午後からはぼーっとしていて、同僚に心配をかけてしまった。 片手間で仕事をした感覚。 頭の中で一割が仕事のこと。九割がカカシのこと。 ケーキが潰れたのもショックだったが、発覚した事実が余りにも衝撃的で、輪を掛けて仕事に集中できなかった。 端正な顔、優しい仕草、良く通る声、穏やかな会話、逞しい体、エリート上忍、写輪眼…。 カカシの男っぷりを挙げればきりがない。 そんな彼が女性や同性に好かれるのは当然。 俗にいえばモテる男。 結婚して子どもがいて然り。 自分は余ほど周りが見えていなかったことになる。 それ程カカシに参っていたのだ。 大好きだった。 思いが強かった分、反動が大きくて家に帰るのも億劫だ。 だが遅くまでアカデミーにいるのもイヤだった。 「はぁー…」 ため息を吐いて、ゆっくり息を吸い込む。 眉間と奥歯に力を入れて、家に帰る気合いを補った。 立ち上がり、簡単に机を片付け、電気を消して教員室を出た。 廊下に足音が響かないように歩く癖はいつもと同じだったが、背筋を伸ばしたいつもの姿勢が上手く保てない。 どうしても肩が下がって首がうなだれてしまう。 生徒には見せられない姿だ。 そのまま玄関へ着くと、月明かりに照らされた人影が見えた。 (こんな時間に誰だ?正座で説教だな) 全身に力を入れて、先生としての型を成した。 駄目じゃないか、と声を出そうとしたら『だ』の口のまま固まった。 「遅くまでご苦労さまです」 「カカシ先生…」 名を呼んだら昼間のことがフラッシュバックした。 ジワッと込み上げたが、眉間に皺を寄せてぐっとこらえた。 「そんな顔しないで下さいよ。もしかして昼間のこと怒ってます?」 何も言えずに俯くと、その拍子にポタッと水滴が落ちた。 袖でゴシゴシやって、無理矢理誤魔化そうとした。 「えっ、あ、す、すいませんっ!な、泣かないで、下さいっ」 カカシはイルカに目の前で泣かれ、どうしたらいいのかわからず、ひたすら焦った。 イルカは泣き顔を見られまいと頑なに下を向いている。 「カカシ先生が謝ることはありません。謝るのは俺の方です。さっきはすいませんでした」 カカシがそっとイルカの肩を撫で、ようやく顔を上げた。 見れば、唇に血が滲んでいる。 目も鼻も真っ赤。 涙で頬が濡れている。 こちらが狼狽えていてはいけないと思い、カカシは自分がここで待っていた理由から話すことにした。 「ちゃんとお礼を言わなくて、すいませんでした。ありがとう。美味しかったです。…って言ってもまだ半分残ってるんですけどね」 イルカが話に耳を傾けてくれた感覚を掴んだ。 「初めてイルカ先生から貰ったプレゼントを、全部食べてしまうのが勿体なくて」 カカシは照れながら苦笑した。 だが、すぐに真顔に戻り、一番聞きたかった、一番言いたかったことを切り出した。 「…意味を教えてくれませんか。ケーキをくれた意味を」 「それは…っ」 イルカが唇を噛んで俯いた。 本当はカカシには伝わっていたが、本人の口から聞いて確かめたくて。 もしかしたら、単なる勘違いかもしれないから。 確証がなくて不安なのだ。 イルカの言葉が欲しい、と。 「イルカ先生が何も言わないなら、俺は言わせてもらいますけど」 イルカの体がビクッと揺れる。 手が白くなるほど拳を握って。 イルカは、もう息が出来ないほどの緊張を味わっていた。 目を固く瞑り、耳を塞ぎたい衝動に堪えながら。 「2月14日って好きな人にチョコレート渡して告白する日ですよね?」 イルカは追い詰められるような感覚に我慢できず、首を横に振った。 一旦引いた涙がまた競り上がってくる。 「同じ男なのに、俺は2月14日にあなたからチョコレートケーキを貰った」 「も、もう…っ、忘れて下さい!」 イルカが逃げ出そうと、足に力を入れた瞬間。 「あなたが好きだ!俺からは何も渡せなかったから、遅れ馳せながら告白だけはさせてもらいますよ!」 微動もできないほど強く抱き締められた。 「俺の勘違いじゃなければ、あなたも俺の事、好きなんですよね?嬉しかったです!ケーキ、すごく美味しかった。