「あんな始まりかただったから、責任感とか罪悪感で俺と付き合おうと思ったんじゃないんですか」 「違います」 「じゃあ…面倒ごとを回避するために、形だけでも一時的に付き合っておけば文句を言われないと思って」 表面上は付き合ったのだから一夜限りの関係ではないし、誰からも責められる理由はないでしょう、と。 カカシが小さなため息をついた。 「違います。虫のいい話だけど、償いのためにイルカ先生と一緒にいるわけじゃないです。いや、イルカ先生と一緒にいられるならもう理由なんてなんでもいいです。責任感でも罪悪感でも償いでも」 負い目を感じているわけではなく、今はイルカだけと付き合っていて、かりそめで終わらせる気もない、というのか。 どうしてそこまでイルカと一緒にいたいのか。 残る答えはひとつしかない。 「…俺の体ってそんなに特殊ですか。いくらなんでも体の相性だけでいつまでもカカシ先生を引きとめられるとは思えないんです」 カカシが一瞬、息を詰めたように見えた。 そんなに驚かれるような事を言ったつもりはなかった。 体の関係から始まっているのだから、回数を重ねて慣れれば慣れるほど思い入れは薄まるだろう。 添い遂げるという言葉に惑わされるわけにはいかない。 近いうちに、その思い入れがゼロになる日が来るかもしれないのだ。 カカシなら、もっと魅力的な肉体を持つ相手に出会う可能性も高い。 いつ来てもおかしくないそんな日に怯えるくらいなら、今この機会に関係を解消しても大差ないのでは、と思ってしまう。 どうせ終わるのなら、早いほうがいい。 関係が長引けば長引くほど、まだまだ、もっともっと、カカシを好きになってしまう。 好きが膨らめば膨らむほど、離れた時がつらくなる。 「…1か月…いや、1年…我慢したら…信じてくれますか…」 ぎりぎりで絞り出したような苦しげな声だった。 我慢というのは、体の関係を、という事だろうか。 体ありきの付き合いなのに。 それに、カカシの持っているあのすさまじい熱量を長期間発散させなかったら、頭も体もおかしくなってしまうんじゃないのか。 そんな無理をするくらいなら。 「俺とは…別れたほうがいいんじゃないですか」 とうとう、言ってしまった。 しかも、自分から。 カカシが痛そうに眉間に皺を寄せた。 深い付き合いになってから知った事だけど、カカシは意外にも感情表現が豊かな人だった。 イルカよりもよっぽど。 甘えるのも甘えられるのも好きで、愛も平然と囁けて。 それに対して充分に応えられず、ほとんど何も返せない自分に、カカシに我慢を強要させるほどの価値があるとは思えない。 「体だけじゃないんです…」 消え入りそうな声で漏らしたカカシの腕に、優しく包み込まれた。 享受していいかわからなくて、肩が強張る。 「本当にイルカ先生が好きなだけなんです…。オレの事も好きになってほしいだけなんです…。離れたくないんです…。別れるなんて言わないでください…」 顔は見えないけれど、くぐもった声は泣いているようにも聞こえた。 立派な成人が、冷徹だと言われる上忍が、簡単に泣いたりするわけがないのに。 でも、もし本当にカカシが泣いているのなら慰めたくて、自分からもカカシの背に腕を回した。 こちらからも包み込むように抱き返す。 涙の気配に弱い、という自覚はある。 初めての朝と同じだ。 だけど、こればかりはどうしようもない。 カカシが、ぎゅ、としがみ付いてきた。 必死に引きとめようとする子どものような一途さだった。 一途に、イルカと離れたくない、と。 一途に、イルカが好きだ、と。 確かにカカシから、そう伝わってくる。 前にもカカシは自らを一途だと言っていた。 このカカシの一途さがイルカだけに向けられているなんて、さっきまでは考えもしなかった。 でもどうやらそれは真実で、自分は本当にカカシの特別を与えられているらしい。 こんなに全力で引きとめるような事までしてくれて。 今までに数え切れないほど何度も好きだと言ってくれて。 カカシがしてくれた事、見せてくれた表情、キスの甘さ、愛撫の優しさ、繋がった時の激しさ。 それらすべてが一気に脳に沁み込んできて、体に浸透してきて、かぁーっと全身に熱い血が駆け巡った。 自分がどれだけ愛されていたか、どれだけ大事にされていたか。 無限に込み上げてくる歓喜と感謝に、身も心も震える。 抑えきれなくて、また目が潤んでくる。 そこまでしてくれていたカカシに、自分は何を返してきただろう。 代わりに合コンへ行ってとか、誰と親しくしても構わないだとか、結婚おめでとうだとか。 他にも散々ひどい事を言ってきた。 イルカからの冷たい言葉に、愛想が尽きたと思うような機会だってあったはずなのに。 それでも諦めないでいてくれた。 見放さないでいてくれた。 「ありがとうございます…。ごめんなさい…。本当に俺…。すみません…」 押しつぶされたような苦しげな声が出た。 いくら謝っても謝り足りない。 「ありがとうってなんですか。