イルカの仕事が終わるのを待ってアカデミーを出た。 当初の希望とは違うが、こんな形でもイルカと帰路を共にする事はできた。 しかし、そこにヤマトの力添えがあるような気がして、素直には喜べない。 「…最近、何かあったんですか?」 隣を歩くイルカが、呟くような声で遠慮がちに尋ねてきた。 「え…?」 ヤマトとの口論に備えて考え事をしていたせいで、質問の意図が掴めずに間抜けな声で聞き返してしまった。 「この前も道端で急に帰っちゃうし、一緒に飲みに行っても上の空だし…」 イルカに言われて、今更ながらに失礼な態度を取っていた事に気が付いた。 すぐに謝罪の言葉を口にしようとすると、その前にイルカがもう一度口を開いた。 「もしかして俺、カカシさんにとって迷惑ですか?もしそうならこれからは…」 「いやいやいやいやいや!絶対にそんな事ありませんからっ!」 慌てて否定する事で、不穏な言葉に続きそうだった所をなんとか途中で遮った。 「ホントにすいませんっ!そんなつもりは全然なくてっ」 謝ってどうにかなる事でもないのに、そんな言葉しか出てこなかった。 立派な事を言ってイルカを繋ぎ止めなければと思えば思うほど焦って何も思い浮かばない。 カカシがそんな時に。 「…それなら、良かったです」 イルカはそう言って、ほっとしたような笑みを見せてくれた。 口布の中で盛大に安堵の溜め息を吐く。 こうして冷や冷やさせられるのも、イルカに変な態度を取ってしまったのも、全部ヤマトが悪い。 まったく余計な事ばかりしやがって。 そこからは、二度と同じ失敗を繰り返さないように、自分の仕草や言葉の端々に細心の注意を払いながらヤマトの家に向かった。 ヤマトの家になんて、カカシは一度も行った事がない。 そもそも行きたいと思った事がなかった。 市街地から離れた森の中をイルカにくっ付いて歩いて行くと、ぽつんと建つ一軒屋に辿り着いた。 明かりが点いている。 木遁使いなのだから、わざわざ木の多い所に住まなくても良いだろうと思うのはカカシだけだろうか。 イルカが玄関の前に立ち、持っているはずの合鍵を使わずに扉を叩いた。 少し軋んだ音を立てて木戸が開く。 「お疲れさまです、どうぞ上がって下さい」 出て来たヤマトが、イルカに向かってそう言った。 「お邪魔します」 イルカは慣れた様子で室内へと入って行く。 カカシも当然のようにイルカに続いて入ろうとすると、ヤマトがさり気なく壁に手を付いてそれを阻んできた。 「僕に話があるんですよね?ここじゃ駄目ですか?」 イルカに聞こえないようにしているのか、ヤマトの声は極めて小さいものだった。 まるでイルカの護衛気取りのヤマトの態度に、カカシの表情が険しくなる。 もしかして本当に、ヤマトとイルカは特別な関係なのだろうか。 考えただけで逆上しそうになる気持ちを必死に抑え、違うという事を確信するために直接的な質問をヤマトにぶつけた。 「お前さあ、イルカ先生とどういう関係なの?」 不機嫌さの滲んだ声に、ヤマトはぽかんと口を開けた。 あからさまに唖然としている。 カカシにしてみれば唐突でも何でもない問い掛けだったが、ヤマトにとってはそうではなかったらしい。 ヤマトの頬がぴくりと動き、なぜかいきなり片側の口角が吊り上がった。 「…やきもち、ですか?」 それを聞いてカカシの頬が引き攣った。 反射的にヤマトの胸倉を掴み上げる。 しかし、それでもヤマトの余裕の笑みは一向に崩れない。 「だってイルカ先生は先輩の事…」 「お茶が入りましたよー!」 その時、部屋の中から響いてきたイルカの声で、瞬時にヤマトから手を離した。 ヤマトが、さっと後ろを振り返る。 「すみません、今行きます。ありがとうございます」 ヤマトの家で何の躊躇いもなく茶を出すイルカに、胸の奥がむずむずと疼いた。 でも、含みのあるヤマトの言葉に、それとはまた違った感覚の疼きも、カカシの胸の奥でくすぶり始めていた。 