「手を握っても…いい…?」 抱き締める時には許可なんて取らなかったのに、どうして手を握る時はそうしないのだろう。 少し不思議に思ったけど、嬉しかったから、照れ隠しに目を伏せて頷いた。 イルカは人の優しさにとことん弱い。 嫌というほどその自分の短所がわかっているから、今までは出来るだけ避けるようにして来た。 それなのに、カカシから与えられる優しさには逃げる隙がなくて、全くの無防備になってしまう。 腕の温かさを知ってしまった今は、尚更その傾向が強くなったかもしれない。 カカシの両手がイルカの右手をそっと包む。 気付かなかったけど、カカシの手は白くて指も長くて、とてもきれいだ。 カカシの親はきっと、色白で細面な人なのだろう。 イルカの手が親に似て、色黒でごつごつしているように。 それを意識した途端、夢見心地だった思考が一気に現実へ引き戻された。 突如胸に引っ掛かってきた、浅い罪悪感。 もやもやした影が胸の中に停滞していて、緩く眉間に皺が寄る。 考えていたのは、カカシの事、カカシのご両親の事、イルカの両親の事。 そう、両親の事。 イルカの両親は亡くなっているが、カカシのご両親はご健在だろうか。 せっかく帰郷するというのに、紹介出来たはずの婚約者とは別れたばかりで。 それどころか、連れて来たのは、お菓子の修行が始まったばかりの将来が不確かな男。 イルカの両親が生きていたら、カカシを紹介して喜んだだろうが、その逆はどうだろう。 頼りなくて、うだつの上がらない男を紹介されるなんて。 きっと息子のためを思って引き離そうとする。 カカシの顔と、握られた手を、何度も目で往復した。 「…ん?どうしたの?」 イルカの定まらない視線に気付いたカカシが首を傾げた。 確認しなければいけない事だとわかっているのに、怖くて中々言い出せない。 黙っていると、どんどん追い詰められていく。 「…カカシ先生は…ご実家には戻られるんですか…?」 直接的には言えなくて、遠回りな聞き方をした。 ご両親に反対されませんか、なんてとても聞けない。 嫌な汗が浮いてきた。 「フランスのって事?えーっと、オレね、施設で育ったの」 「施設…。…あ…。すいません…不躾に俺」 「いいって。知らないなら知ってもらいたいし。そうだ。二人で挨拶に行こうか」 ふわっと、包み込むように腕が廻ってきた。 カカシの腕と胸の間にすっぽり収まってしまうと、気持ちがすうっと楽になった。 「…俺が一緒に行ったらカカシ先生まで白い目で見られたりしませんか…?追い返されるかもしれないですよ…」 本音を零すと、耳元でカカシが笑ったような気がした。 「大丈夫だよ。人を好きになる気持ちを大事にしてくれる所だから。安心して」 カカシの穏やかな口調が、耳から全身に染み渡るようだ。 優しい空気に覆われて、すべてが満ち足りた気持ちになる。 「今みたいにさ、聞きたい事があったら何でも聞いてね」 「…はい」 ずっとこのままで居られたら良いのに。 抱き締め返す事で今の気持ちを伝えようと、カカシの背へ手を伸ばす。 しかし、イルカの手が完全に廻り切る前に、突き出してきたカカシの腕がイルカを拒んだ。 強制的に身体が引き離される。 抱き心地が女性とは違うから、急に我に返ったのだろうか。 ちくっと胸が軋んだ。 カカシを見ると、そっぽを向いた横顔が困ったようにしかめられている。 胸の軋みが、ずきずきと短い間隔に変わった。 とりあえず離れた方がいいのだと判断して、残念に思いながら身動きしようとしたらカカシの声が下りて来た。 「…ゴメン。…抱き締めてると…なんか…その、興奮して、来てさ…。イルカさんに悪さしちゃいそうで…」 とんでもない事を言われて、目を見開いた。 それから今度はイルカから手を突き出して距離を取り、思い切り後退った。 座ったままでは手が届かないくらいの距離が開くまで。 少し離れて様子をうかがうと、見えなかったものが見えてくる。 