| スイートテン・ビターテン |
気持ちを伝えたのはイルカのほうからだった。 そこでカカシから返ってきた言葉は。 「…オレと付き合いたい?」 反射的に、こくこくと何度も頷いた。 それから3か月が経つ。 でも、キスをした事はないし、手だって握った事がない。 そればかりか、好きだと言われた事だって一度もなかった。 さすがにそろそろカカシの事がわかってきた。 たぶんカカシは、イルカの事を特別とは思えないのだ。 あの時の冷静なひと言が過不足なくカカシの本心で、それは今も変わらないのだろう。 興味本位とか、気まぐれとか、言葉にするとしたら、そういう頼りないものばかりが並ぶ事になる。 でも、それでいい。 自分はカカシが、ぼーっとしている時の空気感が好きなのだ。 受付でカカシの報告書を確認するあいだにも、時折ふわりと感じる事があった。 会話はなくてもいい。 あの穏やかな時間を共有させてもらえれば。 「え? ヤマトと2人で?」 カカシが驚いたように聞き返してきた。 自分はただ、今夜の予定を伝えただけだ。 受付が終わってから急いで夕方の待機所を訪ねたのも、カカシが任務に出る前に少しでも会いたかったからだ。 驚かれるような事はしていないし、言ってもいない。 「あ、はい。ヤマトさんが個室のある居酒屋を予約してくれて」 ヤマトとは最近、ときどき飲みに行くようになった。 頻度はそんなに多くない。 ヤマトがカカシと同じくらい忙しいのと、気づかい屋さんのヤマトはカカシが里にいる時にはイルカを誘ってこないから。 ヤマトはカカシとイルカとの関係を知っている。 できるだけカカシと一緒にいたい、というイルカの気持ちをわかってくれているのだ。 「…それ、オレも行こうかな」 突然のカカシの呟きに、目を瞬かせる。 だって、カカシはこれから任務なのだ。 「ちょうど出発が半日くらい延期になったんですよ」 「あ、そうだったんですか」 半日延期という事は、夕方出発が早朝出発になったという事か。 こんなに都合のいい事ってあるだろうか。 口元がほくほくに緩んでしまう。 急にカカシと過ごせる時間が増えた事が嬉しい。 たとえカカシの目的が昔なじみの後輩と話をする事であっても。 「一応は任務に備えて酒は控えるけど」 任務に備えるのなら、少しでも家でゆっくりしていたほうがいいはずだ。 それがわかっていても。 同業者として失格だけど。 降って湧いた幸運を逃したくなくて、自分からそれを口にする事はできなかった。 2人で店に着いたのは、ヤマトと約束していたよりも少し早い時間だった。 入口で確認すると、1人くらいなら急に増えても大丈夫との事だった。 個室に案内され、掘りごたつになっている席にカカシと並んで座る。 それほど広い部屋ではない。 男4人では狭いけれど、自分とカカシが接近気味に座れば問題はなさそうだった。 カカシが近いのが嬉しい。 さっきからずっと頬が緩みっぱなしだ。 静かにメニューを見ていたら、カカシからあの穏やかな空気が漂ってきた。 こういう瞬間がとても好きだ。 ずっとこの空気に包まれていたいと思ってしまう。 ヤマトは約束のきっちり5分前にふすまを開けて入ってきた。 そして、カカシを二度見した。 室内にイルカしかいないと思って油断していたのだろう。 日頃から表情が乏しい中でもにこやかに見えたヤマトの顔が、途端に強張った。 思っていた反応と違う。 もっと喜んでくれるかと思った。 カカシはヤマトの尊敬する先輩だから。 妙な雰囲気になってしまって、慌ててヤマトに謝った。 無断でカカシを連れてきた事を。 それでもヤマトは機嫌よく応じてくれて、和やかな雰囲気で時間は流れた。 途中で手洗いに立ち、用を済ませて戻る。 店内用の草履を脱いでいると、ふすま越しにヤマトの声が聞こえてきた。 