「続きは自分で聞き出して下さい」 もう一度カカシに向き直ったヤマトが、そう言い残してイルカの方へ行ってしまった。 二人に倣い、カカシも板の間に土足のまま上がり込む。 声のした部屋を覗くと、6人掛けの木製の卓に二人が向かい合って席に着いていた。 卓と揃いの6脚の椅子も、部屋の家具も、全てが似たような材質で、いかにもヤマトが好きそうな造りだった。 イルカがパン屋の袋をヤマトに渡し、鞄から本や筆記具などを取り出している。 それが落ち着くと、イルカはその中の一冊を開き、ヤマトに何かを尋ねては帳面に書き留めるという事を繰り返すようになった。 二人の会話に出てくる耳慣れない言葉の数々が気になって、そうっと卓へ近付く。 そこには『正しい木材の選び方』や『設計製図の基礎』などという本が並んでいた。 「真面目に勉強してるイルカ先生の邪魔だけはしないで下さいよ」 ちらっとこちらに目を遣ってきたヤマトに、そう注意された。 すぐにヤマトの講釈が再開し、イルカはそれを熱心に傾聴している。 こんな活き活きとしているヤマトは、カカシも未だかつて見た事がなかった。 すると不意にヤマトが席を立って本棚の方へ行き、そこで何か探し物を始めた。 その隙を突いて、イルカに話し掛ける。 「すいません。勉強って、どうしてヤマトと」 カカシの問いに苦笑したイルカが、麦茶のコップを差し出しながら丁寧に答えてくれた。 「夏休みのうちに、職員たちで校庭のモミの木にツリーハウスを作る事になって」 ツリーハウス。 忍者を目指す児童にとっては、遊びにも修行にもなりそうな施設ではある。 「その準備が大変です、って話をこの前カカシさんと飲みに行った時にしませんでしたっけ?」 「えっ?ああっ、そうですよねっ」 そんな話、すっかり忘れていた。 あの時はヤマトがイルカに渡した合鍵の事で頭が一杯だったから。 「やっぱり先輩がいると集中できないみたいですね」 1冊の本を持って戻って来たヤマトの言葉に、イルカが頬を赤らめた。 自身の未熟さを指摘されたせいなのか、それとももっと他の理由からなのか。 「イルカ先生が持って来てくれたパンを切りますから、先輩は一服したら帰って下さい」 本を卓の上に置き、換わりにパン屋の袋を手に取ったヤマトが台所に入って行く。 普段はカカシを敬っているヤマトの、この態度の変わりようは一体何なのだ。 まるで、おやつを与えておけば大人しくなると思われている子どものような扱いではないか。 だが、今はもう、その程度の事で嫌な気分になる事もなくなっていた。 一方的にヤマトを敵視していた自分が馬鹿馬鹿しくて、笑いさえ込み上げてくる。 だって、イルカは、ヤマトの家の合鍵を受け取ったというよりも、図書室の鍵か何かを受け取っただけというような感じなのだ。 ほどなくして、あのクルミパンが一切れずつ乗った皿が3人分やって来た。 慣れた手付きでパンを口に運ぶ二人を見習って、カカシも小さく千切って口に放り込んだ。 そのなかなかの味に、心の中で首を傾げる。 実は一度だけ、カカシも秘かにこのクルミパンを購入して食べた事があった。 でも、その時とは随分と味が違うような気がする。 積み重なったヤマトへの嫉妬が、味覚にまで影響を及ぼしていたというのだろうか。 「それ食べたら本当に帰って下さいよ。僕たちは忙しいんですから」 ヤマトはこちらを一瞥もせずに、クルミパンを食べながら目を輝かせて本のページを捲っている。 大人げないのはヤマトの方じゃないか。 イルカという優秀な生徒相手に建築の知識を披露するのが楽しいからといって、カカシを追い出そうとして。 ヤマトだけにイルカとの有意義な時間を過ごさせるのは癪に障る。 だから、予防線を張る意味でも、これから毎回イルカに同行して二人の様子を監視しに来てやろうと思った。 |