報い 長く付き合っている恋人がいる。 彼はとても誠実で、カカシにはもったいないぐらいの人格者だ。 職業は忍者、兼、教師。 そんな人が。 「花街でイルカ先生を見かけましたよ。しかも5日連続で」 これは、ペイン襲来の復興隊長をしているヤマトからの情報だった。 ヤマトは里全体の被害状況の把握から復旧作業までを取り仕切っているので、毎日色々な地域を回っている。 そのせいで、今では里一番の情報通になっていた。 花街や賭博場が、既に営業を再開しているという話はカカシの耳にも入っている。 法に触れる恐れのある施設は、もともと監視の目を避けるために街外れにあったので、今回の被害も軽くて済んだのだ。 「仕事だったんじゃないの」 ヤマトの話を聞いても、カカシは特に動揺する事はなかった。 どんなに体の欲求が溜まろうとも、イルカは金銭で女を買うような人ではない。 だが、外野に妙な憶測を立てられてしまうほど、イルカと何日も顔を合わせていないのは確かだった。 当然、夜の営みもご無沙汰。 それほど会えないのは、お互いに仕事が忙しいからに他ならない。 しかも、その忙しさというのが並みの忙しさではなかった。 ここ1ヶ月でいえば、カカシが里に滞在している時間は、任務が終わって里に帰って来てから、次の任務を受けて出立するまでの数時間しかない。 もちろんイルカも、内務と外務の掛け持ちで忙しい。 そんな状態で会おうとしたら、イルカに余計な気を遣わせるからと遠慮している面もある。 「それがですね、いつもお姐さん達に囲まれて、毎回違う遊郭に入って行くんですよ。なんか心許ない顔で」 心許ない顔で、という部分にはカカシも少し引っ掛かった。 仕事で入らなければならないのだったら、堂々としていたらいいのに。 「でも、その5日間だけで、それ以来は一度も見ませんでしたけどね」 それならば尚更、致し方なく遊郭に通っていたに違いない。 性欲に関して淡白な上に奥手なイルカが、ころころと相手を換えながら何日も続けて女遊びをするなんて考えられない。 「ただ、イルカ先生の事で、もう一つ先輩にお伝えしたい事がありまして」 「何よ」 「最近やたらと女の人と親しげに話している姿を見かけるんです。それはもう全盛期の先輩並みに」 すっ、と目を細め、余計な事を付け足した後輩を睨みつける。 しかし、そんな事を聞かされたら、さすがのカカシも少し不安になってきた。 いくらなんでも、1ヶ月は会わな過ぎただろうか。 ほとんど休みなく任務に就いているのは、里のためであり、またイルカのためでもあるのに。 そんな大義名分をかかげて、イルカ本人にそれが伝わっていなかったら、こんなに悲しい事はない。 同業者のイルカなら現状を理解してくれると思っていたのは自分勝手な発想だったのだろうか。 せめてもう少しだけでも、イルカに会う努力をしていれば良かった。 イルカに会いたい。 急激にそんな欲求が湧き上がった。 「失礼します。カカシ上忍、いつも急ぎですみません。これ、新しい依頼書です」 イルカではない受付の担当者が、カカシが取りに行く前に依頼書を持って来た。 素早く目を通すと、相変わらず切迫した内容だった。 すぐにでも出立しなければならない。 結局こうして、いつもイルカに会う事が先延ばしになってしまう。 いつになったらイルカに会えるのだろう。 ひょっとしたら恋人の気持ちが離れかけているかもしれないという大事な時期なのに。 カカシに依頼書を持って来た担当者が、簡単な挨拶をして慌ただしく待機所を出て行った。 とにかく今は、どこでも誰でも忙しいのだ。 今日は仕方がないと諦め、出立するために長椅子から立ち上がった。 「お疲れ様です!よろしければ投票にご協力ください!投票箱は玄関脇に置いてあります!」 淀んだ空気を一掃するような、底抜けに明るい声が待機所内に響き渡った。 受付の担当者と入れ替わりで入って来た、別の職員の声だった。 「開票は1週間後です!こんな時だからこそ、みなさんに楽しんで頂くために用意した企画です!どうぞご協力ください!」 その職員が、声を張り上げながら、所内の人たちに片っ端から何かを配り始めた。 彼の異様な雰囲気に圧倒され、カカシも思わずそれを受け取っていた。 渡されたのは、ちらしと投票用紙がひとくくりになったものだった。 ちらしは『特別美人コンテスト』と題されており、出場者の顔写真と投票番号が印刷されている。 主催はアカデミーで、協賛にはいくつかの企業が名を連ねていた。 それ以上は大して目を通さないままカカシが棟を出ようとすると、確かに玄関脇に投票箱と書かれた木箱が置いてあった。 箱の背後の掲示板には、ちらしよりも大きくて鮮明な出場者の顔写真が貼られている。 何事もなく素通りしようとすると、ふとその中の一枚の写真にカカシは目を奪われた。 心臓が跳ね上がる。 投票番号5番の女性。 微笑んだり真顔だったりする写真が多い中で、一人だけ憂いを帯びた表情で写っている。 その女性が黒髪だったという事も、カカシの目を惹いた要因の一つかもしれない。 こんな気持ちになったのは久しぶりだった。 ほぼ反射的に、木箱に備え付けられた鉛筆でその番号を記入し、箱の上部の穴から用紙を落とし込んでいた。 まだ脈拍が正常に戻らない。 高鳴る胸を押さえながら、今度こそ棟を出ると、ふとイルカの顔が頭をよぎった。 急に冷や汗が噴き出してくる。 もしかして、いやもしかしなくても、これは浮気に相当する事ではないだろうか。 イルカという恋人がいながら、一時的とはいえ5番の女性に関心を向けてしまったのだ。 後悔という二文字が、カカシの頭の中を駆け巡る。 すぐに戻って票を無効にする事は簡単だが、カカシがイルカ以外に関心を向けてしまった事は、どうやっても無かった事にはできない。 イルカに飢えていたから、とか、黒髪に目を惹かれたから、とか、虚しい言い訳ばかりが浮かんでは消えていく。 気持ちが離れるというのは、こういう事の積み重ねだったりするのだろうか。 急に怖くなって、ぶるりと体が震えた。 イルカを生涯の伴侶と決めてからは、絶対にこんな事はしないという自信があったのに。 罪悪感と自己嫌悪で、気持ちだけでなく体までが重たくなってくる。 任務前にこんな状態では良くないと思うけど、自分ではどうする事もできない。 それは、今までカカシが信じていた愛し愛されているという思い込みの地盤が、少しずつ揺らぎ始めた瞬間だった。 |