どうしよう。

昼から少し様子のおかしかったイルカが、夕方になっても尾を引いていた。

冗談でキスを嫌がったら、今度はどんな風に愛を説いてくれるのか期待したのに。

今日の事は度が過ぎたと正直に謝ったら、いつものイルカに戻ってくれるだろうか。







一晩明け、任務開始のために下忍達と合流した。

子供達には申し訳ないが、さり気なく手を回して任務が早く終わるように仕向けた。

今日は下忍育成よりも、イルカとの信頼回復が優先だ。

なんとか昼過ぎには任務が終わり、報告書を携えイルカに逢いに行った。

しかし受付にイルカはおらず、気を落していた所に声を掛けられた。

「カカシ、出掛けるぞ」

「昼間っから酒泥?オレはいいよ。一人でいってらっしゃーい」

「バカ。これだよ」

アスマが指した『これ』とは任務依頼書だった。

これ見よがしにヒラヒラさせる。

「なんとガイも一緒」

「げっ」

「短期間の少数精鋭だそうだ。明日の昼には戻れる」

これほど間の悪い任務は初めてかもしれない。

そして、これほど任務を辞退したいと思ったのも初めてかもしれない。

どうしてもイルカの事が頭から離れない。

イルカがいそうなアカデミーの方向に目をやり、ぎりっと奥歯を噛みしめた。







* * * * *







今日ばかりは時間内に仕事を終わらせると意気込んで、授業が終わった途端、教室に飛び込んで机に向かった。

連絡帳と日誌。

連絡帳は生徒一人ずつ書かなければいけなし、日誌は授業の数だけまとめなくてはならない。

受付が夕方から入っていたが同僚に交代してもらった。

仕事を頼まれても今日は用があるから、と断る心の準備もした。

カカシの任務がどれだけ遅くなっても、いつもの待ち合わせ場所で待っていようと思っていた。

もしかしたらカカシの方が任務が早く終わって、もう今頃はあの場所で待ってくれているかもしれないし。

そうしたら、帰り道をゆっくり歩きながらちゃんと伝えよう。







夜になると気温が下がり、植物達も眠りに就いた気配がした。

日付が変わってから一時間ぐらい過ぎただろうか。

カカシはまだ現われない。

突然の任務でも入ったのか。

今日はカカシが来るまで待つと決めたので、あと一時間だけ待ってみる事にした。

それでも来ないようなら諦めて帰ろう。





「…ぐずっ…ずっ」

あれから一時間経った時、あと30分待って、もしカカシが来たら絶対に後悔すると思ってあと30分だけ待つ事にした。

それでもカカシは来なくて、今度こそ家に帰った。

玄関に着いたのは午前三時を回っていて。

鼻がぐずぐずしていたので大急ぎで風呂に入ったが、そんなものは後の祭りで、深夜に薄着でいた代償にすっかり風邪を引いてしまった。

鼻水が出て呼吸しづらくて苦しかったが、不規則に訪れる胸の痛みの方がよっぽど苦しかった。

体の節々が痛くて、自分を守るように丸くなって眠った。





朝目覚めると寝る前より体が痛くて、熱があるのか頭がぼうっとしていた。

こんな状態で子供達に会って風邪でも移してしまったら申し訳ないので、アカデミーに欠勤の連絡を入れた。

電話相手は同僚で、風邪を引いたと説明する前に自分の枯れた声でそれを察したようだった。

ちゃんと寝てろと言われた。

風邪を引いて仕事を休んでしまい、罪悪感が残った。

それはイルカに仕事を休みたいという気持ちがあったから尚更だった。

普段なら風邪で仕事を休んでも、他に移したらいけないので仕方なく、という感じだ。

でも今回はひどく子供染みた、休みたい、なんて感情が先に立った。

「ごめんね…」

子供達とカカシに。

風邪で弱くなった精神は、投げ遣りで無気力で。

昨日一日張り切っていた分、衝撃が大きかった。

イルカに出来るのはベットの中で蹲り、何も考えないで在るがままに時間に流される事。

呆けていても涙は溢れ、胸はズキズキと痛む。

それに耐えるように、ただじっとし続けた。







次の日は普段通り出勤し、普段通り仕事をした。

一つだけ違ったのは帰宅する時に誰かを待つ事も、誰かに待たれている事もないという事。

家に入れば、昨日までと同じ部屋なのに色を失っているような錯覚すら覚えた。

スーッ、と体温が下がり、反動で目頭が熱くなった。

ベットに乗るのも億劫で、ベットを背にして体育座りをした。

両膝に額をくっつけ、自分を抱くように二の腕を掴む。

背中合わせにしたシーツが自分の体温で温まる。

そんな些細なぬくもりすらカカシを思い出し、胸がきゅうっとなった。

「…っぐ…」

カカシとの思い出が蘇る。

カカシはいつも優しくて。

いや、優しくない事もあったかもしれないが思い出す事は出来ない。

名を呼ぶ声はよく通り、熱を含むと腰にまで響いた。

笑う時に細くなる目が好きだった。

情事の合間に見せてくれた笑顔も、冗談を言った後に見せてくれた笑顔も。



ガタッ…。



突然、近くで物音がした。

余りにも唐突で、しかもそれに続く音が何もないので幻聴かと思った。

「…どうしたの。何で泣いてるの」

えっ、など考える隙もなくベットに縫い付けられた。

ぼやける視界で目をこらすと、カカシにのしかかられていた。

「ごめんね、ごめんね。ちゃんと謝るから泣かないで…」

抱き締められたので、こちらからも抱き締め返そうと腕を伸ばした。

しかしその腕はカカシに触れる前に、力なくベットに投げ出された。

だってもう、そういう事をする間柄ではないのだから。

「ごめんなさい、イルカ先生っ。この前キスを嫌がったのはね」

喉が詰まる。

何か理由があるにせよ、カカシがキスを嫌がったのは本当のようだった。

あの時を思い出して涙が込み上げた。

「ごめんっ、イルカ先生っ。泣かないでっ。次の日に謝ろうと思ったら任務が入ってっ。あなたを避けたわけじゃないからっ」

尚も謝罪を繰り返すカカシに、複雑な感情が巻き起こった。

「…キスするのもイヤなほど嫌われたのかと思いました…」

目を擦り、涙を拭ってカカシを見ると、カカシの方こそ傷ついた顔をしていた。

傷ついたのはこっちの方なのに。

「こんな事言ったら、あなた怒るかもしれないけど…」

言い辛いのか、カカシは目をさ迷わせた。

「ごめんなさい…、じ、冗談…だったんです…」

イルカは言葉を失った。

今、冗談と言ったのか、この男。

人がどれだけ悩んで、どれだけ苦しい思いをしたか。

沸々と怒りが込み上げてきた。

「あのねぇ!」

泣いたせいで鼻声になっていたが、子供を叱り付けるように大きく怒鳴った。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

しかし、そんな怒声を聞いたカカシはかえって嬉しそうな顔をした。

さっき見せた悲しそうな顔は何だったのか、と言いたくなるほどに。

「泣いてるよりずっといいよ…」

怒っているイルカにそんな事を言う。

更に頭を撫でてきた。

それも、ひどく優しい手で。

「うん…。やっぱり、泣いてるよりずっといい…」

「カカシ先生…」

首筋に顔を埋めてくるカカシの匂いに愛しさが溢れた。













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2002.03.01