写輪眼くらい、中忍になりたてでアカデミー講師をしているイルカでも知っている有名な代物だ。 ただ、知っていても実際に見た事がある者は少ないと思う。 それが今、惜し気もなく晒されている。 イルカにはそれが不思議で堪らない。 更に不思議な事は、今現在の写輪眼の用途について。 見るだけで技術を習得出来るからと言って、カカシはたかが料理を覚えるために、あの写輪眼を使っているのだ。 忍者なら、誰もが平等に勿体ないと感じるだろう。 カカシにはもう少し写輪眼の希少価値を認識してほしい。 「イルカさん…イルカ先生は、本当に手際が良いですね。惚れ惚れしますよ」 魚をさばき始めてから、急にカカシがイルカに先生という敬称を付けた。 アカデミーでは先生と呼ばれるが、カカシほどの上忍相手に呼ばれるのはくすぐったくて仕方ない。 一回目に呼ばれた時は恐縮して拒んだけれど、結局はカカシの好きなようにしかならなかった。 「いやぁ、オレは最高に幸せ者ですよ。イルカ先生の手料理を頂けるんですから」 「そんな、俺はただの魚屋です。それより次はカカシさんが一人でやるんですから、ちゃんとコピーして下さいよ」 「ああ、はーい」 気の抜けた返事に、これで大丈夫なのかと心配になってくる。 しかし、カカシがちゃんとコピーしているかを確認するには、カカシの眼を見つめないといけないので中々実行に移せない。 相手が同性でも、きれいな顔というだけで照れてしまう。 カカシに見られていると意識しただけで手元が狂いそうだ。 子ども達相手に授業をしているのとは訳が違う。 そんな精神的なプレッシャーをひしひしと感じながらも、作り慣れた料理は大きな失敗もなく、無事に完成を迎えた。 「あたたかい内に食べましょうか」 にこにこと嬉しそうにしているカカシに箸を渡す。 その笑顔が胸に引っ掛かった。 カカシは料理を習いに来ているはずなのに、別の目的があってこにいるかのような雰囲気を漂わせている。 出会って間もないイルカには、カカシの行動から真実を読み取る事は出来ないけど。 「これ最高です!魚ってこんなに旨くなるんですね!」 一口食べて、出た感想がそれだった。 その後も、一口食べるごとに恥ずかしくなるほどの大絶賛が続いた。 自分が作った料理を喜んでくれる人がいるというのは幸せな事だ。 食費を節約するために続けてきた自炊が、思わぬ所で役に立った。 「今日、コピーされたんでしょう。次からはいつでもご自分で作れるじゃないですか」 「えっ…。ああ…はい、そうですね…。あ、でもっ!まだ他にも教えてもらいたいですっ!」 「これが出来るようになれば、どの魚でも出来ますから」 「そうですか…」 魚料理の幅が広がったというのに、カカシはとても残念そうだ。 その様子からも、料理を教わる以外の目的がある事は明白だ。 「オレ、イルカ先生ともっと親しいお付き合いをしたいと思っているんです」 カカシの言葉に、肩がぎくりと強張る。 しがない魚屋のイルカと親しくなったって、カカシが得する事など一つもないだろう。 20年以上生きて来て、自分の事は良くわかっている。 それでもカカシが親しくしたいというのなら、何か裏があるに違いない。 打算で築く関係なんて白々しいだけだ。 「実は、イルカ先生にオレの事を知ってほしくて頻繁に買い物に伺ってました。印象に残る買い方をすれば覚えてもらえるかと思って」 芯を外したような遠回しな言い方に不信感を抱いた。 ついつい探るような目でカカシを眺めてしまう。 「…俺がカカシさんと知り合った所でどうなるんですか」 「そ、それは…」 カカシが俯いて口を閉ざした。 言いにくい事なのか、それとも言ってはいけない事か。 真実にしろ、嘘にしろ、何も教えてくれなかったら、こんなあやしい人と交流を深めていく気はない。 