愛の力ですか?」 「…うっ…」 カカシの腕が苦しくて、イルカから嗚咽の混ざった呻き声が漏れた。 少し力が緩む。 その隙にイルカがカカシの顔を盗み見ると、にっこりと晴れやかな笑みを浮かべていた。 「カカシ先生…」 その笑顔は同性の自分が見惚れるほど素敵だった。 だかカカシには妻子がいる。 「はは…、何を言ってるんですか」 声が擦れた。 一瞬ほだされそうになったが、流されてはいけない。 「既に家庭をお持ちのあなたが、たとえ気紛れでもそんな無責任なことを言っては駄目でしょう…」 家族が離ればなれになってはいけない。 必ず悲しむ人がいるから。 「奥さんやお子さんが可哀相ですよ…」 家族を失った痛みなら、少しはわかるつもりだから。 「え…?俺っ」 嘘でもいいからカカシの言葉を信じて、流されてしまいたい気持ちを抑える。 「潰れたケーキを食べてくれたのは、ありがとうございます」 なんとか微笑むが、眉間の皺が消えない。 「イルカ先生、そんな顔しないで…。あなたに泣かれると何も出来なくなるんだよ…」 カカシの顔がイルカに近付く。 「わっ…」 優しく抱かれ、額にキスをされた。 「あなたは間違ってる」 至近距離で見詰め合い、ゆっくりと言い聞かせるようにカカシが話し始めた。 「まず、俺に奥さんはいません。もちろん子供も。結婚だってしていない」 「…だって!今日、アカデミーの前でみんなで待ち合わせしてたじゃ…!」 素直に受け入れたい気持ちと、疑わなくては駄目だという気持ちが内混ぜになる。 「あれは…、アスマと紅にハメられたんです。イルカ先生を泣かす事になるなら、はっきり断ればよかった。…俺が悪いんです。すいません」 真剣に話すカカシをただ見つめる。 「あれは、何日か前にアスマと紅が連れてきた全くの他人です。俺が14日に休みを取るとわかった上で、約束させられたんです」 「14日に休みを…?何か用事があったのですか?」 カカシは悪くないとわかったのに、イルカはつい問い詰めてしまう。 自分のそういうところが浅ましいと思う。 「お願いだから、そんな顔しないでよ。全部本当のこと、話しますから」 目を伏せ眉間に皺を寄せていたのに、カカシには目聡く気付かれた。 「14日って、女達がやたら騒ぐでしょ。そういうの煩わしくて。あと、甘い物が好きじゃないってのもあるんですけど」 甘い物嫌いだったんだ…。 「すいません、オレ知らなくて…」 悪いことをしたと思い、上目使いでカカシを見ると優しく微笑んでいた。 「謝らないでよ。さっき言ったじゃない、美味しくて嬉しかったって」 もう一度抱き締められる。 「他に何か質問は?」 「…ありません」 小さく答えるとカカシは間髪いれずにこう言った。 「じゃ!俺から聞きたいことがあるんですけど!」 「…えっ、え?」 捲くし立てられるように言われ、焦った。 ころころ変わるカカシのペースに付いて行けない。 「俺はイルカ先生に好きだと言いました!だから、あなたからも好きだと言って下さい!これが俺の聞きたいことです!」 真っ赤。 首、頬、耳、額、全部真っ赤なのが自分で感じられる。 聞きたい事って、意味が違うんじゃ…。 「さぁ、さぁ!」 期待にキラキラ輝くカカシの目が眩しい。 「…すっ…す…」 「うん、うん」 「わー!だっ、駄目です!」 カカシを突き放し、家に向かって猛ダッシュ。 カカシが後ろで怯んでいる気配を僅かに感じた。 追ってこないならチャンスとばかりに急加速する。 アカデミーの広いグラウンドを縦断し、門を過ぎた所で走りながら振り返った。 そしてカカシに向かって、真っ赤な顔のまま叫んだ。 「また!今度っ!」 イルカは家までひたすら走った。 「わかりました〜!また今度、二人きりの時にね!」 猛走するイルカには届いたのか。 ま、今日はあっさり身を引きましょう。 恥ずかしがり屋の彼をどこまで素直にできるか。 これからずっと離さなければ、時間はいくらでもある。 まずは3月14日、ホワイトデーを目処に何かステップアップ出来ればと、柄にも無く真面目なお付き合いに思いをはせた。 |