カカシの目元は赤く染まっていて、嫌がっているというよりも、恥ずかしがっている風だった。 そういえば、ちょっと前にもこんな表情を見た。 さっき、カカシにも可愛い所があるんだと思った時に。 あの時もイルカを抱いていた腕をぱっと放した。 可愛いと思った瞬間のカカシが、そんな事を考えていたなんて信じられない。 間合いを取っても、身体は強張ったままだ。 「だからゴメンって」 男が興奮するという言葉を使う時は、ほぼ9割以上が発情している時。 しかもこの状況は、カカシがイルカ相手にそうなっているという事で。 「仕方ないでしょ。オレ男の子だもん」 「お、俺も男です…っ」 「…そんなに警戒しないでよ。傷付くな…」 それを聞いて、カカシに酷い事をしてしまった事にようやく気が付いた。 空けた距離を縮める度胸はないけど、素直に謝った。 「すいません…」 カカシの腕に包まれて、安らぐだけだった自分に自己嫌悪した。 唇を噛んで俯くが、自分よがりな所をカカシに見せてしまった事に変わりはない。 「ゴメン、そんな顔しないで。冗談だから。悪いのはオレでしょ」 「でも…。すいません…」 「イルカさんは悪くないんだから。辛抱が足りないオレが悪いんだから。ね?」 手を握られて、抱き締められて、髪にキスされて。 その先の事なんて、先があるなんて、考えてもいなかった。 カカシだって健康な成人男性なのだから、体内で生成されたものを外に排出して当然だ。 その行為がイルカの身体を使って出来るかどうかは、また別の話だけど。 もし出来なかったら、どうするのだろう。 やっぱり女の人を探すのだろうか。 仕方のない事だから、咎める事も出来ないから、せめてイルカの知らない所でにしてほしい。 「参ったな…。黙られると、どうしていいのかわからなくなるよ…。何考えてるの?教えて?」 「…向こうは…きれいな人が多いんだろうなぁと思って…」 だからカカシも相手に困らないだろうと。 向こうの女性だって、カカシを放ってはおかないだろうけど。 「まさかっ、留学早々に浮気でもする気!?やだよ!!」 「…俺にはそんな甲斐性ないですから…」 声に力が入らないけど、口元だけは何とか笑みを作った。 「…っ、オレっ!?勘弁してよ!やっとイルカさんと一緒に居られるようになったっていうのにっ」 ハの字に下がってしまった眉が元に戻らない。 それでもカカシへは微笑みを見せた。 「大丈夫ですから」 イルカの身体が使い物にならなくても。 カカシが向こうの女性と肉体関係を結んでも。 修行に集中していたら、きっとそんな事はどこかに飛んでしまうだろうから。 「…ったく。そんな顔して何が大丈夫だっていうの。あなたはね、オレの愛を見くびり過ぎ。解らせてあげるから覚悟しなさい」 呆れたように言うカカシの目は、口調とは違って真剣だった。 その意味を徐々に理解すると、じわっと涙が浮いてきた。 本当に、本当に、カカシはイルカの事を。 「じゃあ…。じゃあ、抱き返そうとした手を押し退けたり、しないで下さい…」 目元を拭いながら言えば、二人の間の距離なんてものともせずに抱き付かれた。 「早く、早く、抱き返して」 カカシの声の端に焦りを感じて嬉しくなった。 「ほら、遠慮しないで。…二度とそんな事しないから、だから早く」 弱くなっていく声を聞いたら益々嬉しくなった。 何もしないイルカに痺れを切らしたカカシが、イルカの手を取ってセルフで身体に廻し、抱き返す態勢を作ろうとする。 焦らした訳じゃないけど、結果的にそうなってしまった事を悪く思って、ぎゅうっとしがみ付いた。 カカシの肩から力が抜けて、安堵の吐息が聞こえた。 嬉しくて、幸せで、嗚咽と涙が溢れそう。 一瞬、イルカの鼻を良い香りが掠めた。 女性物の香水ではなく、甘いお菓子の匂い。 今まで気付かないくらい僅かに纏っていたカカシに、嗚咽でも涙でもなく、最初に苦笑が零れた。 ss top okashi index back □mail□ |