しませんけどね」
すでにイルカ先生はオレの一部みたいになっていて切り離せないんですけど、という言葉はかろうじて飲み込んだ。
重すぎるとか気持ち悪いとか思われたらたまらない。
「これからも末永くよろしくお願いします。今も大好きです。愛しています」
いつもの気持ちを改めて告げると、イルカの頬がほんのりと色づいた。
イルカは恥ずかしそうに一度さっと目を伏せてから、カカシの耳元に手を添えてきた。
「…俺も、です」
こそ、とイルカが呟いた。
心臓が、ばくん、跳ねた音をイルカに聞かれたかもしれない。
かわいすぎないか。
1年付き合っているのに、イルカのこういう所にいちいち、ぽわぁ、となってたぎってしまう。
すっ、とイルカが離れた時に、ああっ、と叫びそうになった。
抱きしめる絶好のタイミングを逃してしまった。
愛を深めるせっかくの機会だったのに。
「今日は妙な視線を向けられる事が多かったので、俺も誰かにカカシさんを取られるかも…、って不安になっていたんです」
「オレはそんなに軽い男じゃないです」
「あ…。すみません…。ただ俺が自分に自信がなくて…。俺も言っていいですか。…カカシさんは誰にも渡さないって」
また、ぽわぁ、となった。
でも今度は逃げられる前に素早くイルカを抱きしめた。
「何回でも言ってください。オレだって何回でも言います。イルカ先生は誰にも渡さないって」
イルカが吐息を零しながら照れくさそうに笑った。
いっそのこと火影にでもなって、イルカの所有権はカカシのみに与えられる、という法律でも作ってしまおうか。






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2022.07.16