サクラマジック






報告を終えて家路を進んでいると、知らない女に声を掛けられた。
逆ナンパというやつだ。
外見はそこそこで、体型もカカシ好みだったので、深く考えずに誘いに乗る事にした。
一緒に食事をして酒を飲み、帰りは桜を見に行こうという話になった。
近くに、有名な桜の名所があったのだ。
着いてみると、桜はすっかり散り始めていたが、まだまだ花盛りの状態だった。
食欲が満たされ、軽く酒も入った男女の行く末なんてものは、大抵が決まっている。
女もそのつもりで声を掛けてきたに違いない。
向こうは最初からカカシの事を知っていたし、それならカカシの手の早さぐらいは認識しているはず。
並んで歩き始めた途端に腕を絡めてきた手馴れた仕草にも、それを裏付けるような尻軽さが滲んでいた。
今夜は女の家か適当な宿で、一夜限りの関係に酔いしれる。
それは、カカシの中ではおおよそ確定していた事だった。
桜並木の下で行われている大小さまざまな宴会の脇を通り、この先にある連れ込み宿の数々を思い浮かべる。
しかし、言葉を失うほど見事に咲き誇る桜並木のおかげで、記憶の掘り起こし作業が難航した。
白い街灯に照らされた花びら群は、とにかく美しい。
時折吹く風が起こす桜吹雪も同様に。
そこへ突然、びゅう、と今日一番の突風が吹き抜けて、散り落ちた花びらを舞い上がらせた。
その一部がつむじ風に乗って花びらの渦を作り、地面を奔放に進んでいく。
ふと、その様子に目を奪われた。
何かに導かれるようにして目で追っていくと、やがて風が止み、舞っていた花びらが一箇所に纏まって落ちた。
花びらが落ちた場所は、十数名の宴会場の片隅。
裏返したビールケースにもたれ掛かる、一人の酔っ払いの上だった。
酔っ払いは寝入っているようで、風が吹いた事にも花びらが降ってきた事にも、全く気付いていない。
あどけないその寝顔に、カカシの目が釘付けになった。
ぶわーっと体の内側に鳥肌が立つような不思議な感覚が、物凄い勢いで全身に広がる。
知らない人ではない。
ナルトの元担任をしていた教師だ。
横にいた女の腕を乱暴に振り払い、一目散にイルカの元へ駆け寄った。
地面に片膝を付いて、イルカの顔を覗き込む。
イルカは花びらを全身に纏い、小さな寝息を立てていた。
カカシにはそれが、童話に出てくるお姫様が花畑で眠りながら王子様の到着を待っている、という場面にしか見えなかった。
ここは酔っ払いだらけの花見会場なのに。
イルカはお姫様ではないし、カカシが王子様な訳もないのに。
何かの筋書きをなぞるように、体が勝手に動いていた。
ひたいに乗っていた花びらをそっと払い、空いた場所に吸い寄せられるようにして唇を落とす。
口布は、ほぼ無意識のうちに下げていた。
夜気に当たって少しひんやりしたイルカの肌とは対照的な自分の唇。
「ん…」
イルカの声に唇を離した。
しかし、イルカは一度眉をしかめただけで、再びあどけない顔に戻って穏やかな寝息を立て始めた。
それを見ていると、胸がざわざわする。
そしてなぜか、ひたいで駄目なら唇へ、という揺るぎない思いまでが込み上げてきた。
自分の気持ちに逆らわず、カカシが改めてイルカの唇を目指して体を傾げた時だった。
「急にどうしたの?知り合い?」
女の声に、さっと口布を引き上げる。
カカシの行動が見えていなかったのか、見て見ぬふりをしているのか、さきほどまで隣にいた女がカカシの元へとやって来た。
「ああ、ごめーんね。あんたとはここでお別れ。さようなら」
さすがに、存在を忘れていた、とまでは言わなかった。
女はカカシの言葉に絶句して立ち尽くしている。
それには一切構わず、宴会の輪の方へと顔を向けた。
「この人つぶれちゃってるから連れて帰るね」
一番近くにいたイルカの仲間に声を掛ける。
体格の良い、短髪の男だった。
別に、了承や許可が必要な訳ではなかったので、断りだけ入れてイルカに触れた。
イルカの両腕をカカシの首に回してから、イルカの尻の下にカカシの腕を当てがって立ち上がる。
親が子を抱くように正面から向かい合う方法が手っ取り早かったので、それを採用したのだ。
ほとんど体格の変わらない男を抱っこするのは難儀かとも思ったが、意外とそうでもなかった。
こんなに大胆に動かしても、イルカは変わりなくすやすやと眠っている。
まさかこんな良いものを拾えるなんて。
浮かれそうになる自分を抑えつつ、時折イルカの重みに頬擦りをしながら自宅へと向かった。



イルカの眠りを妨げないようにと、ベッドに寝かせてから靴を脱がせた。
ついでに、ごわつくベストも脱がせてやる。
しかし、カカシが気遣う必要はないのではないかと思えるほど、イルカには目を覚ます気配がなかった。
部屋の明かりを点けてみても、やはりイルカに変化はない。
そういえば、どうしてイルカはシートの上にいたのに、靴を履いていたのだろう。
玄関にイルカの靴を運んでいる時、ふとそんな疑問が頭に浮かんできた。
確かイルカの仲間たちはみんな靴を脱いで素足でシートに座っていた。
もしかして、イルカの異常なまでの眠りの深さと、何か関係があるのだろうか。
すぐに寝室に戻り、じっとイルカを観察してみた。
すると、唇に何かが付着しているような気がして、息が掛かる距離まで顔を近付けた。
少し白っぽくなって見えるのは、単に乾燥しているだけなのか、何かの成分の残りなのか。
躊躇ったのは、ほんの一瞬だった。
イルカの唇をぺろりと一舐めする。
匂いはない。
ただ、微かに覚えのある味がした。
もしカカシが知っているものと同一物ならば、これは睡眠薬の一種。
耐性のない人が飲めば、小指の爪先ほどの量で一晩は眠り続けるほど強力なものだ。
どうしてイルカはそんなものを宴会場で飲んだのだろう。
とても自分の意思で飲んだとは思えない。
きっと、知らないうちに誰かに飲まされたのだ。
ならば、その誰かの目的は。
そんなものは一つしかない。
イルカを連れ帰って、悪さをしようとしたのだ。
靴を履いたままだったのも、イルカが宴会に腰を落ち着ける暇もなく薬を飲まされた証拠。
カカシが通り掛かっていなかったら、今頃イルカはどうなっていた事か。
自分の下心を棚に上げて、と思わなくもない。
けれど、カカシはまだ、イルカをベッドに寝かせただけで、手は付けていないのだ。
意識のないイルカを手込めにしようとした卑劣な犯人とは違う。
そう自分に言い聞かせた。
ここが我慢のしどころだ。
ぐっと唇を引き結び、静かに明かりを消した。
一つのベッドで眠るのは潔く諦め、その代わり、床に腰を下ろしてベッドに寄り掛かる。
ひんやりした床の温度が、さきほど触れたイルカのひたいの温度と重なった。
それがふしだらな妄想に続きそうになって、慌てて頭を振って掻き消した。
まだ時間は早いが、今夜はもう眠ってしまおう。
明日は休みだし、変な時間に起きても二度寝はできる。
ともすれば悶々としそうになる思考と戦いながら、なんとか眠ろうとして、無理矢理に目を閉じた。






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2010.04.21