カカシよりも付き合いの長かった同僚が、長期の潜入任務でアカデミーを離れる事になった。 イルカも送別会に参加して、夜遅くまで大勢で騒いだ。 その余韻を引きずって家に帰ると、静まり返った暗い部屋だけがイルカを待っていた。 急に淋しさが込み上げ、楽しかった気分がシャボン玉のように弾け飛ぶ。 こんな時は、気が晴れるまでじっと耐え続ける事しか出来ない。 つい最近までは、そう思っていた。 でも、カカシという恋人が出来てイルカは変わった。 弱い部分を支えてくれる存在を得たのだ。 今ではもう、気持ちが沈んでいる時には必ずカカシに会いたくなる。 他人が見たらどんなに些細な事だとしても、カカシがいないと次に進めない。 付き合い始めた当初は、気分転換にカカシを利用していると思われるのが嫌で、会う事を自制していた時期があった。 黙っているつもりだったのに、それがカカシに発覚してしまい、それ以来、会いたくなったらいつでも来て良いと言われて、その言葉に甘えている。 こんな時間に家を訪ねたら迷惑だと承知しているけど、カカシもイルカに会うと嬉しそうな顔をしてくれるから、と自分に言い訳をした。 開けたばかりのドアに鍵を掛け直し、踵を返して歩き出す。 意気揚々とカカシの家を目指そうとしたが、階段を降りる手前で足が止まった。 運命かもしれないとか、心が通じ合っているのではないかとか、夢みたいな事を思う。 「カカシ先生…」 にわかには信じられなくて、目を擦って、ほっぺたもつねってみた。 「イルカ先生、丁度良かった」 カカシの声を聞いて、改めて現実を実感した。 顔が自然と笑顔になっていく。 「今からカカシ先生に会いに行こうと思っていたんです」 「もしかして、何か用でもありました?でも、すいません。これから急な任務で」 その言葉で、一瞬にしてイルカから笑顔が消えた。 カカシはイルカに会いに来た訳ではなくて、ただ出立の挨拶をしに来ただけだったのだ。 すぐにイルカの変化に気付いたカカシが、慰めるようにそっと抱き締めてくれた。 温かさに甘えて、イルカからも抱き返す。 「ごめんね…。じゃあ、行ってきます」 カカシの手が、何の躊躇いもなくあっさりと離された。 イルカの肩を押して距離を取り、早々と背中を向ける。 自分一人が名残惜しいと思っているだなんて考えたくなくて、後ろからがっちりとカカシの腰にしがみ付いた。 「もう少しだけ…。ダメですか…?」 「ホントに急いでるんです。木の葉の忍が山中に倒れてたとかで」 「…行かないで…」 「イルカ先生」 こんなに短い逢瀬だったら、会わない方が良かったかもしれない。 余計にカカシが恋しくなって、淋しさが募るじゃないか。 聞き分けの悪い子どものようだとわかっていても、カカシを行かせまいとして、より腕に力を込めた。 「任務なんです。わがまま言わないで下さい。…離してくれないと嫌いになっちゃいますよ」 弾かれたようにぱっと手を離して、カカシの拘束を解いた。 会いたくなったら会いに来て良いと言ったのに、くっ付いていたら嫌いになると言うのか。 本当はカカシの傍にいたいけど、嫌われたくなかったら離れなきゃいけない。 「お気を付けて…」 色々なものを飲み込んで、カカシを送り出す言葉だけを告げた。 無理矢理振り向いて方向を変え、自宅までの短い距離をとぼとぼと歩く。 さっき閉め直したばかりの鍵を再び開けた。 部屋に入ってドアを閉め、玄関にうずくまる。 なんて馬鹿な事を言ってしまったのだろう。 今のカカシとのやりとりは、完璧にイルカが悪い。 言葉は一度口に出したら取り返しがつかないものなのに。 淋しさと自己嫌悪で泣きそうだ。 情けないけど、一人でいたらきっと我慢出来ない。 大きく息を吸い込んで立ち上がりながら、送別会に来ていた仲間の顔を思い浮かべる。 こんな時間でもイルカの相手をしてくれそうな人に目星を付け、もう一度家を出た。 * * * * * 年上で、見掛けによらず生真面目で、下らない事でもちゃんと話を聞いてくれる人。 ライドウはイルカにとって、とても頼りになる先輩だった。 突然家に押し掛けたのに丁寧に対応してくれて、それどころかイルカの心配までしてくれた。 正直に、長期任務に出る同僚と離れるのが淋しいのだと打ち明ければ、優しい言葉を掛けてくれる。 取るに足りない思い出話にも嫌な顔一つせずに付き合ってくれて、1、2時間だったけど、大分気持ちが穏やかになった。 カカシの事は話さないまでも、カカシとの事を冷静に判断出来る精神状態には戻っていた。 任務前にわざわざイルカの所に報告しに来てくれただけで、充分幸せな事じゃないか。 そんなカカシを引き止めようとしたら、鬱陶しがられても仕方ない。 カカシの言葉が現実にならないように、ちゃんと謝って許してもらおう。 心から礼を言い、ライドウの家を後にした。 深夜と早朝の間ぐらいの時間帯。 もちろん擦れ違う人なんていないだろうと思っていたら、最初の角を曲がった時に人影が見えた。 街灯から離れた暗がりで、壁に寄り掛かっている。 「急いで帰ってみれば…。他の男の所でお楽しみですか」 良く知った声がやけに低く響き、棘のある内容に身体が竦む。 反射的に凝視すると、夜でも目立つ銀髪が薄明かりを孕ませて佇んでいた。 「カカシ先生っ…」 「オレは御役御免みたいなんで帰ります」 「違うんですっ…!カカシ先生っ!」 カカシが消えるのは、ほんの一瞬だった。 忍術だったのか体術だったのかもわからない。 「…カカシ…先生…」 イルカ以外に聞き手のいない虚しい呼び掛けが、冷たい空気に飲み込まれていく。 余りの惨めさに、しばらくは自分が泣いている事にも気付かなかった。 負の雰囲気を断ち切るように唇を噛み、目を擦って前を向く。 ここで諦めちゃいけない。 カカシに謝る事が一つ増えてしまったけど、ちゃっと伝えないと駄目だ。 そう思って、次から次に溢れてくる涙を払いながらカカシの家へ向かった。 カカシの家の灯かりは消えていて、室内からも人の気配を感じない。 帰って来るまで待とうと決めた。 ドアの前でうずくまり、カカシの事を考える。 自宅に戻らないで、どこで一夜を過ごすのだろう。 やっぱり女性の所だろうな、と予想はつく。 ずきっと、胸に痛みが走った。 同じベットで抱き合って眠るのかもしれない。 ずきずきっと、続けて胸に痛みが走る。 膝に顔を埋めると、溢れる涙がズボンの布に浸透した。 今回の事は全部イルカが悪いのだから、カカシがそれぐらいしても文句は言えない。 愛想を尽かされてカカシを失う事に比べれば、何でもない事だ。 それを言い聞かせるように繰り返しながら、不安で何度も泣いた。 そして、結局朝が来ても、カカシが帰ってくる事はなかった。 |