朝起きたら体中が痛くて、裸の上半身や太腿に紫色に鬱血した跡が幾つも残っていた。 震える手を伸ばし、枕元の茶封筒を掴む。 そこには、1万両札が10枚ほど入っていた。 「な…に…これ…」 カカシが傍に居れば訊く事も出来たかもしれないが、傍に居たら居たで何も言えなかったかもしれない。 目を閉じて人の気配を探るが、カカシは家の中にはいないようだった。 言葉に出来ない不安が否が応にも掻き立てられる。 イルカと顔を合わせるのが気まずかったのだろうか。 酔った勢いとはいえ、金を与えるために顔見知りの同性を抱いてしまったのだ。 胸が苦しくて、そこに握った手のひらを充てがう。 やっぱり本当の事は話すべきではなかった。 イルカの気持ちなんて知りもしないカカシは、単なる人助けのつもりでそういうやり方を選んだのだろう。 ただ金を出したってイルカが受け取らないと思って。 無骨で手間も掛かるけど、孕む心配のない男の体。 カカシが我慢すれば、こんな手近な質草はない。 もう、優しいのか残酷なのかすら解らなかった。 一つ言えるのは、受け入れる事を知らないイルカの体なんて、経験豊富なカカシには楽しくもなかっただろうという事だ。 「…こんなの…高すぎる…」 咽喉がからからに乾いて、焼けるように熱い。 茶封筒を元の位置に戻し、床に散らばった服を四つん這いになって拾い集める。 涙でぼやける視界と腰の痛みで、なかなか思い通りに動けない。 それでも何とか最低限の身支度を整え、家具や壁に手を掛けながら立ち上がる。 不自然な姿勢で玄関まで辿り着いた時には、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。 情けないけど、こんな状態じゃ仕事どころじゃない。 早く家に帰って、上司に欠勤の連絡を入れないと。 これ以上苦しくならないように、一度も後ろを振り返らずにカカシの家を出た。 まだ慣れない帰り道は、痛手を負った心と体にはかなり応えるものがあった。 * * * * * カカシが家に戻ると、ベッドにいるはずのイルカが跡形もなく消えていた。 出掛ける前に散乱していた衣類も、イルカの物だけきれいになくなっている。 「イルカ先生?」 一応声を掛けるが、どこからも返事がない。 あんな体でどこに行ったというのだ。 体を清めるために風呂場へ行くのだって一人では無理だったのに。 昨日は久しぶりにイルカと飲食を共に出来て、カカシも舞い上がっていた。 避けられていた訳でも、嫌われていた訳でもなかった事が解って安心もした。 急激にやつれていたのも飲食代を削っていたからだと知り、可哀想で仕方なかった。 元々贅沢を好まないイルカが生活費を削るというのは、かなり過酷な節約生活を余儀なくされていたのだろう。 常になく少量の酒で酔い始めた姿を見たら、もう堪らなくなった。 誰にも頼らず、健気に困難に立ち向かうイルカを少しでも支えたい、守りたいと思って、今まで抑えていたカカシの気持ちを正直に告白した。 『イルカ先生が好きなんです。あなたのためなら何だってしますから、もっとオレに甘えて下さい』 イルカは潤んでとろけそうな目で微笑んだ。 それがイルカの答えだと思った。 だからカカシは酔っていると解っていたイルカをベッドへ連れ込み、そのまま最後まで進んだ。 躊躇ってはいるようだったが、抵抗は一切なかった。 火照ったイルカの肌に触れるだけでカカシまでぞくぞくした快感が込み上げ、歯止めが利かなくなった。 もっと丁寧にほぐした方が良いと解っていても、カカシの方が我慢出来なくなり、半ばにして欲望を突き入れてしまった。 イルカの負担は、さぞ大きかった事だろう。 わざわざ聞かなくたって、男に抱かれる事が初めてだと現している体に、それなりの質量を受け止めたのだ。 それも、一度では満足出来なくて、二度も三度も繰り返し。 風呂へ運んでイルカの中を掻き出している時にも再び欲情してしまい、せっかく掻き出した所へまた突き入れた。 昨夜イルカに告げた言葉に嘘はない。 激しい情交でぐったりしたイルカを見て、改めてそう思った。 何か手掛かりでもないだろうかと、カカシが朝食の買出しに出掛ける前の状態を頭に浮かべる。 一目瞭然なのは、掛け布団が開いている事。 これはイルカが起きた時に剥いだ跡だろう。 他の手掛かりを探すために、頭の中に描いた画と現在の画を重ねてみる。 「あ、った」 忘れないように見やすい所に置いておいた封筒。 位置が少しずれているのと、開けていた封が閉じているのと。 元旦から任務に就くので、イルカに新人下忍9名と木の葉丸の分のお年玉を預かってもらおうと思って置いていたものだ。 