そして、様々な思いが交錯する2月14日─────。
前回よりもバージョンアップしたチョコレートケーキを手に、イルカはアカデミーの廊下を歩いていた。
カカシのいるであろう上忍休憩室を目指して。
上忍休憩室へは一旦アカデミーを出なくてはならないが、ケーキを渡してすぐに戻って来れば職務放棄にはならないだろう。
バレンタインという風習は元々木の葉の里にあった訳ではなく、いつからか町娘たちの間で流行り出したものらしい。
今ではすっかり一般的な行事の一つになっていて、なかった時代を思うと不思議な感じさえする。
何せ、男の自分が、好きな男の為に、ケーキを焼いてくる、なんて事をしている時代なのだから。
昼休みの廊下はそれなりに賑わっていた。
だか、そんな雑踏はイルカのドキドキが煩い胸には全く関係ない。
(カカシ先生、来てるかな…)
いなくて渡せなくても、カカシ宅を訪問する予定だが。
歩き慣れた廊下がやけに短く感じて、もう玄関に着いてしまったのかという気さえした。
(…ん?)
玄関に見慣れない子供がいた。
手に持ったおもちゃで、一人で大人しく遊んでいる。
兄弟がアカデミーにでも通っているのだろうか。
「あ…」
(カカシ先生…!)
玄関と門の間にある木の下にカカシがいた。
まさか彼がアカデミーに来ているとは予想していなくて、嬉しさで心拍数が急上昇する。
「カカシ先生ー!」
声を掛け、更に高鳴る胸を意識しないように大きく手を振った。
するとカカシもこちらに気付いて顔を上げた。
「イルカ先生!」
カカシはイルカがこの時間に、こんな場所にいる事に驚いている様子だった。
授業があったのなら昼食は生徒と摂るだろうし、受付なら午前の任務報告が集中する時間帯だろうし。
「うわー、イルカ先生、こんな時間に珍しいですね?」
いつもと変わらないカカシの微笑みに緊張が緩む。
「いえ、その、カカシ先生に会いに行こうと思ってたんです。あの…」
「えっ?!オレに逢いに?!嬉しいですけど、何かあったんですか…?」
イルカを心配したのか、カカシの表情が曇った。
「あの、これ、ケーキ作ったんで、その…受け取ってもらえますか…?」
声が震えてしまったが、言いたいことはなんとか言った。
繰り返しやったシュミレーションの賜物だ。
「これオレに…?うわっ、すっげぇ嬉しい…」
カカシの両手がケーキの箱に伸びてきた。
ゆっくりと近付いてくるそれが、微かに震えて見えるのは気のせいだろう。
自分の目が霞んでいるせいでそう見えるんだ。
「あっ、カカシさん!探したわよー!」
自分の後ろから聞こえた女性の声に振り返った。
と同時にカカシの方から『ドサッ』っという音が聞こえた。
何だろうと思い、再びカカシに向き直る。
「……」
カカシの手元にあるはずのものがない。
先程とは違うドキドキが胸に広がる。
「……」
足元に目を移すと、潰れた箱が落ちている。
「…っ」
箱がこの有様なら中身も当然ぐちゃぐちゃだ。
カカシはイルカを見てはにかみ、人差し指で頬を掻いた。
「す、すいません。イルカ先生からの贈り物なんて夢みたいで…。嬉しすぎて…手が滑っちゃいました。ごめんなさい」
そう言うとカカシは腰を屈めて箱を拾おうとした。
「カカシさん、もう12時半ですよ!約束は11時だったじゃないですかぁ。中々来ないんで、アカデミーの中まで探しに行ったんですよー」
紺色の長い髪を煌めかせた美人が、綺麗な声で喋っているのが聞こえた。
「つくし、カカシさん来たからお魚さん見にいくよー」
「あ、カカシ先生お約束があったんですね。すみません、引き止めてしまって」
苦笑して詫びた。
(な、なんか…泣きたくなってきた…)
「それ、捨てて下さい。どうせ、中身ぐちゃぐちゃになってると思うんで」
授業があるので戻ります、と告げて踵を反す。
綺麗な女性と幼い子どもの脇をすり抜けて教員室に向かった。
(カカシ先生って妻子持ちだったんだ…)
* * * * *
胸がジーンとしてしまい、イルカが去った後も、潰れた箱を両手に載せてずっと見つめていた。
「カカシさん、もう昼だし食事先にします?」
一人、場違いなカスミにゆっくりと目を向ける。
「何の箱なんです?潰れてるし、あの男の人が言ったように捨てないんですか」
少し苛立ちを含んだ口調。
「…何言ってんの。捨てるワケないでしょ。イルカ先生がオレの為に作ってくれた…、初めての贈り物なんだから」
静かに言った。
「もう頭ん中、イルカ先生でいっぱい」
遠くを見るように、イルカが消えていった方を見つめた。
「カカシさん、今日バレンタインデーなの知ってました?ハートのチョコ作ってきたんです。食べて下さいよ」
カカシには聞こえていない。
「オレ…帰る…」
嬉しさの余韻に浸りきっている。
カカシは来たばかりの道をフワフワした足取りで歩いていった。
* * * * *
「おかあさん、おさかなさん見にいこうよー」
無邪気なつくしに罪悪感を感じた。
「そうね。…二人で行こうか」
自分は自惚れていたようだ。
折角、旦那のよしみで紅とアスマに一度だけ協力してもらったのに。
『一度だけ!お願い!カカシさんと二人で会えるように手伝って下さい!』
『でもカカシって好きな人いるわよ』
『そうだそうだ。そりゃぁベタ惚れのな』
でも食い下がらなかった。
『一度でもセッティングしてくれれば、後は自分でなんとかするからっ』
カスミは噛み付かんばかりの勢いだった。
『ったく、その自信は何処から来るのか』
『フフ。わかったわ。貴女の魅力であのボンクレを更正してやってよ』
今思えば、期待のかけらもなくアッサリとした言い方だった。
でもその時の自分はどうしたら振り向いてもらえるかばかりを考えていて、紅の言葉も後押しに聞こえていた。
『よかった!そういうのって私、結構自信あるの』
馬鹿な事を、と思った。
焦っていたのだろうか。
「ぼくね、クラゲさんもカメさんもカニさんもね、ぜんぶすきだよ」
「…寂しかったのかな…」
小さな手をそっと握ると、ぎゅっと握り返してくれる。
それだけでひどく安堵した。
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2003.02.10
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