「そんなこと、僕はやめたほうがいいと思いますよ」 何の話をしているのだろう。 仕事の話だろうか。 自分が入っても大丈夫だろうか。 「どうせイルカ先生とだって長続きしないんですから」 「まだ3か月じゃわかんないでしょ」 自分の名前が出て、ふすまを開けるのを躊躇ってしまう。 ヤマトは真面目な口調だった。 反対にカカシは、どこか冗談めかした響きがあった。 長続きしない、というヤマトの言葉を肯定するような。 ぐっ、と唇を引き結ぶ。 目を伏せると、その場から動けなくなってしまった。 「だって、いくら噂に疎いイルカ先生でも、先輩の醜聞が耳に入らないはずがないじゃないですか。ベッドの上でも千人斬りだとか、浮気が酷いとか」 ずき、っとした。 痛みが走った胸を、思わず手で押さえる。 カカシがモテる事は知っていた。 でも、ヤマトの言うとおり、具体的な噂の中身までは知らなかった。 「恋人のそんな低俗な噂を聞いたら、僕だったら即、別れ話ですよ」 性的な経験人数は減らせるものじゃないし、誰かと比べるものでもない。 でも、浮気は。 これから起こり得る事だし、もしかしたらもう起きている事かもしれない。 今まで疑った事がなかった。 カカシに不誠実な態度を取られた事がなかったから。 その代わり、好意を示された事もないけれど。 それでもカカシとの時間はいつも居心地がよかった。 「じゃあ、賭けてみる? オレがイルカ先生と別れるかどうか」 カカシが楽しげにヤマトに尋ねた。 自信満々という感じの声だった。 ヤマトの噂話も否定しなかった。 それはつまり。 カカシがどちらに賭けるのか、聞かなくてもわかってしまった。 いつかは。 いつかはそんな日が来るだろうと思っていた。 覚悟だってちゃんとしていたつもりだった。 でも甘かった。 こんなに早く来るなんて。 もう少し、あと何か月かは先かと思っていた。 そう勝手に思い込んでいた。 「…やめておきます。僕も先輩と同じほうに賭けると思うんで」 少し長めの沈黙を挟んで、ヤマトが残念そうに答えた。 ヤマトもわかっているのだろう。 近い将来、カカシがイルカから離れていく事を。 やっぱり、破局の理由はカカシの浮気なのだろうか。 「すいません。僕もトイレに」 「なんで今なの」 賭けが成立しなかったからか、カカシが不満げな声を上げた。 それとほぼ同時に、目の前のふすまが開いてヤマトが現れた。 「あ、イルカ先生」 慌てて表情を取り繕う。 カカシは奥から首を伸ばして、珍しいものでも見るような目でこちらを見ていた。 「…さっきの、遮音じゃなかったの」 「どちらかというと空間閉鎖寄りの結界です。僕たち3人以外は入れなくなって、第三者に対しては遮音にもなるっていう。僕たちには筒抜けですけど」 小さなため息のような吐息がカカシから聞こえた。 「イルカ先生、そろそろ帰りましょう。支払いはヤマトがしてくれるそうなんで」 「えー。先輩のおごりじゃないんですか」 「どうせ今日は払う気だったんでしょ」 「まあ、そうですけど」 足元を整えながら言ったヤマトが、そのままトイレには向かわずに1人で会計所のほうへと行ってしまう。 「俺も払いますっ」 慌てて追いかけようとすると、カカシに肩を掴まれた。 いや、掴まれたというより、肩に手を置かれただけかもしれない。 強い力ではなかった。 それでもカカシからイルカに触れてきた事の希少さに、思わず足を止めて振り返る。 「たまには、あいつにカッコつけさせてやってください」 至って穏やかな声だった。 イルカと別れるかどうかの賭けの話をしていたあとだというのに。 カカシの気持ちがわからなかった。 それでもいいと思っていたはずなのに。 自分の気持ちまでわからなくなりそうだった。 |