大浴場の脱衣所で籐の椅子に腰掛け、扇風機の緩やかな風に当たる。 イルカと共に温泉に入っていたのだが、カカシだけは先に出て来てしまった。 傍でイルカの素肌を見ていたら、悶々としてきてしまったのだ。 ここには、でっぷりと腹の出た中年がいたり、しおれた体の老年がいたりして、カカシの劣情を見事に掻き消してくれる。 もったいない事をしたと思わない事もないが、夜は長いのだし、焦る事はない。 それに、慣れない長風呂で湯あたりを起こすよりは遥かに良いだろう。 思春期の学生でもないのに、いい年をしてよくもあんなに顕著な反応を示すものだなと自分でも感心する。 しかし、よくよく考えてみると、似たような事は以前にも起きていた。 イルカに温泉旅行のプレゼントを見せに行った時だ。 就寝するには早い時間にイルカの家の明かりが消えていたから、まだ帰宅していないのだと思ってドアの前で待っていたら。 家の中から人の気配と、微かな水音が聞こえてきたのだ。 部屋の明かりが消えていて、水の音がするという事はつまり。 入浴中、という事だ。 イルカが。 そう認識した途端に、かっ、と下半身に熱がこもった。 ただその時はまだ、一緒に旅行に行くほど親しい仲なのか悩んでいる時だったから、この体の反応をイルカに知られて嫌われたらどうしようという不安の方が強かった。 それでどんどん考えが悪い方に向かって行き、イルカが風呂を出て部屋の明かりが点いた頃にはかなり落ち込んでいた。 あの時はつい、イルカに鼻で笑われた事に逆上してしまったけれど、それがなければ一緒に旅行に来る事もなかったのかもしれないのだから、結果的には良かった。 前々からカカシは、旅館にさえ行ければ、必ずこの関係は進展すると思っていた。 今までにもイルカの家に泊まった事はあるが、寝る時はベッドと布団に別れるので、高低差があって同衾には至らない。 そして、そもそも全く色っぽい雰囲気にならないのだ。 イルカは常に、カカシをアカデミーの生徒のように扱ってくる。 本当は大人の男で、人並みに体の欲求だって持っているというのに。 だから。 同じ高さで寝られる所で、イルカが教師を忘れられるような非日常的な雰囲気があれば。 かねてから秘めているカカシの本懐が遂げられると思ったのだ。 実技的な面でいえば、イルカを骨抜きにする自信はあった。 これまでに積んできた遊郭の花魁や上忍のくの一たちとの手合わせは伊達ではない。 励んでいたのは若い頃だが、まだまだ衰えてはいないはずだ。 改めて考えると、それだって全てはイルカのためだったように思える。 今夜こそ、イルカの心も体もカカシの虜にする。 そうやって決意を固めていると、浴衣姿のイルカが脱衣棚のあいだの通路から顔を出したのが見えた。 カカシを探しているのか、周囲を見渡している。 ぱっと目が合い、すぐにイルカが笑顔で歩み寄って来る。 「お待たせしました」 イルカの声で立ち上がり、大浴場を後にする。 そのまま館内を散策しながら、のんびりと客室へと戻って行った。 近すぎず遠すぎない距離に、慎ましく敷かれた一組の布団。 カカシはその片方の上に正座をして、イルカが来るのを待っていた。 枕元に必要なものを用意して、部屋の照明を落としてから30分。 歯磨きをしに行った洗面所から、イルカがなかなか出て来ない。 風呂も歯磨きも短時間で終えてしまうカカシから見ると、驚くほどの長さだ。 そろそろ様子を見に行こうかと思っていたら、ようやく洗面所から、ぶくぶく、と口をすすぐ音が聞こえてきた。 いよいよだ。 あらかじめ人が通れるくらい開けておいた寝室のふすまからイルカが入って来た。 しかし、一歩踏み入れた所で足を止め、枕元に置いてある品物を見て硬直してしまった。 イルカの視線の先には、一目見てそれとわかる潤滑剤とティッシュの箱。 それから、使うかどうかはわからないけど、一応2人分だからと多めに持って来た避妊具の山。 「どうぞ」 立ち尽くしているイルカに、空いている方の布団を指して座るように促した。 イルカはよろよろと布団にやって来て、崩れ落ちるようにして腰を下ろした。 「ちゃんとわかってるって言いましたよね。一緒に泊まりに来る事の意味」 イルカは何度も目を泳がせてから深く俯き、か細い声で、はい、と返事をした。 薄暗い照明でもはっきりとわかるほど、イルカの耳が赤くなっている。 「じゃあ。オレが今まで何度もイルカ先生に言ってきた好きって意味も、ちゃんと伝わってますよね」 顔は上げてくれなかったが、さきほどよりははっきりと、はい、と返事をくれた。 それならば、イルカに聞いておきたい事はあと一つだけ。 「…男とするのは初めてですか」 イルカの肩がびくりと揺れた。 もちろんカカシは、はい、という答えを期待している。 でもその反面、いいえ、でも構わないとも思っていた。 だって、過去はどうであれ、イルカは今、確実にカカシの射程圏内に入っている。 イルカの耳が、心持ち赤みを増したように見えた。 「…初めて、です…」 カカシの鼓膜が、イルカの消え入りそうな声を捉えた。 男はカカシが初めて。 そう理解した瞬間、カカシの血潮に、ぼっ、と火が付いたような気がした。 本能のままに、がばっとイルカに抱き付く。 その勢いで倒れてしまったイルカの顔の横に手を付き、覆い被さった状態でしっかりと目を見据えて宣言した。 「オレが全部、手取り足取り教えてあげますからね!」 カカシだってイルカに教えられてばかりではないのだという事を、心の底から思い知らせてやる。 これまで散々子ども扱いされ続けてきた男の逆襲は、この夜から始まったのだった。 |