ずっと前から好きだったお菓子。

それを本職にしようと思ったのはいつからだろう。

小学校に入学した時、すでに自分で料理をしていた。

両親が早くに亡くなったせいもあったが、嫌だとか面倒だとか全然思わなかったので、たぶん最初から好きだったのだ。

その流れで自然とお菓子作りにも興味を持った。

最初に作ったのはオレンジゼリー。

オレンジジュースにゼラチンを入れただけのシンプルなものだ。

でもそれを家に遊びに来た友達に出したら、こっちが驚くぐらい喜んでくれた。

きっかけはそんな所だろうか。

「今日はバニラエッセンスとバニラビーンズの両方を使います」

今就いているのは料理関係の専門学校の教師。

本当は自分の店を持つのが夢なんだけど、人生は中々思い通りにいかなくて。

もちろん、夢を諦めたわけではない。

教師という安定した職業で、安定した収入を得て、安定した時間の中で勉強をする。

つまり、店を持つためのステップとして今の職業に就いている、といったところだ。

ただ、国内での勉強には限界があるので、実はそろそろ留学をしようとか考えていた。

なってみて初めてわかったが、教師という職業は色々学ぶ事が多い。

生徒達の奇抜なアイデアに刺激されて、自分の発想に良い影響を与えてくれたり。

そういった恵まれた環境にどっぷり浸かっている今、留学に尻込みしそうな自分がいる。

店を持つための軍資金も必要だが、その前にもう一度本格的にお菓子の勉強をしたいという気持ちははっきりしているのに。

お菓子の本場と言われる外国で。

「イルカ先生!これ、いくら混ぜても分離するってばよ!」

「バカ!お前のは氷が多すぎんだよ!」

「そうよ、ナルト。サスケ君の言う通り」

「ナルト!その氷は三人分じゃないんだからな!ちゃんと分量を見ろ!それからサスケもサクラも口だけじゃなく、ちゃんとナルトに協力しなさい!」

「はーい」

条件反射で返事した声と、面倒くさくて返事した声と、物分りの良い振りをした声の三つが重なった。

この学校は三人一組で班を作り、授業毎に一つの作品、つまりお菓子や料理を制作して採点するシステムを導入している。

メンバー構成は実技テストと筆記テストの成績順。

どの班も平均的になるように調整して、ちゃんとバランスを取っているはずなのだ。

稀に極端な三人になる班も出てしまうのが少し問題だが。

両方最下位と実技トップと筆記トップが同じ班だったり。

まぁこの班は三人三様に個性があって、良い所もたくさんあるから将来が楽しみではあるが。

教師をしていたら仕方がないが、今は他人の将来を心配をしている場合ではないかもしれない。

お菓子の勉強をしに留学したら、次は帰国して経営学の勉強もしなくてはならないというのに。

誰か経営者がいて、共同経営という形でお菓子だけ作っていられるような、そんなお菓子のように甘い話などはないだろうか。

「おい…チョウジ。お前は何でも多く作ろうとしすぎなんだ。シカマルもいのも目を離すなよ」

「めんどくせー」

「多くても美味しければいいわよね。イルカ先生?」

「物事はバランスも大切なんだぞ」

今年のクラスは個性の強い奴等ばかりで、本当に苦労する。

しかし、出来の悪い子ほど可愛いというのは薄々気付いてきていた。

「よーし!どの班も大体終わったようだな!あとは冷凍庫で一時間ほど固めます!」

大声を出せるようになったのは教師になった副産物。

水の流れる音や食器の重なる音、それに生徒達の話し声で騒がしい室内に響き渡るほどのインパクトがある。

実習が一段落すると、待ち時間でレポートを纏めさせたり、ポイントを説明したり、質問に答えたりと、やる事は多い。

パンを作る時も発酵に時間が掛かるし、焼くのにもまた時間が掛かる。

待ち時間というのは出来上がりを待つ期待と希望が溢れた時間なので、生徒達のやる気が一番高い時間帯だ。

それはとても短い時間で、お菓子の焼けた良い匂いがしてきたら、もうアウト。

途端に何も手につかなくなって、みんなオーブンの前に集合してしまう。

今日はジェラートなので、オーブンから良い匂いがしてくる事はないが。

「んー、このバニラの香り…。イルカ先生、今日の題材は何でしたか?」

