新入生にとっては恐怖に近い、強引なサークル勧誘。
噂には聞いていたけれど、こんなに酷いものだなんて思いも寄らなかった。
「ねぇキミ、新一年生でしょう。うちの部に入りなよ。ね、決まり」
「えっ、えっ、あのっ…」
同じ大学の先輩らしい人に声を掛けられ、腕をがっちりと掴まれる。
身長は相手の方が若干高く、スレンダーに見える割りに力が強くてイルカでは振り払う事が出来ない。
彼の思い通りの方向へ引っ張られ、まだ馴れない構内の奥まった場所へと連れて行かれる。
天気の良い日に通ったら気持ち良さそうな並木道が、今はとても苦痛に感じた。
急ぎ足の彼に付いて行くために、懸命に足を動かす。
並木道を抜けてすぐに、コンクリート製の無骨な建物が見えてきた。
「カカシ!早くしろよ!女子達が騒ぎ始めてるぞ!」
建物の入口付近で大声を出した人の横に、『テニス部入部説明会会場』と書かれた看板が立て掛けられていた。
辺りに人影もないし、イルカの腕を掴んでいる人はカカシという名前で、テニス部に所属している人なのだろう。
「キミは向こうのドアから入ってね」
建物に入ると右側の扉を指差され、そこでようやく腕が開放された。
指示された方向にはホールのような大広間があり、数十人の男女が集まっているのが覗える。
「1年生はあっちだよ」
入口に立っていた人に背中を押され、逃げるに逃げられなくなってしまった。
強制的に後ろの方の空席に座らされる。
ここまで来たら、もう諦めて説明を聞いていくしかない。
入部届けさえ提出しなければ入部する事もないのだし。
突然の災難にも終わりの目処がつき、イルカは安堵とも不安とも付かない小さな溜め息を吐いた。
鞄から読みかけの本を出し、不本意な時間を有効利用する。
本を読み始めてから間もなく、大広間に女性達の歓喜の絶叫が響き渡った。
何事かと思って、本から目を逸らして前方へ視線を投げる。
どうやら部員の紹介をしているようで、進行役の学生が前に並んだ部員にマイクを向けている所だった。
「副責任者のはたけカカシです」
その一言で、再び黄色い歓声が起こった。
改めて見てみると、カカシの外見は確かに整っていて、女性に騒がれるのも無理はない。
ちょっと嫌な感じだ。
初対面のイルカに対する横柄な態度といい、年下の同性になら何をしても許されるとでも思っているのかもしれない。
日常的にちやほやされていると、きっと彼のように人としての気遣いや心配りが欠けた人間なるのだ。
小学校の教師を目指すイルカから見れば、人間性を矯正したくなる対象ではあるけれど、カカシほど成長した相手に力を注ぐ気はない。
この場限りで嫌な事は忘れようと思い、手元の本へと視線を移す。
別にイルカはテニスが嫌いな訳ではなく、他に入りたいサークルがあるのだ。
温泉に行けるサークルか部活。
今読んでいる本も温泉巡りについて書かれた本で、本を開くたびに地方の温泉に思いを馳せている。
何枚もページをめくり、気分が高揚して来た頃、大勢が動き出す騒がしい音が耳に届いた。
どうやらテニス部の説明が終わったらしい。
たくさんの学生に混じってイルカも立ち上がり、そ知らぬ顔をして建物を出る。
とてつもない開放感を味わいながら、イルカは清々しい気持ちで並木道を歩いて行った。