なんでイルカ先生が謝るんですか。怖い、やめてよ。やだ、別れたくない。お願いです、考え直してくれませんか」 カカシがこんな弱音を吐くなんて。 そこまで思いを寄せてくれている人を、どうして今まで信じられなかったのだろう。 どうしてカカシに愛されている自分を認められなかったのだろう。 「違うんです…。俺…カカシ先生の事が好きなんです」 「えっ…」 「ずっと好きだったんです。それなのにどんどん好きになっていて…」 「えっ? ちょ…、え…? なに…? えっ? 嬉しすぎるんだけど…。え? ほんとに…?」 「本当です…」 カカシの体が、ぶるっ、と大きく波打った。 「ほんとに? イルカ先生がオレの事…?」 「本当です。カカシ先生が好きです」 「も…、もう1回…言って…」 好きです、と応じると、もう1回、と再び同じ言葉を求められた。 カカシの望むままに、そのやり取りを何度も繰り返す。 「イルカ先生…感情隠すの上手すぎでしょ…。並みの上忍なんて軽く超えてるよ…」 か細く呟いたカカシが、頬に頬をすり寄せてきた。 くすぐったさに耐えながら、まだ残っている懺悔を伝えたくて口を開く。 「カカシ先生もずっと本当の事を隠しているんだと思っていました」 「うん…。でもオレが悪いんです。全部。最初から」 「俺も悪かったんです。最初からカカシ先生の事、たくさん決めつけていて」 おそるおそる、少しだけカカシに身を預けるように上体を傾けた。 それをカカシはなんの躊躇いもなく受けとめてくれた。 ほっ、と息が零れそうになる。 「これからは…カカシ先生のこと…ちゃんと信じます…」 「うん。信じてください。大事にします。誰にも渡したくないんです。イルカ先生と付き合ってから、ずっと幸せなんです」 胸が、きゅーっと甘く引き攣った。 こんなあからさまな愛情表現を日常的にされ続けていて、カカシを拒める人なんているのだろうか。 つらい時もあったけれど、自分もずっと幸せを感じていた。 「恩返ししなきゃと思っているので、イルカ先生の事も必ず幸せにしますから…」 カカシの腕が頭の後ろに回って来て、ぎゅ、と引き寄せられた。 さらに腕が背中に下りて来て、ぎゅ。 もっと下りてきて腰を、ぎゅ。 立て続けに抱きしめられただけで、体の奥に易々と淫らな熱が灯ってしまう。 密着しているせいで、熱はおそろしい速さで全身へと広がっていく。 この体の反応は、特異な体質によるものなのだろうか。 カカシ以外の人や、カカシを好きになる前には経験のなかった感覚だ。 恥ずかしい事に、前も後ろももうじんじんと疼ている。 ダメかもしれない。 早々に白旗を揚げ、助けを求めるようにカカシを強く抱き返そうとしたら、カカシが突然さっと身を引いた。 拒まれた。 ずきん、と胸が軋んだ。 でも当然だ。 ここは本部の通路で、人目もあって、何より仕事中なのだ。 こんな気分になっているほうがおかしい。 謝ろうとしたら、先にカカシが頭を下げてきた。 「…すいません。1年我慢するって言ったばかりなのに」 そんな事。 朝令暮改どころではないけれど、もう忘れてほしい。 「1年も…我慢…しなくていい…です…」 そんなに待てない。 すでに今、危うい状態になっている。 カカシが、うっふぁぁぁ、と妙な声を出しながら顔を上げた。 目元に赤みが差している。 「じゃあ…ど、どれくらい…で…」 カカシに抱きついた。 今度は拒まれなかった。 こちらの高揚が伝わればいいと思って、できる限り密着してべったりと体を重ねる。 「…夜…まで…」 「よ、夜って…いつの?」 「…今日、の…」 またカカシから奇妙な咆哮が上がった。 「イルカ先生…! 大好き…! です…!」 「俺も…です…」 「っ…、これ以上煽らないで…。夜まで待てなくなる…」 カカシが口布を下げながら顔を寄せてきた。 キスされる、と思ったらアンダーの襟を下げられて、首筋にカカシの鼻先をこすりつけられた。 すりすり、すりすり、と何度も。 行為の始まりのような性的な気配に、さっそく息が上がってくる。 「…待機4時までなんだけど、イルカ先生は…?」 「5時まで…受付…です…」 「じゃあ5時に受付に迎えに行きます」 頭を抱き包むように引き寄せられた。 瞼に口づけられ、結んでいた髪の先を丁寧に梳かれる。 甘やかでしっとりとした雰囲気に、ぞくぞくして、どきどきして、腰が抜けてしまいそうになる。 「…また…あとで、ね…」 名残惜しそうに呟いたカカシが、ゆっくりと腕を解いて口布を戻した。 のろのろと階段を上っていく猫背の後ろ姿が見えなくなるまで見送って、ふぅ、と息をついた。 その吐息の熱さに自分でも戸惑う。 5時まできちんと仕事に向き合えるだろうか。 体はすっかり火が点いてしまった。 こんなふうになるのはカカシが初めてで、性行為も何もかもカカシが初めてだった、と伝えたらどんな顔をされるだろう。 ドン引きされるかもしれない。 でも。 今日なら正直に言える気がする。 |