「徐々にお互いを知って、いつかは…イルカ先生の…、こ…、恋人になれたら良いと思っています…」 言葉を失った。 顔を上げたカカシが、緊張と期待と不安を混ぜたような複雑な表情をしている。 カカシの目的がイルカの恋人になる事だったなんて信じられない。 「オレは本気です…!好きなんです!一目惚れでしたっ…!」 今までの行動は全て、カカシなりの順序や手段だったというのだろうか。 うちの魚をたくさん、しかも高級魚まで買ってくれた事も。 「じゃあ…、買った魚はどうしていたんですか」 食べる事ではなく、買う事に意味があったのなら、買った魚はどうなったのだ。 嫌な汗が出てきた。 まさか、捨てていたなんて事はないだろうか。 そんな事をしていたら、二度とカカシに魚を売ったりはしない。 それどころか、言葉を交わすのも、顔を見るのも嫌だ。 「もちろん食べてました。でもどうしても食べきれない時は忍犬の食事にしてました」 「忍犬…。犬のえさに…」 鈍器で頭を殴られたような衝撃に目が霞む。 カカシがいつも買っていた魚は、イルカのような一般人が特別な時だけ食べられる高級魚ばかりだった。 高級魚とは、値段が高いだけでなく、漁獲量が少なくて新鮮で品質の良いものを指す。 それを犬のえさにしていたなんて、魚屋を馬鹿にしているとしか思えない。 「…帰って下さい。カネさえあれば何でも出来ると思っている人とは関わりたくありません」 「えっ、ちが、違いますっ、誤解です…!」 「あなたの名前と顔はもう覚えました。…これで間違えずに追い返せます」 カカシという人に対する意識が変わった。 冷めた目で見つめてしまうのは、イルカが大切にしている魚屋を踏みにじった人だから。 「イルカ先生の所の魚が旨かったから、何度も買いに来たんですっ…!」 「…お帰り下さい」 「本当です!きつい任務で帰って来ても、イルカ先生の所で買った魚を食べれば元気になりましたっ。忍犬達もそうです。オレ、あいつらに命を預けてるから…」 カカシの言い訳は聞き流していたが、最後の言葉だけはイルカの頭に残像を残した。 飼い主にとって忍犬は、既に動物ではなく、仲間や家族のような存在だと聞いた事がある。 イルカが考えている単なる犬のえさと、カカシが言った忍犬の食事とでは、天と地ほどの違いがあるのかもしれない。 上忍が命を預けるほど信頼している忍犬なら、尚更、健康状態を気にして当然だ。 カカシは別に、魚屋や一般人を卑下して良い魚を忍犬に食べさせていた訳ではなかったのだ。 「…旨い魚を売ってる店のご主人に、偶然惚れてしまっただけなんです…」 汗で張り付いた髪を気にする事なく必死になっている姿は、穿った見方をしなければ、誠実で実直な人に見える。 異性だとか同性だとか、そういう事にこだわれるほど恋愛経験はないけれど。 でも好意を持たれる事は、純粋に嬉しいと思う。 「うちの魚で元気になれると言われたのは初めてです」 ひどい態度をとった事を詫びる気持ちで、努めて優しく微笑んだ。 探るような目で見てくるカカシに小声で、ありがとうございます、と告げる。 イルカの後ろにある冷蔵庫からプラスチックのケースを取り出し、中身が見えるように蓋を開けた。 「うみの特製のいかの塩辛です。すごく旨いけど日持ちしないから非売品なんです。食べていきませんか?」 カカシの顔がぱあっと明るくなった。 こんなに若くて上忍なのに、子どものように真っ直ぐな所がある人だ。 カカシが望む恋人同士になるかはまだわからないけど、とにかく今はカカシの事をもっと知りたいと思う。 それに、カカシの命を預かっているという忍犬達にも会ってみたい。 里を守る上忍や、その上忍の命を預かる忍犬達が、うちの魚で元気になってくれるなんて、魚屋冥利に尽きるじゃないか。 「オレ本当は、さんまの塩焼きが一番好きなんです」 安堵したカカシから漏れた一言に、声を出して笑った。 |