高校を卒業して2年間の留学の後、日本の大学に入り直してもうすぐ2年が経つ。
日本での大学生活にも飽きて、他の事でも始めようかと思っていた矢先だった。
構内に、やけに人がたかっていて騒がしい一角があった。
そういえば今日は合格発表の日だったっけ。
可愛い女子高校生でもいないかと、ほんの軽い気持ちで辺りを見渡した。
するとなぜか、まるでスポットライトが当たっているように輝いて見える場所があった。
その中心にいる一人の高校生に、カカシの目が釘付けになる。
片手に受験票を持って、不安そうな顔で掲示板を見上げている。
その視線が、ある場所でぴたりと止まり、受験票と掲示板を何度も往復する。
間もなくして、ほっとしたような柔らかい微笑みが零れ、それと同時にカカシの全身に電流が走った。
それが、カカシが初めて恋に落ちた瞬間だった。

* * * * *

一応は日本で最も権威のある国立大学だから、他の大学に受かっていたとしても、きっとこの大学に入学するはず。
そう信じて、カカシは入学式が終わってから毎日、新入生の勧誘と称して門の近辺をうろうろしていた。
カカシが所属しているテニス部にさえ入部してもらえれば、あとはどうにでもなる。
そもそもカカシがテニス部に入ったのだって、女子部員が目当てだった。
一緒にプレイしたり合宿したりすれば、その場の雰囲気で簡単に付き合う事が出来る。
「カカシさん、そろそろ時間っすよ」
共に勧誘をしていた下級生にそう言われ、腕時計に目をやる。
説明会まであと5分しかない。
今日、カカシがあの子を探せる時間も同じだけ。
いつも通り後輩だけ先に会場へ促し、カカシ一人で最後の5分に賭けていると、不慣れな様子で構内を歩いている一人の学生を見つけた。
頭で考えるよりも先に、体が勝手に行動を起こしていた。
「ねぇキミ、新一年生でしょう。うちの部に入りなよ。ね、決まり」
二度と離れないように、がっちりと腕を掴んで会場へ連れて行った。
やっぱり、いた。
やっと会えた。
心臓がばくばくと煩い。
受付係に案内を任せ、カカシは挨拶のために別の入口へ向かった。
説明会を終えて急いで受付に戻ったが、あの子は既に帰った後だった。
でもまあ、次の活動の時か、早ければその前のミーティングの時に会えると、その別れを軽く受け止めていた。

* * * * *

あの子を見つけるまで、3週間。
初めて声を掛けてから、また3週間。
酷くもどかしかった。
あの子がまだ一度も部活に出て来ないのだ。
せめて名前とケータイだけでも知りたくて、カカシには珍しく連続で部活に顔を出しているのに。
講義や研修の合間を縫って、再び門の周りをうろうろし始めた。
もう必死だった。
それが見つかった時には、今度こそ手を離すまいという意気込みで、つい力が入ってしまった。
「あ、ごめん。痛かった?」
痛そうな顔をして睨んで来る。
その目の端に涙が浮いているのを見て、不覚にも胸が高鳴った。
この子のどんな表情も、カカシには麻薬のようだった。
用件を言う前に追い越されそうになり、慌てて手首を掴むと、先を急いでいるから迷惑だと言われた。
それなら早く済ませなければと思って、真っ先に部活の事を告げる。
すると、渋々といった様子で返事をくれた。
「それは俺がテニス部に入部していないからです」
答えを聞いて愕然とした。
本当に急いでいるようで、カカシになど構わず、一人で歩みを進めて行く。
動揺して、それでも何とか接点が消えないようにと、懸命に質問を重ねた。
結局は駅の改札で引き離され、ホームに消える後ろ姿を呆然と見送った。
途方に暮れる、というのはこういう時に使う言葉だろうか。
ぼんやりした意識の中で思い浮かぶのは、あの子。
そういえば。
門から出る前に、友達らしき人と歩いていたような気がする。
その人と話せれば、あの子の事が何か解るかもしれない。
目を閉じて、真剣に自分の記憶を遡る。
記憶力は良い方だ。
少しずつ輪郭が姿を現す。
細身で顔色の悪い男が、図書館の方へ歩いて行った。
ぱちりと目を開け、急いで大学へ戻る。
これを逃したら、あの子がまた遠ざかってしまう。
図書館に着き、記憶と照合しながらゆっくりと全体を見渡した。
利用者は少ないが、その中で咳き込む声が時折聞こえる。
カカシの記憶に、顔色の悪い男が咳き込んでいる姿が残っている。
はやる気持ちを抑え、努めて小さな声で話し掛けた。
「すいません、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
彼はちょうど本を借りる所で、数冊の本の上に学生証が乗っていた。
それを素早く盗み見る。
月光ハヤテ、一年生。
あの子と同じ学年だ。
「鼻を横切った感じの傷がある一年生を探してるんだけど、何か知らない?」
「ああ、イルカの事ですね」
あの子の名前はイルカというのか。
まだ名前が解っただけだというのに、カカシの胸に込み上げてくるものがあった。
本気で泣きそうになりながら、ハヤテからイルカの事を教えてもらう。
うみのイルカ。
サークルはハヤテと同じ温泉同好会。
とある繁華街のバーでアルバイトをしているのだという。
今日もイルカはアルバイトだそうで、ならばこの際イルカの働くバーを探し出そう、と思い立った。
ハヤテに礼を言って、さっき往復したばかりの駅までの道のりをもう一度歩く。
カカシはあまり行かない地域だけど、バーというなら居酒屋よりも件数は少ないはずだ。
ケータイで電車の路線を調べていると電話の着信があり、表示された名前を見てカカシの眉間に皺が寄る。
イルカの事で舞い上がって忘れていたけど、そういえば女と会う約束をしていた。
いきなりキャンセルして揉めるのも面倒だし、理由を隠して店探しに付き合わせてしまおう。
通話ボタンを押し、イルカの店の最寄駅を待ち合わせ場所に指定して電話を切った。

* * * * *

運が良かった。
1日でイルカの店が判明し、たった5日でカカシもその店で働ける事になった。
秘かにイルカとシフトを合わせ、イルカの前では特に熱心に仕事をした。
それ以外は、ちらちらとイルカを見る片手間に仕事をしている。
だから、当然と言えば当然なのだけど、イルカの変化にはすぐに気が付いた。
様子がおかしくなったのは、来月のシフトが公表された直後だ。
どのみちイルカと同じ日しか出勤するつもりはないので、カカシはまだ見ていない。
そんな時、イルカが立て続けにグラスを割り、片付ける最中に怪我をしたようで、肩を落としてスタッフルームに下がって行った。
心配になって、カカシも慌ててイルカの後を追う。
狭い部屋で救急箱を探す後ろ姿が何とも言えず寂し気で、とてもじゃないけど放ってなどおけなかった。
傷の具合を知るために出血している右手に目を向ける。
すると、中指からしたたった一筋の血を、イルカが舌を伸ばしてぺろりと舐め取った。
カカシの胸がどきりと大きく波打つ。
こんな時だというのに、尖らせた舌で指を舐め上げるイルカに、この場にそぐわない行為を連想した。
好きな人を前にして、まるで中学生のようになってしまった自分が本当に情けなかった。
自分を戒めるつもりで、意を決してイルカの手当てをする事にした。
しかし、カカシに出来たのは文字通り手当てをする事だけ。
慰めの言葉を掛けるどころか目を合わす事も出来ずに、イルカに背を向けてスタッフルームを出て行った。






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2008.12.17