酒が飲めればどこでも良いと思って手近な居酒屋へ入ろうとすると、冷静なアスマの声に制止を余儀なくされた。

「誰に聞かれても良いような話じゃねえだろ」

カカシは今、正常な判断が出来なくなっているようだ。

アスマの指摘がなければ自覚する事も出来なかった。

店選びをアスマに任せ、カカシは後を付いて行く。

着いたのは、カカシも利用した事のある、個室を用意してくれる店だった。

案内された座席に腰を下ろし、いの一番で日本酒の一升瓶を注文する。

まだ外は明るく、来客も少ない時間だからか、頼んだ品はすぐに出て来た。

乱暴に栓を開け、そのまま瓶に口を付ける。

「だから落ち着けって」

幾らも飲めないうちに、アスマに瓶を取り上げられる。

小さな猪口に注ぎ直されたが、アスマが手酌をしている間に、間髪入れずに飲み干してやった。

空になった猪口をアスマの方へ差し出し、横柄に酌を促す。

寛大にも、アスマはカカシが要求するたびに律儀に注いでくれた。

嫌がらせのようにそれを何度も繰り返す。

しかし、やがてアスマも呆れてしまい、カカシに瓶を譲り渡した。

猪口に注ぐのがわずらわしくて、瓶から直接咽喉へ流し込む。

そうして半分以上空け、唐突にカカシの口は開かれた。

「別れたくないんだよっ」

この叫びを皮切りに、カカシは昨日の出来事を饒舌に語り始めた。

果てはイルカとの馴れ初めまで、アスマに口を挟む隙を与えずに喋り続ける。

カカシには珍しく、気分が高揚して、全く歯止めが利かなくなっていた。

途中で酒が切れ、仕方なく話を一時中断する。

「偶然も勘違いも、人間なら誰にでもあると思うぜ。間違いを正すんなら早いに越した事はねぇ」

ここぞとばかりに、アスマがカカシへ意見を述べて立ち上がった。

ふすまを開け、部屋を出て行こうとする。

「今頃泣いてるかもしれねぇなぁ…。情に厚いアカデミーの先生さんはよ」

忠告のような言葉を残し、アスマは部屋を出て行った。

開いたままのふすまが、カカシに何かを訴えてくる。

イルカが泣いているなんて考えられない。

そう思いながらも、頭の半分は既にイルカの泣き顔で占領されていた。

次第にイルカの泣き声までが聞こえてくる。

もう限界だった。

目を閉じ耳を塞いでも、思考はイルカの存在に侵蝕されていく。

勢いよく立ち上がると、視界が揺れ、足元がふら付いた。

壁に手を付き、ゆっくりと深呼吸する。

酩酊している身体を精神力で補わなければならない。

忙しなく支払いを済ませ、カカシは大急ぎでイルカの家へ向かった。



* * * * *



イルカの家へ走り着いても、まだ幻聴が聞こえていた。

それどころか、泣き声と嗚咽が更に鮮明になって頭に響いてくる。

ドアの前で改めて深呼吸をし、意を決してノブを捻った。

すると、予想していた鍵の抵抗はなく、軽々とドアが開く。

この時、カカシの幻聴がいつの間にか現実になっていた事に気付かされた。

「イルカ先生っ…!」

床に倒れて泣いているイルカを、慌てて抱き起こす。

板張りの床に体温を奪われたのか、イルカの身体が冷たい。

イルカの冷えた腕や背中を必死に擦り、カカシの熱を移していく。

「…だっ、大丈夫…で、す…」

言葉を詰まらせながらもカカシを押し退け、イルカが部屋の奥へ行ってしまう。

寝室に入り、きっちりとふすまを閉じた。

イルカの明白な拒絶に胸が軋む。

でも一方では、尋常でなかったイルカの泣き方が、希望の光のようにも感じられた。

だって、もしかすると、イルカが昨晩会っていた男に別れを切り出されたのかもしれないじゃないか。

それなら、あれだけイルカが取り乱した事にも納得出来る。

つまり、カカシにもまだイルカとよりを戻す機会が残っているという事だ。

飲酒後の疾走で切れ掛かっていたカカシの精神力が、身体の底から止め処なく溢れてきた。

さっと靴を脱ぎ、イルカの寝室を目指す。

ふすまを開け、ベットで丸くなっているイルカの傍で膝を付いた。

「ここにいてもいいですか…?」

精一杯優しい声で語り掛けると、僅かにイルカが身じろいだ。

布団越しのくぐもった声が返って来る。

「…俺は…一人でも大丈夫ですから…。カカシ先生は…帰って…下さい…」

「オレはイルカ先生と一緒が良いから帰りません」

「もう…いいんです…」

イルカの言い回しがカカシを気遣っているように聞こえるのは、都合の良い妄想だろうか。

「好きな人が泣いてるのに放っとけないよ…。お願いだから…傍にいさせて下さい」

イルカがカカシに背を向ける体勢で、上半身だけを起き上がらせた。

見えた肩が震えている。

「…同情はやめて下さい」

か細い声で、それでもはっきりとそう告げられた。

イルカの押し殺した嗚咽が再開される。

堪らなくなって、その弱々しい背中を抱き締めた。

「やめて下さいっ…!俺の事なんて好きでもないくせにっ」

「どうして?好きだよ。大好き。それに、同情なんかじゃない。愛情です」

「嘘だっ。だったら何で昨日は家に帰らなかったんですかっ」

「だって。イルカ先生の家でイルカ先生の帰りをずっと待ってたから」

イルカの嗚咽がぴたりと止んだ。

胸の前で交差されたカカシの腕につかまり、イルカがゆっくりと振り返る。

イルカの頬には、幾筋もの涙の跡が出来ていた。

「俺は…カカシ先生の家の前でずっと待ってました…」

今度はカカシが言葉を失った。

咄嗟に昨日からカカシしてきた行動を省みる。

すると、常にないほど冷静さを欠いている事がわかった。

単なる早とちりと思い込みの連続じゃないか。

カカシの中にわだかまっていた不安や悲しみが、湯気のように跡形もなく消えていく。

全ては杞憂だったのだ。

イルカが何よりも愛しくて、強く抱き締める腕に一層の力を込めた。

「…アカデミーで会った時も受付所で会った時も…どうしてあんなに…」

「ごめんね…。オレが…小さい人間だったから…」

それから長い時間を掛けて、カカシの思っていた事を話し、イルカの思っていた事を聞いた。

ベットに寄り添って座った二人の肩に一枚の毛布を掛け、指を組んでがっちりと手を繋ぐ。

こうしてイルカと二人でいられる普通の幸せが嬉しくて、自然とカカシの目に涙が浮かんだ。

もう二度と同じ間違いは繰り返さない。

瞳を潤ませ続けるイルカを見て、カカシは改めてそう心に誓った。











map  ss top  back  □mail□
2006.01.21