受付をしていた頃に見慣れた筆跡が目に入り、胸から嫌な音がした。



『お元気ですか』

『怪我や病気はしていませんか』

『カカシ』



1ヶ月前に別れた恋人だった男が、この第二部隊の誰かへ宛てた短い手紙だった。

四角形の小さな紙切れは地面に落ち、既に土色に同化しつつあり、誰のものかわからない靴跡が無数に付いていた。

このキャンプ地に部隊長として常駐するようになってから、初めてイルカの心が騒めいた。







* * * * *







カカシと付き合い始めてから、そろそろ半年になる。

今まで目を逸らしてきた感情を胸に秘め、思い切ってカカシに詰め寄った。

「カカシ先生」

初めての任務へ赴いた時よりも心臓がドキドキと鳴っている。

前々からカカシの態度に疑念を持っていて、今日はそれに片を付けようと。

真摯でないというか、はっきりしないというか、だらだらと無駄に長く続けているような関係。

付き合い始めたきっかけはイルカの告白で、どう考えてても自分の方に惚れた欲目があった。

孤高のエリート上忍で、人を見下したりしない人。

一度気になり出すときりがなくて、無意識に目で追うようになっていた頃にはすっかり惚れていた。

カカシがあの『写輪眼のカカシ』である事はもちろん知っていたが、好意の視線を向ける事が媚びを売る行為と等しく見られてしまうのは悲しかった。

別にカカシが上忍で写輪眼を持っているから好きになったわけではないのに。

カカシは他人から向けられるそういった感情を、すべてそこに結びつけて、恋愛にはドライな方だった。

その事に気付いたのは、自分がまだカカシへ恋心を認識していなくて、ただのナルトの上官として飲みに行った時の事。

本当はその時点で結果は決まっていたのかもしれない。

あの頃の方が、今の虚しい関係に比べれば幸せだったような気さえするから。

カカシと飲みに行って、色々なものを食べ、色々な事を語らう。

「なんですか、イルカ先生?」

カカシの声に、ふっと現実に引き戻された。

過去に思いを馳せて涙する事はもうないだろうと思っていた。

それなのに。

今、やたら咽が渇くんだ。

「あの…」

「はい?」

カカシを好きだという気持ちは変わっていない。

でも、けじめをつけるには絶好の機会なのだ。

一緒に居られる事が幸せだった。

カカシの特別になれたと感じた時はすごく嬉しかった。

良い思い出がイルカの気持ちを萎えさせる。

でも、こんな非生産的な事をいくら続けても意味がないと自分を励まして、カカシの為にもなるのだと自分の背中を押した。

イルカは震える唇に思いを託した。

「…別れ…ましょう…」

未練たらしく語尾が掠れた。

カカシは一瞬目を見開いて、だがすぐに元に戻し、イルカが見た事のない冷たい目をした。

自分の発した言葉の意味を今更ながらに痛感し、じわじわ込み上げてくるものがあった。

「あっそ。別にいいよ。…どうせアンタなんて遊びだったし」

突き付けられた現実は予想を遥かに上回っていて、余りの苦しさに息が詰まった。

そうだったのかという絶望と、やっぱりそうかという落胆。

長期任務に出る事など話す余地もない。

無理矢理でも、何とか笑顔を作り、カカシへ最後の言葉を掛けた。

「…わかってました。今までお世話になりました」

目に涙が溜まってしまい、仕方なく俯き加減になる。

しかし、もう二度と見つめ合う事などないであろうカカシの瞳を、あと一回だけ見ておきたくて顔を上げた。

その瞳は相変わらず綺麗で、とても愛しくて、でも、体温すら感じさせない冷たさに胸がきゅうっとなった。

限界を感じてカカシに背を向けると、その震動で音も無く涙が頬を伝った。

カカシに見られている後ろ姿が無様にならないように、意識して姿勢を保ち、静かにその場を後にした。







* * * * *







前線に出てみないか。

それは内勤に罪悪感を感じていたイルカにとって、渡りに船というべき言葉だった。

カカシが任務から戻ってきた時にはより一層強くなる思い。

服を汚したり、小さな傷を作ってきたり、それ自体は大した事でなくても、忍の資格を持っている自分が後ろめたかった。

下忍担当になってからは単独任務は大分免除されているようだが、やはり、自分ばかりが里で安穏と生活していると思うと堪らなくなった。

だから、今回の任務の状況と条件を聞かされた時は期待に胸が高鳴った。

いつ終わるのかわからない長期任務である事。

緊急事態でしか里に戻れない事。

部隊長としてイルカが推薦された事。

概要の説明を聞く限りでは、特に切迫している様子はなかった。

外務の勘を取り戻すには手頃な任務。

そう判断したイルカは、二つ返事で了承した。

長期間カカシと離れてしまうのは辛いけど、果たしてカカシが自分と同じ気持ちかどうかは定かではない。

それに、そろそろ潮時なのかもしれない。

最近はカカシがどんどん遠ざかっている気がして。

元々、カカシのような有名人が、平凡で面白味のない中忍の自分に、そう長く連れ添ってくれるわけがないではないか。

一時の興味本意で付き合うには、孕まなくて後腐れのない男が最適なのだし。

長い間イルカがカカシから離れていれば、彼は必ず新しい相手を見つけるだろう。

やはり、そろそろ潮時だ。

恋愛は二人でするもの。

片方の気持ちだけでは上手くいかないのが当然。

任務によって、カカシ本人からもカカシとの思い出が詰まったこの里からも離れてしまえば、痛んだ心は時間によって修復されるだろう。

そう。

この任務はカカシを諦めなさいという、神様からの助言なのだ。

カカシと別れたくないなんて我侭は通用しない。

でも、もし、カカシが引き止めてくれたら。

もし、別れたくないと言ってくれたら。

もしもの時の答えなど、ずっと前から決まっていた。









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2003.05.12