* * * * *

また変なサークル勧誘に遭った時のために、イルカは当りを付けていた温泉同好会に早々と入会届けを提出した。
活動は毎週末に行われているが、イルカはアルバイトが入っているので毎回は参加出来ない。
金銭的な面から見ても、月に一度参加出来れば良い方だろう。
一応、責任者にはその旨を伝えてある。
念の為イルカの連絡先も伝えてあるので、出掛ける事が決まった時には連絡してもらえる事になっていた。
明日の集まりは、近場のスーパー銭湯へ行くそうだ。
残念ながら明日もイルカはアルバイトが入っているので不参加になるのだけど。
今日もこれからアルバイトだし。
学費と生活費を稼ぎながら学生生活を楽しむためには仕方のない代償なのだ。
図書館へ行くという友人と別れ、イルカは一人で校舎を出た。
門を通り過ぎた所で、何の前触れもなく伸びて来た手に二の腕を掴まれる。
「…っ!」
相手は人体の急所を心得ているのか、大した力ではないのに物凄く痛い。
イルカは思いきり顔をしかめ、暴行犯の顔を確認した。
「あ、ごめん。痛かった?」
その言葉と共にぱっと手が離される。
掴まれた箇所を擦りながら、イルカは見た事のある顔を必死に睨み付けた。
目に涙が浮いて来たが、零れ落ちないように歯を食いしばる。
この涙は痛みに対する涙ではなく、人権を無視した行為に対する悔し涙だ。
「ごめんね。謝るから、そんな顔しないでよ」
カカシが苦笑して、申し訳なさそうなそぶりで後頭部に手を回す。
笑い方にどこか嬉しそうな含みがあり、上辺だけで謝っている事が伝わって来た。
信じられない。
人が怒っている姿を見て楽しむなんて。
行く手に立ちはだかるカカシを道端の障害物とみなし、イルカはわざとらしくそこを避けて追い越そうとした。
しかし、すれ違いざまに手首を掴まれてしまい、否応なく足を止める。
イルカは不快感も露わに、低い声でカカシに言い放った。
「急いでるんです。…迷惑ですから離して下さい」
イルカの剣幕に驚いたのか、手首を握るカカシの力が弱まった。
それを隙だと思って振り払おうとすると、咄嗟に手首を握り直されてしまう。
「それなら手短に話しますよ。説明会の時、あんなに念を押したのに、どうして2回も続けて部活をサボるんですか」
滑舌が良く聞き取りやすい早さで発せられた言葉を聞いたのに、イルカは自分の耳を疑った。
呆れて説明するのが億劫になり、短い言葉で簡潔に全ての答えを告げる。
「それは俺がテニス部に入部していないからです」
「えっ…」
カカシの手から力が抜け、わざわざ振り払う前に手首を開放された。
もう話は済んだとばかりに、イルカはすたすたと歩き出す。
カカシの変な思い込みのせいで、しなくても良かった痛い思いをした。
部の副責任者としての責任感は素晴らしいが、もう少し調べてからにしてほしい。
「じゃ、じゃあ何部に入ったの?サークル?」
カカシは自分が無駄足を踏んだ事を認めたくないのか、興味もないくせに既に用済みのイルカに話し掛けて来た。
二度と交流を持たなそうな人に話す必要はないと判断して、イルカは遠慮なくカカシの質問を聞き流す。
「急いでるってバイト?」
カカシを置き去りにして歩いていたつもりが、いつの間にか真横に並ばれるほど距離を詰められている。
早足のイルカにも難なく歩調を合わせ、カカシが少し高い位置から覗き込んで来る。
「それともデート?」
「…!ち、違いますっ」
これは嫌がらせだろうか。
イルカがテニス部員でなかった事への当て付けだったとしても、色恋沙汰を引き合いに出すなんてあんまりだ。
見た目も中身も平凡なイルカなら、まだ女性と交際した経験はないだろうと決め付けて。
確かにその通りではあるけれど、赤の他人であるカカシにとやかく言われる筋合いはない。
「じゃあ何だって言うの」
「あなたには関係ない事ですっ」
悪質なキャッチセールスを彷彿とさせるカカシの執拗さに、とうとう声を荒げてしまった。
この程度の事で感情的になってはいけないと思って、心の中で冷静さを取り戻す。
反応を返さない事が一番だ。
カカシに何を言われても聞こえないふりをしよう。
イルカは大学から駅までの道のりを、何を尋ねられてもひたすら黙って耐え抜いた。
改札でカカシが足止めされた事を目視して、初めてイルカは肩の力を抜く事が出来た。






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2006.12.21