じっとしていられない。

こんな所、今すぐに抜け出して、一秒でも速くイルカの元へ駆け出したい。

「カカシさん、私今すごく幸せです」

人の気も知らないでにっこり笑った彼女に合わせて、カカシも表情を綻ばせた。

「オレも幸せですよ、シオリさん」

心にもない事を口に出し、頭の中だけで悪態を付く。

結婚式直前の控え室。

新郎と新婦が二人きりだなんて、珍しい事ではないから厄介だ。

ともすれば、隣にいる鬱陶しいだけの存在へ、はやる気持ちをぶつけてしまいそうになる。

彼女を気遣う余裕がないから一人になりたいのに。

でも、もし今一人になったら、きっと自分はイルカの元へ走り出してしまう。

道端で倒れていたらしい。

体中には出来たばかりの擦り傷が多数。

着衣が乱れて、泥だらけだったという。

まだ生々しく耳に残っている、伝令鳥の声。

そんな症状を聞かされて、いくつもの場面を想定した。

最悪の事態を考えると、更にここから逃げ出したい思いが強まった。

よりによって、どうして今日、そんな事件が起こるのだ。

今日でさえなければ、何かで誤魔化して、すべてを放ってイルカの元へ行けたのに。

心の葛藤で叫びそうになるのを、必死に抑える。

「カカシさん…」

幸せそうに微笑む彼女が腕に寄り掛かってくる。

彼女から顔が見えないのを良い事に、カカシは思い切り顔を顰めた。







* * * * *







結婚式の終わりが、任務の完了でもあった。

忍者の存在すら知られていない、遥か遠い国からの依頼。

依頼主は、何でも仕事を請け負うという噂を聞きつけた財閥の御曹司。

内容は、結婚式直前に他の男と逃げた女への復讐。

容姿も力量もある男を見繕ってその女を誘惑し、幸せの絶頂時に男が死んだ事にするという細かい指定まで出された。

女が男へ恋に落ちる所から、絶望する瞬間までを目の当たりにしたい、という依頼主の希望により、幻術での刷り込みは厳禁。

承認されたのは、施行人の死亡を、女へ信じ込ませるための幻術のみ。

有力顧客に発展する可能性のある依頼主に、真っ先に目を付けたのは五代目だった。

里の復興が始まって間もない時期に、戦闘のない高報酬な依頼は好都合だと。

イタチとの戦いで重傷を負い、目覚めてから日も経たないうちにカカシへ渡された任務がそれだった。

命の恩人である五代目からの、直接の依頼。

万全な状態ではなく、戦闘に不安が残るカカシが、里に還元出来る仕事は限られる。

自分の立場や里の情勢を考えれば、当然断る理由はない。

だが、イルカの事を思うと、いくら任務とはいえ、結婚するなんて勘弁してほしかった。

カカシが寝込んでいる間中ずっと心配を掛けておいて、目が覚めたらすぐに、結婚式を挙げに、長期間他国へ出るなんて。

イルカから薄情だと罵られても、甘んじて受ける覚悟だった。

いや、イルカがそんな事をする人間ではない事は、カカシが一番良く知っている。

罵ってもらった方がカカシの気持ちが楽になるから、自分勝手にそう願っただけだ。

イルカは、仕事だとわきまえている事へ、感情的に口を挟む事をしない。

上忍の任務内容に中忍がとやかく意見してはいけない、という考えを頑なに貫き通している。

それでも嘘を吐けない人だから、表情や仕草の端々に滲む内心をカカシなりに推し量ってきた。

あの時、イルカの気持ちを汲んで、自分の気持ちに正直になっていれば。

今、病院のベットの上で、青白い顔で横たわる痛ましい姿を見る事はなかった。

イルカと里を天秤に掛け、五代目への恩義のせいで里を取ったカカシが悪い。

本当に、悔やんでも悔やみ切れない。

「イルカ先生っ…」

掛け布団をぎゅうぎゅうと掴む。

不甲斐ない男を選ばせてしまって、ごめんなさい。

でも、どうしてもイルカじゃないと駄目で。

「…カシっ…せっ…せ…?」

「イルカ先生っ?!イルカ先生っ?!」

少し開いては閉じ、少し開いてはまた閉じを繰り返して、イルカがゆっくりと目を開けた。

