勃たなかったのだろう。 他に思い当たる事がない。 ぼんやりしていたら、外が白んできた。 その時になって、自分が涙を流していた事に気がついた。 カカシが部屋にいた痕跡は、もうどこにもない。 何がいけなかったのだろう。 いい年をして、生娘みたいな対応しかできなかったせいだろうか。 男のくせに、カカシにすべてを委ねるような発言をしてしまったせいだろうか。 時間がなくて入浴を省いたせいだろうか。 誕生日を知らなかったせいだろうか。 イルカでは無骨すぎたのだろうか。 考え始めるときりがなくて、ただ嗚咽を噛みころした。 とにかく、カカシを昂らせる事ができなかった自分が悪い。 せっかくの誕生日だったのにひどい事をしてしまった。 今までの関係も、これで終わってしまうのだろうか。 ふと、もしかしてそれが目的だったのだろうか、と頭をよぎった。 カカシの肉体で試してみて、反応すれば深い仲に、無理ならきっぱりと区切りをつけるために。 だから誕生日にイルカと過ごしてくれたのかもしれない。 特別な日にそばにいさせてくれるぐらいには好かれていたのだ。 そのカカシの期待を裏切ってしまったのは自分。 謝らせてもらえる機会は、この先あるのだろうか。 それすらも高望みなのだろうか。 カカシと疎遠になっていく実感がじわじわと胸に迫ってきて、きつく唇を噛んだ。 寂しくて涙を抑えきれないなんて、一体いつ以来の事だろう。 お願いします、どうも、じゃあ。 少し気まずそうに報告書を提出しに来たカカシの口から出た言葉はそれだけだった。 イルカのいない窓口があったら、きっとそちらに並んでいたのだろう。 私的な話をさせてくれる隙なんて、一切なかった。 あんな事があった翌日なのだから当然だ。 声が聞けただけでもよかったと思わないといけない。 仕事を終え、朝より更に重くなった体でアカデミーを出ると、すぐに溜め息が零れた。 こんな事になるのなら、ちゃんと告白しておけばよかった。 体の相性が判明するまでのあいだだけでも、カカシの恋人になれたかもしれないのに。 中途半端な関係では味わえない甘い時間を過ごせたかもしれないのに。 もしも時間を戻せるのなら、絶対にそうするのに。 「イルカ先生」 不意に呼びかけられて、俯きがちだった視線を声のほうへ向けた。 「カ、カシ先生…」 門柱の影に佇んでいたカカシが、こちらに一歩踏み出してくる。 そこで突然、深々と頭を下げてきた。 「えっ…」 「昨日はすいませんでした。イルカ先生の気持ちをないがしろにして」 カカシが謝る事ではないだろう。 男性としての機能が発揮できなくて落ち込んでいる時に、誰かを気遣うなんて無理だ。 自分が逆の立場でも、きっと、いたたまれなくなって逃げ出していた。 「顔、上げてください。…俺なんかじゃ、カカシ先生の体が反応しないのは当たり前なんですから」 ぱっ、と顔を上げたカカシの片目は、なぜか大きく見開かれていた。 「反応しないわけ…、ないじゃないですか…」 驚いているような怒っているような口調でカカシが言った。 嘘…、と呟いたイルカの声は小さすぎて、音になる前に消えてしまった。 「好きにすればいい、なんて投げやりなこと言われたから、理性を掻き集めて止めたのに」 「あっ、あれはっ…」 続く言葉を、咄嗟に飲み込んだ。 口にするのが恥ずかしくて。 だってあれは、カカシになら何をされてもいい、という意味だった。 「ああ、この人オレに命令されて嫌々体を差し出してるんだな、って」 「そんなわけっ…」 カカシだから勇気を振り絞って身を任せたのに。 カカシだから、もっと深い付き合いをしたいと思ったのに。 「そんなわけ、あったでしょう。口説いた途端に喋らなくなるし、ベッドに行った途端に目を見てくれなくなるし、押し倒したら…泣かれたし」 どれも、恥ずかしかったからじゃないか。 泣いてだっていなかった。 緊張と興奮で目が潤んでいただけだ。 カカシの誤解を解きたいのに、どれから手をつけていいかわからなくて、声にならない。 「全部オレが悪いです。本当にすみませんでした。それで、あの、もう二度と急いだりしませんから、イルカ先生の気持ちが熟すまでちゃんと待ちますから、だから、その…」 言いにくそうに口ごもったカカシに身構える。 他にもまだ誤解されている事があるのではないか、と。 「また…今までみたいにお付き合いしてもらえませんか。まだ嫌われてなかったら、ですけど…」 聞こえてくる話が信じられなくて、目を瞬かせた。 カカシの言葉を頭の中で再生させる。 まだ、終わっていなかったのだろうか。 これからも、カカシと一緒にいられるのだろうか。 もしそうなら、どうしても言わなければいけない事がある。 「…そんなの、嫌です」 小さく答えると、カカシの瞳があからさまに揺れた。 口布で隠れていても、頬が強張っているのがわかる。 「もう、今までみたいなのは嫌なんです。俺、カカシ先生が好きなんです。急いでくれないと嫌です」 言いたかった事を吐き出しているうちに、僅かに覗くカカシの頬が、ほんのりと色づいていった。 でもたぶん、イルカの頬のほうが赤くなっている。 今頃になって心臓がすさまじい音を立て始めている。 「さ、差し支えなければ…、い、1日遅れですけど…、た、誕生日プレゼントに俺の事…、も、もらってくれません、かっ…」 なんとか言い切ったものの、声も膝も、がくがくと震えていた。 頼りない足元を支えようと、門柱に寄りかかろうとした時、さっとカカシに抱き寄せられた。 ひぁ、と弱々しい悲鳴を上げそうになる。 「ありがとう…。遠慮なくいただきます」 嬉しそうな囁きがくすぐったくて、肩を竦めた。 その時に盗み見たカカシの目元は、せっかくの男前が台なしになるほどだらしなく緩んでいた。 こんなに喜んでくれるのなら、もっと早くに気持ちを伝えておけばよかった。 不意に胸に広がった後悔は、ひどく甘酸っぱいものだった。 |