新人を受け持っている3人の上忍師で忘年会をした時、そういう話になった。 最初で最後になるかもしれないからと、もっともらしい事を言いつつ、ちゃっかり木の葉丸の分まで用意させる所がアスマのずる賢い所だ。 カカシはお年玉を貰った事がないので金額の相場が解らず、とりあえず一人に一万両札を一枚ずつ用意した。 そういえば、年内のカカシの仕事は終わっても、イルカは今日も仕事だった。 出勤するために、一端家に帰ったのかもしれない。 朝食が入ったビニール袋と封筒を持ち、カカシは再び家を出た。 カカシは、さら地になった元イルカ宅を目の前にして、呆然と立ち尽くしていた。 イルカは引っ越したと言っていたじゃないか。 しかも、カカシ自身がこの目で昨日それを確認していたはずだ。 イルカが酔う前に、新居の場所ぐらい聞いておけばよかった。 脱力感が全身を巡り、持っていたビニール袋が手から離れる。 どさっと音がして、道に中身が散乱した。 封筒に入れていた紙幣まで飛び出てしまい、重苦しい溜め息が漏れた。 膝を折るのも億劫で、緩慢な動きで散らばったものを拾っていく。 「にいさん、良い男だねえ。その金、体で稼いだのかい」 汚れた衣服を纏った女の浮浪者が寄って来て、カカシの傍らに立ち止まった。 皺だらけの不気味な顔で、嫌な笑い声を上げる。 「アタシもあと10年若かったらねえ」 あわよくば何かをたかろうとしたのだろうが、微動だにしないカカシを見て諦めてどこかへ行ってしまった。 確かに忍は、体が資本で、体で稼ぐ職業だ。 しかし、老婆の言った言葉の意味は違う所にある。 どうしてもっと早くに気付かなかったのだろう。 カカシの家に一人残され、枕元に無造作に置いてあったお金を見た時のイルカの気持ちに。 よりによって、イルカから経済的に困っている事を聞かされた後だったというのに。 どこからか自分の血の気が引いていく音が聞こえる。 唇が震え、気が遠くなりそうになりながら、それでもカカシはどうするべきなのかを考えた。 イルカに会わないと。 会って話をしないと。 今日も仕事なら、受付所か報告所かアカデミーのどこかにいるはずだ。 ぎゅっと目を瞑り、深く息を吸い込む。 次に目を開いた時には、険しい顔のまま全力で走り出していた。 建物の外も中も隅々まで探したが、イルカの姿は一向に見つからない。 八方塞りになり、最終手段としてイルカの同僚に声を掛けた。 カカシの私用で公務員を借りるのは申し訳ないと思って、それだけは控えていたのだけど。 「イルカは今日、風邪でお休みです」 その場に崩れ落ちそうになりながらも、何とか持ちこたえる。 家探しなら、優秀なカカシの忍犬達に力を借りよう。 イルカの同僚に礼を良い、アカデミーの裏庭へ向かった。 忍犬達を口寄せし、イルカを探すように指示を出す。 イルカの持ち物でもあれば匂いで追えるのだけど、あいにくカカシはそんな物は一つも持っていなかった。 忍犬達が覚えているイルカの匂いを、各々で辿ってもらうしかない。 そうして、有力な情報が届いたのは、昼を過ぎてからだった。 他の人の匂いもするが、イルカの匂いも残っている住居を見つけたという事だった。 引っ越したばかりなのだから、他の人の匂いが残った家に住んでいてもおかしくはない。 忍犬の後に付いて案内された場所は、以前イルカが住んでいたアパートと遜色ない古さのアパートだった。 1階右奥のドアを控えめに叩き、中の様子を伺う。 人の気配はしているのに、なかなか反応が返って来ない。 もう一度ドアを叩こうとした時、ドアの内側で微かな物音が聞こえた。 鍵を回す音に続いて、ドアが少し開く。 「イルカ先生っ」 隙間に手を入れ、一気に大きく開くと、姿勢と顔色の悪いイルカが暗い表情でカカシを見た。 「違うんですっ、あれはっ、ナルト達に渡すお年玉でっ…、オレ元旦から任務だからそれでっ…」 「そんな…」 「イルカ先生が好きなんですっ、もっと頼って欲しいんですっ、もっと甘えて欲しいんですっ」 イルカが壁を伝ってよろよろとベッドへ戻り、慎重に腰を下ろした。 膝の上に拳を置いて、がっくりとうな垂れ、小さな声で呟く。 「俺だって…こんなですけど…カカシ先生が好きなんです…」 カカシの聴覚では充分に聞き取れた言葉に、じわじわと嬉しさが込み上げる。 勝手に部屋に上がり、イルカの前まで行き、顔に手を伸ばした。 軽く上向かせ、カカシの顔を近付けて、そっと唇を重ねる。 「朝ごはんを買いに行ってたんです。良かったら一緒に食べてくれませんか」 イルカは何かに気付いたのか、驚きながらも照れた笑顔で頷いてくれた。 カカシは、年明け直前に舞い降りた幸せに、来年が間違いなく良い年になるという確信を得られた。 |