弱々しいが、しっかりとカカシを捕らえる。

「…カカシ先生…」

安心したのか、微かな笑みを見せてくれる。

しかし、それはすぐに消え、険しく、哀しそうな表情になった。

そんな顔、しないでほしい。

「…任務は…?」

「ちゃんと終りました。しばらくは休みを貰います」

「…よかった…」

イルカがふーっと息を吐く。

その振動によって、目の端からするりと涙が零れた。

涙の跡を通って、次から次へと新しい涙が零れていく。

「…体、大丈夫ですか…?…ゆっくり…休んで…下さいね…」

「イルカ先生…」

「…病み上がりで…長期任務…。大変…だったでしょう…?」

「…っ」

ベットへ覆い被さるようにして、イルカの頭を掻き抱いた。

蒼白で起き上がれない病人のくせに、他人の体の心配をしている。

力を入れ過ぎないように頬へ摺り寄ると、覚束ない手付きでイルカの手が伸びてきた。

その手が、カカシの頬をそっと撫でる。

「顔色…良くないです…。頬も少し痩けて…。早く休んだ方が…」

「いいからっ、オレは大丈夫だからっ」

「…でも…」

頬に触れていたイルカの手を取り、震える唇を押し付けた。

健気な姿に、カカシの目からも涙が落ちる。

「何が起こったのかは、大体聞きました。…犯人は捕まりましたからね」

イルカの爪には、まだ土が挟まっていた。

逃げる際に、地面を掻いた痕だろう。

おとといの夜、任務を終えたイルカが報告書の提出を済ませてから、帰宅する道中で事件は起きた。

犯人は待ち伏せしていたらしく、その野獣のような巨体を以ってイルカに襲い掛かった。

任務帰りのせいで反応が遅れたのだろう。

拘束され、あっさりと近くの茂みへ連れ込まれたイルカは、ベストとアンダーを引き裂かれた時点で完全に男の目的を察すると、渾身の力を振り絞って抵抗し始めた。

体格差があり過ぎて散々争ったようだが、一瞬の隙を突いて施した金縛りの術で木の幹へ張り付ける事に成功し、何とか逃げ出す事が出来た。

肉体疲労と併せて、精神的にも追い詰められたイルカは、息も絶え絶えに地を這い、通りに出た所で気を失ってぐったりしていたのだという。

そこに偶然通りかかった一般人の通報によって無事に保護され、イルカはここに収容された。

金縛りの術で木に固定されていた犯人は簡単に捕まり、そのまま連行されたそうだ。

「…俺の…不注意…だったんです…」

「イルカ先生は悪くない。内務と外務の繰り返しで休めなかったんでしょう…」

「…忙しいのは…カカシ先生も…みんなも…一緒…ですから…」

だからせめて今はもう少しこのままでいてほしいと、か細い声で囁かれた。

さぞ、怖かっただろう。

男性としての自尊心を傷付けられただろう。

治安の良かった頃には考えられなかったのにと、どれだけ胸を痛めただろう。

イルカを抱き締めるだけならカカシにも出来る。

それで安らいで貰えるなら、存分に与えたい。

イルカを抱き締める事で、カカシもまた癒されるから。

「今はツライですけど、必ず平和で安全な里に戻ります。オレが戻してみせます」

力なくカカシの首へ回るイルカの腕に、それでも振り絞ったイルカの力が込められた。

それに答えるべく、カカシからも、慎重にイルカを抱き締める腕に力を込める。

「…俺だって…回復したら…里の復興に…全力で…」

「はい。幸せな里で暮らせるように、一緒に頑張りましょうね」

この温もりを守るためなら、何だってする。

健やかで清々しいイルカの笑顔は、里にとっても重要な財産なのだから。










ss top  count index  □mail□
2004.05.24

 

 

12345Hit 池森 炬さんからのリクエスト
『切ない系の何か』 でした。(難し…)
遅くなってゴメンナサイです。
切ない系を通り越して、哀しい感が多分にございますがご勘弁下さい…。

リクエストありがとうございました!