スケアの受難 |
先日、成りゆきでスケアに相談に乗ってもらった。 やけに熱のこもった助言を受けて、その通りにしたら、その日のうちに悩みが解消していた。 偶然かもしれない。 でも、スケアに対して尊敬と信頼が上乗せされた事は確かだ。 実際、前にも増してスケアにのめり込んでいる。 ついに写真集まで買ってしまった。 しかも、付属の応募券を送ったら、スケアが出演するドラマの撮影を観覧できるチケットまで当たった。 それがいよいよ、明日の午後に迫っている。 公開予定の映画や、放送予定のドラマが何本もあるし、この先が楽しみで仕方がない。 唯一発売されているCDに収録されている曲だって、もうすべて完全に覚えている。 「それ、スケアの歌ですよね」 突然のカカシの指摘に、夕飯の後片付けをしていた手が一瞬、ぎく、と止まった。 無意識のうちに鼻歌が出てしまっていたらしい。 まだカカシにも、スケアのファンだという事を明かしていないのに。 隠すような話ではないのかもしれない。 ただ、いい大人の男が、同性の芸能人のファンだと公言するのは、ちょっと恥ずかしいのだ。 「スケア、好きだったの?」 「カカシさんに渡されたCDの曲が…、耳に残っていて…」 「へぇー。あれ、聞いてたんだ。意外」 「…写真屋さん業のスケアさんとは面識があったので…少し気になって…」 つい言い訳がましい口調になってしまう。 なんとなく後ろめたい。 「アカデミーの文化祭に呼ぼうという案もあって、ライブの下見にも行ったんですけど、結局は予算の折り合いがつかなくて…」 カカシからは、ふーん、という気のない声が返ってきた。 「…スケアって、イルカ先生から見て、男としての魅力、ありますか」 「えっ…。あ、あるんじゃないですか…。人気もあるし…」 「もし口説かれたら、どうする?」 どき、とした。 スケアに相談をした時、魔が差す手前まで行ってしまった前科がある。 「そんな…。俺にはカカシさんが…」 ふいに、後ろから抱き寄せられた。 腹部にふわりと腕が回ってきて、左肩にはカカシの顎も乗っている。 「ふふ…。だよねー。オレだけのイルカ先生だもん。大好き」 腹部にいたカカシの手が、あやしげな動きを始めた。 首筋にも吸いついてくる。 まだ求められている事に、ほっとした。 イルカへの関心が薄れたのかと思った時期があったから。 だけど、片付けが終わってからにして、という気持ちがない事もない。 それに。 「っん、カカシさ…」 「イルカせん…」 『ピッ! ピピッ! ピッ! ピピッ!』 大音量でアラームが鳴り響いた。 このあと仕事が入っているというので、カカシが自ら設定したものだった。 使うようになったのは、スケアに相談をしたあとくらいからだ。 カカシの忙しさは相変わらずだった。 受付を通らないカカシ指定の任務が、異常なまでの密度で組まれているようなのだ。 「あー…、もう行かないと…」 「ぁ…あっ、カカシさ…んっ」 「…いつも…慌しくて…ごめんなさい…」 「っ、ん…ぁ、あっ、あっ…」 「もう…しばらくしたら…、少しは落ち着くと…思う、から…」 『ジリリリリリィー!』 時間差で、もう一つのアラームが鳴り始めた。 ようやくカカシの手が止まる。 唇が接するだけの口づけを何度も交わして、離れていく。 いつも通り、カカシは律儀にすべてのアラームを解除してから出かけていった。 今日も体が中途半端に火照っている。 ひとりで冷めるのを待つ時間は、あまり好きじゃない。 カカシはどうやって静めているのだろう。 優秀な上忍は心身のコントロールにも長けていて、きちんと切り替えられるのだろうか。 ふう、とついた吐息が生ぬるくて、少しだけ涙が出そうになった。 夜中にカカシが帰ってきた。 狭いベッドの、イルカの隣にもぐり込んでくる。 またどこかでシャワーを浴びてきたようだ。 シャワー室はアカデミーにもある。 任務の依頼人やその関係者の家で借りる事もあるし、出先の温泉や銭湯で済ませる事もある。 わかっているから、尋ねた事はない。 「ごめん、起こしちゃって…」 「今日も大変でしたね。休める時に休んでください」 「うん…。ありがと…。おやすみ…」 カカシはすぐに眠りに落ちていった。 寝顔にかかっていた髪を払い、そうっと梳いていく。 その指先を、弱々しい力で握られた。 覚束ない手つきで導かれ、手のひらに頬をすり寄せてくる。 起こしてしまったかと思ったけれど、健やかな寝息は継続していた。 「…好きだよ…」 思わず、口元が緩んだ。 カカシの寝言なんて初めて聞いた。 どんな夢を見ているのだろう。 「…好きだよ…ユイ…俺にはユイしかいないんだ…」 びく、と体が強張った。 これまでに聞いた事のない、すべてをゆだねるような、ひどく甘い口調だった。 カァー、っと頭に血が上った。 頬が引き攣る。 好きって、ユイが? ユイって、誰だ。 手を頬に引き寄せて縋りたくなるほどの相手なのか。 険しい顔になっているのが、自分でもわかる。 眉間が痛い。 乱暴にカカシの手を振り払おうとしたら、その前に、ぱっと離された。 寝返りを打って、こちらに背を向けてくる。 唇を噛んだ。 気持ちの収まりがつかない。 忙しくしているのは、任務が立て込んでいるからじゃないのか。 「…ミオさん…頼むから俺と別れてください…」 今度は心臓が、きゅう、っと縮み上がった。 一気に血の気が引いていく。 またイルカの聞いた事のない声色だった。 ミオさんが誰なのかもわからない。 少なくても、カカシが別れ話をするような関係を持っていた人。 それは、過去なのか、現在なのか。 急に背中が、さぁーっと寒くなった。 慌てて布団にくるまって、ぎゅ、と瞼を閉じる。 眠りたい。 眠ってしまいたい。 全部が夢だったらいいのに。 そう思っても、なかなか寝つけなくて、朝方にうとうととしている時だった。 隣で身じろいだカカシが、イルカの背中にぴったりとくっ付いてきた。 力のこもらない腕で、軽く抱き寄せられる。 首の後ろあたりに、カカシの吐息を感じた。 「…俺を捨てないで…リエちゃん…確かに昔…サキを妊娠させたのは俺だけど…」 肩が震えた。 吐きそうになって、急いでベッドを出る。 足音を消して、洗面所へ駆け込んだ。 カカシが誰かを「ちゃん」付けで呼ぶのを初めて聞いた。 それだけ可愛がられている人なのだ。 カカシが妊娠させた人は、その後どうなったのだろう。 自分はこれから、どうしたらいいのだろう。 カカシには、他に好きな人がいる。 別れようとしている人も、可愛がっている人も。 子どももいるかもしれない。 イルカの所に来る他に、それだけの人たちとの関わりを維持しようとすれば、それは忙しくもなるだろう。 無理なんて、しないでほしい。 無理をしてまで、イルカの所になんて、来なくていい。 命を懸けた任務だってあるのに、余計な疲労の種を持ち続ける必要はない。 もう、知らなかった事にはできない。 嗚咽が溢れそうになった。 歯を食いしばって押さえようとしたけれど、止められなかった。 滲む視界の隅に入ったタオルを、慌てて口に詰め込んだ。 |