カカシが下忍を見るようになってからは危険な単独任務が減り、人を殺める時に必要な高まりを収めるための郭通いも減っていた。

通うといっても、花街をうろついている時に声を掛けてきた女を手当たり次第に抱いただけだったが。

特に抱きたいという気持ちを抱く女がいなかった、というのがその理由。

玄人であれば誰でもよかった。

玄人は体を繋げる事を『仕事』として捉えているので後腐れがなくていい。

逆に、一度関わると面倒事になるのが素人の女。

一番厄介だったのは、里に住む何の変哲もない女達だった。

好き勝手に自分を囃し立て、理想を叶えてくれる王子様を見るような目を向けてくる輩。

気まぐれで即抱いてやれば、何を勘違いしたのか『カカシの恋人になった』などと言いふらし、優越感に歪んだ唇で自慢気に詳細を語るのだ。

自分に好意を寄せて積極的に迫ってくる女はそんなのばかりだった。

だから、言い寄ってくる女は星の数でも、本当は自分は女運が悪い男なのだと思っていた。

そのせいかどうか、今は同性で『恋人』と呼べる特定の人が存在する。

始まりは暇潰しの延長。

慣れない下忍育成に、一般人でも出来そうな低ランク任務。

Dランク任務は遅くとも夕方には確実に終わるので、毎日、夕方から就寝までの時間に何をするか考えていた。

眠くなるほど疲れるような任務でもないし。

結局考えるだけでその時間は終わってしまう、というような無駄な時間を過ごしていた。

しかし、毎日同じ事を繰り返しているだけだと思っていた生活も少しずつは変化していたようで、一日に一度は必ず訪れるようになった受付で見慣れた顔に声を掛けられた。

それがイルカだった。

初めは、生徒達の活躍を聞くフリをしてナルトの様子を窺ってくる変わった中忍だと思った。

名を尋ねれば、ナルトから聞き及んでいた師の名前と合致して。

表の世界に復帰して間もなくて、碌な話し相手もいなかった頃に接触を持ってきたイルカに興味が湧いた。

イルカには悪いが、時間潰しに利用させてもらう事にした。

そんな折、イルカに好きだと言われた。

たしか半年くらい前だったと思う。

正確な日付は覚えていないが、まだ寒い時期だった。

二人きりの酒席を共にした帰りに、火照った体を冷やそうと、この日は川原を歩いていた。

体内にアルコールが浸透した時の高揚感で、ふわふわした足取りをしていた自分。

酒の強さはイルカと同等であるとわかっていた頃なのに、その日に限ってなぜかイルカだけは酔っていなかった。

アルコールは人の体から分別や理性などの抑圧を減らしてガードを緩ませるはずなのだが、イルカからはそれを全く感じなかった。

むしろ、アルコールが入る前よりも硬くなっているというか、緊張しているような印象だった。

「今日はどうしたんですか、イルカ先生」

いつもに比べて上手く会話も弾まないイルカを不信に思い、つい思った事を口に出した。

そうすると、やたら深刻な顔をしたイルカが顔を上げ、真正面から向き合う形になった。

「俺、カカシ先生が好きです」

「…」

「俺、男だし、中忍だし、取り柄もありませんけど、カカシ先生が好きです」

「…好きって、そういう意味で、だよね?」

「はい。…俺と付き…、付き合って頂けませんか…?」

久々に大笑いしたくなった。

いつもほんわりしているイルカが真剣な顔をしているのも。

こんな自分に告白して、付き合ってくれと言っているのも。

それに何より、嫌悪していない自分がいるのが可笑しくて。

「驚きました。まさかイルカ先生がオレの事を好きだったとは」

イルカがこちらの一挙手一投足に耳を傾けているのを感じた。

自分が嫌でないのなら、相手が男でも付き合ってみてもいいんじゃないかと思った。

面倒な事になりそうになったら別れればいいのだし。

「いいですよ。オレ達、付き合いましょう」

「えっ、本当ですか?」

「ええ」

「あ、え、その、よ、宜しくお願いします…」

「こちらこそ」

色々可笑しくて頬が緩む。

契約成立とばかりに握手をしようとイルカの手を取ると、じっとり汗ばんでいて、それがまた可笑しかった。







* * * * *







イルカに惚れているとは思わなくても、恋人関係を結んだ相手と過ごすのは中々楽しいものだった。

何かあったらイルカの元へ行き、何もなくてもイルカの元へ行く。

イルカの方も、何かあってもなくても、頻繁に自分の元へやって来る。