「あ、カカシ先生」

授業中なのに突然入ってきたカカシという男は、この学校の理事をやっている若い実業家だ。

以前はお菓子作りの先生をやっていたようで、イルカがこの学校に勤める前に辞めたらしい。

カカシがこの学校の理事になってからも、先生時代を知る人達が『カカシ先生』と呼んでいたので、イルカもその影響で『カカシ先生』と呼んでいる。

国内にある高級ホテルのレストランは五、六割がカカシの経営らしい。

一流ホテルのレストランでカカシを知らない者はいないと言われる程の有名人。

レストランだけでなく、カカシの名義でホテルの経営もしているそうだ。

そういえば、テレビや雑誌でホテルの事や料理の事でインタビューを受けているのを見た事がある。

「今日はイタリアンジェラートの実習です」

「へぇー、美味しそうですね。イルカ先生はサンプルか何か作られたんですか?」

「はい。一応。すごくシンプルなものですが。あまりデコレーションすると生徒達の想像性を失してしまうと思って」

カカシは変わり者で、いくつもの会社を経営していて忙しいはずなのに、こうやって頻繁に学校へ顔を出す。

だからすっかり生徒達もカカシを覚えてしまっている。

お菓子業界を広い視野で見て、底辺の人材育成まで担おうとしているのかもしれない。

イルカからすれば、かなり遠い存在だ。

「味見なんてさせてもらえませんか?良い香りに充てられて、今、食べたくてしょうがないんです」

子供のような目で言うカカシが可笑しくて、つい笑ってしまった。

同性の自分が見ても素敵な人だし、身なりはもう立派に成長しているというのに。

カカシの主張は痛い程よくわかるのだが、彼ほどの専門家に自分の作ったものを食べさせる事に抵抗があった。

カカシが実習中に顔を出した時には、必ず食べさせてほしいと言われる。

初めて言われた時は学校の理事という事しか知らなかったので、教師の力量を見に来たのだろうと思って素直に出した。

きっと厭味を言うための試食なんだと。

でも違った。

美味しいとか、焼き具合が丁度良いとか、舌触りが良いとか、プラスの事しか言わなかった。

褒める事で人を育てるタイプの人なんだろうと思った。

カカシの素性を知ってからは、何だかんだ優しい事を言っても、結局はこの学校の教師に相応しいのかを不定期にテストしに来ているのだと思うようになった。

そうじゃないと自惚れてしまいそうだったから。

「あの、お口に合うか…」

「大丈夫です。心配しないで下さい」

胸を張って言い切るカカシを恨めしく思った。

全く引こうとしないので、仕方なく、調理台を兼ねた大きな教卓の下にある冷凍室から今朝作ったジェラートを出した。

引出からアイス用の小さいスプーンを出して、備え付けの流しでさっと洗う。

それを冷えた皿に載せて、カカシへ渡した。

「おっ、これですか」

あどけない満遍の笑顔で受け取ったカカシは、一口分掬うとゆっくり口に運んだ。

いつもそうだが、カカシが口に入れてから感想を言うまでの間、どきどきしてその場から逃げ出したくなる。

「…ん」

イルカはカカシの話し始めそうな気配に、ごくんと息を飲んだ。

「あー、美味しい。バニラのさっぱりした甘さと、口全体に広がる良い香り」

緊張して固くなっていた体の力を抜いて、ほっと微笑んだ。

よかった。

今日も何とかクリアできたみたいだ。

「…ん。イルカ先生から良い匂いがしますね」

鼻をくんくんさせてカカシが一歩近付いたので、イルカは一歩後退った。

「き、今日はエッセンスとビーンズの両方を使ったので、体に匂いが染み付いてしまったのかもしれません…」

何となく恥ずかしくて、顔に血が上る。

カカシが近付いたせいで、カカシの匂いがふわりと香った。

いつもそうだが、カカシからは女性用の香水の香りがする。

移り香なのだろうから、それだけいつも女性が傍にいるという事だ。

それがカカシとの差を見せ付けられたようで、イルカはしょんぼりと俯いた。










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2003.09.23