そこには、まるで少年時代の親友のような、駆け引きのいらない居心地の良さがあった。

とはいっても、一応は恋人同士であるので夜の方はそれなりに行なっていた。

そういえば、初めての時はどちらが男役をするかで少し揉めた。

最初からイルカは抱かれる側になると勝手に思い込んでいたので、彼に異論を唱えられた時は驚いた。

話し合って、結局イルカが折れて、カカシが男役をすることになったのはいいが、イルカ相手に勃つかどうか不安が残っていた。

しかし、実際にやってみると現金なもので、快楽で乱れるイルカにすっかり欲情し、一度では満足できないほど夢中になった。

そしてそれが申し訳なくて仕方なかった。

イルカはきっと、自分が彼を好きだから抱いていると思っている。

でも本当は、イルカを好きなのかどうか、よくわからない。

なぜなら、イルカと一緒にいるのは楽しいのだが、恋人同士特有の甘い時間を勧んで過ごそうとは思わなかったから。

別に友人としての付き合いでも構わない、というのが今の本音だった。

男女関係のような関係に至ってしまうと、どうしても終わりが見えてしまう。

カカシはそれが寂しかった。

普通の男女の恋愛ならば、適当に付き合って結婚し、子供を作り、幸せな家族の出来上がり。

しかし、イルカとはまず、男同士という事でそのレールに乗る事は無理。

強引にそのレールに当て嵌めてみても、やはり肉体関係を結ぶ事が最終段階であるような気がした。

何度考えてみても、やっぱりそれは寂しかった。

そして今、既にその段階までは上り詰めてしまっている。

長きに渡って付き合いを続けたいのならば、友人でいた方がいいというか。

友人でなければ、長きに渡って付き合えないというか。

イルカとはこれからも仲良く、気兼ねしない関係を続けていきたいのに。

今まで任務で色々な人間関係を眺め、また、自分でも色々な人間関係に晒されてきたからこそ、そう思う。

イルカを恋愛感情で好きなのかどうかはわからないが、出来るだけ長くイルカと過ごしたいという気持ちははっきりと自覚している。

それだけでだらだらと彼を恋人という枠に納めておくのは、いくらなんでも自分勝手過ぎるだろう。

すると、この辺で潔く終止符を打ち、一度関係をご破算にした方がいいのだろうか。

頭ではわかってはいるのだが、カカシはどうしてもそれを行動に移せないでいた。

だって、イルカとの関係を清算して、修復して、そして新たに友人として付き合い始められるという保証がどこにもない。

最近はその事が、イルカと過ごしている時もずっと頭から離れないでいた。

そうやってぐるぐると逡巡していたら、タイミング悪くイルカに決別を宣言された。

「…別れ…ましょう…」

イルカの声は掠れていたが、芯の通った強い意思が感じられた。

ショックだった。

こっちはイルカとの関係をどうやったら長く続けていけるかを考えていたのに、イルカはその間別れる事を考えていたのだ。

怒りと悲しみで頭の中が冷たくなった。

イルカは自分を好きだったのではないのか。

だから付き合った。

面白そうだし、時間潰しにもなるし。

ああそうだった、と思った。

元々カカシは、暇つぶしが目的でイルカと付き合い始めたのだ。

そんな事、すっかり失念していた。

だから言った。

「あっそ。別にいいよ。…どうせアンタなんて遊びだったし」

半分は負け惜しみ。

半分は自分に言い聞かせるため。

醒めていく思考の中で、そういえばフラれた事なんて一度もなかったなぁ、なんて思った。

「…わかってました。今までお世話になりました」

笑っているイルカの顔が泣いているように見えた。

泣きたいのはこっちの方だ。

規律訓練のような機敏さでくるりと振り返ったイルカが颯爽と歩き出す。

清々しい後ろ姿は、そのままカカシを置いていなくなった。

「振られちゃったよ…」

付き合った時は、面倒事になりそうになったら自分から逃げ出してやるなんて思っていたのに。

あの様子なら、友人として新しい絆を作ろうなんて取り合ってもくれないだろう。

これも失恋という部類に属するのか。

カカシは大切なものをなくしてしまった気分で、暫くのあいだ一人ぽつんと立ち尽くしていた。









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2003.05.31